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プロローグ

 誰がどう見たって、“魔女らしくない”のは、自分でも分かっていた。


 身の丈は人並み以上にあり、無造作に胸元まで伸びた黒髪は、風にさらされればすぐに絡まるほど粗雑で、艶もない。毛先には乾いた枝のような感触が残り、梳かすたびに指に引っかかる。整っていないその髪は、まるで「手をかける価値もない」と語るかのようだった。


 顔立ちは丸く、頬の線は幼さを残し、くりっとした目元は表情に鋭さを与えることもできない。鏡越しに目が合うたび、「子供みたい」と誰かに笑われているような気がして、視線を逸らしてしまう。


 さらに最悪なことに――全体的に、重い。


 細身のローブは本来、身体の線を美しく浮かび上がらせるはずだった。だが、自分が着ると腹回りはきつく締まり、まるでそこだけを見せしめるように布が苦しげに引き攣れていた。腕はむくみで指先まで張りつめたように見え、太ももは歩くたびに擦れ合う音を立てる。


 鏡の中に映るその姿は、自分自身でありながら、まるで別人のようだった。「これ、誰?」と喉の奥で笑いがこみ上げるが、声に出せば何かが崩れそうで、ただ唇を噛むしかなかった。

 “魔女”というにはあまりにも粗雑で、むしろ“ただ脅かすだけの怪物”のほうが似合っていた。


 ――それでも、ここに立たされた。


 魔女界の最奥、“蒼の間”。


 そこには天井も床もなかった。足元を見下ろせば、底知れぬ青が広がり、空を見上げてもまた同じ深淵の青が返ってくる。世界の輪郭が曖昧に溶けていくその空間は、まるで現実そのものが拒絶されているかのようだった。


 魔素が霧のように漂い、時折、肌に纏いつくようなひやりとした感触が這い寄ってくる。耳鳴りのように、低く重い唸りが空気の中に混ざっており、呼吸のたび、焼けた鉄を吸い込むような熱と苦さが肺を満たした。


 ここは、選ばれた者が立つ場所じゃない。


 捨てられる者に、最後の命令を与える場所だ。


 ベルーナは無表情を必死に保ちながら、内心では足元の感覚を何度も確かめていた。


 ――大丈夫、震えてない。バレてない。


 身体の奥底で鼓動が荒く跳ね、脈打つ血が耳の裏までのぼってくるのを感じた。爪先の感覚が薄れていく中で、無理やり平静を装う。もしここで怯えでもしたら、今度こそ終わりだ。どこかでそれを見ている目がある。見下ろすように、冷酷に。

 自分の命など、誰一人惜しまない世界――その事実だけが、胸の奥にひたひたと広がっていった。


「ベルーナ=クレザリア」


 名を呼ぶ声が空気を裂いた瞬間、時が止まったかのように、辺りの魔素が凪いだ。

 その声音には性別も年齢も、感情すら感じさせない――けれど確かに、背骨を撫でるような冷たい指先のような感触が、ぞわりと肌を這い上がってくる。


 名を呼ばれただけで、体温が一度下がるような錯覚に陥る。鼓膜を打つその響きは、言葉ではなく呪いのように、身体の内奥に染み込んだ。


「命を下す。人間界に降り、“紗夜”という人間を殺しなさい」


 淡々と告げられたその言葉に、息が止まった。

 ふいに、喉の奥が詰まった。喉が熱くなり、けれど声にはならなかった。飲み込んだ空気が、まるで小石のように重く、胃の底に沈んでいく。


 また、“殺せ”か――。


 心の奥底で、ひび割れたような独白が響いた。どうして私には、こういう命令ばかり。

 成功したことなんて、ちゃんとできたことなんて、一度もないのに。

 それでも、命じてくる。

 やらせておいて、いざとなれば「あの子はやっぱり無理だったね」の一言で、簡単に切り捨てられる。まるで壊れた道具に言い訳するような、その声の冷たさが、すでに耳の奥で再生されている気がした。


「……理由は?」


 聞いてしまった。ほんのわずか、声が掠れていた。

 喉に熱がこもったまま、それでも無理やり押し出すようにして。


「理由など不要だ。対象はただの人間。殺すのに躊躇う意味はない」


 その一言が、胸の奥を鋭く突き刺した。

 言葉は無機質で、まるで刃物のようだった。感情など一切含まれていないはずなのに、不思議と痛みだけが残る。

 “ただの人間”――本当にそうなら、なんであたしに?


 喉の奥まで上ってきたその疑問が、声になる直前で引っかかった。

 どうせ言ったって、笑われるだけ。

 あるいは、「黙りなさい」と一言で、二度と声を出せないようにされるかもしれない。


 ――だったら、飲み込むしかない。


 冷え切った空間に、心臓の鼓動だけが虚しく響いていた。


「了解。……派手にやってきますよ」


 口調はあくまで平然と、わざとらしく挑発的に――それが唯一、彼女に許された“抵抗”だった。

 言葉の端に込めた棘は、届くことのない矢のようなものだと分かっていたが、それでも口にせずにはいられなかった。


 だがその声の裏で、ベルーナの拳は硬く握られていた。

 指先は真っ白に変色し、爪が掌の柔らかい肉に深く食い込んでいる。じわりと滲む痛み。だが、その痛みにも、もう慣れた――何度も、何度も、こうしてしか自分を支えられなかったから。


 怖い。

 行きたくない――その想いが、腹の底に冷たい塊のように沈んでいた。

 息を吸うたび、肺が軋むほどの圧力を感じる。魔素の満ちたこの空間が、否応なく自分の存在を拒んでいるかのようだった。

 それでも。

 それでも、断ることはできなかった。

 もし背を向けたら、その瞬間に、今ある居場所すら消えるのだ。


 この命令に従うことだけが、彼女の存在を“ここにあった”と証明する、唯一の方法だった。


 せめて、一度くらい。

 たった一度でいいから、“誰かに認められたい”――

 そんな小さな、小さな願いを、心の隅で抱いてしまった自分が、愚かしくてたまらなかった。


 その願いすら、口に出すことは許されない。

 いや、きっと最初から、言葉にする資格などなかったのだ。


 ベルーナは知っていた。

 その事実だけが、胸の奥でひどく冷たく、けれど確かに、彼女を支えていた。



◇◇


 魔女の世界には“平等”があると、教えられて育った。


 魔法には属性がない。火も水も影も、誰もが扱える。

 使う言葉も、手順も、身につける方法も、自由。

 ただ自分の内にある魔力を信じて、使いこなせばそれでいい――そんな建前が、あの世界にはあった。


 けれど現実は違った。


 力が強すぎる魔女は、怖がられる。

 呪文もなく魔法を使える魔女は、異物扱いされる。

 そして何より、“魔女らしくない”容姿は、見下される対象だった。


 細く、白く、整っていて、優雅で。

 舞うように魔法を操る魔女たちが“理想”とされる世界で、

 ベルーナのように、大きくて、不器用で、感情のままに魔力を暴発させるような魔女に、居場所なんてなかった。


 彼女の魔法は強い。事実だけを言えば、それは誰もが認めている。

 けれどそれは“便利”という評価であって、“優れている”ではない。


『またお得意の破壊魔法? すごいわね、雑に使っても壊れるなんて』

『まあ、あの子にできるの、それしかないものね』


 何をしても、魔女らしくない――その一言で片づけられてきた。


 力はあっても、居場所はない。

 だから彼女は、命令に従うことでしか“必要とされる方法”を知らなかった。


 誰かに認められたかった――それは、ただ一度でも誰かに大事な人として名前を呼ばれたかった、ということだったのかもしれない。


 ベルーナは、魔女界の中では若い部類に入る。

 人間の尺度に換算すれば、何百年も生きているはずだが。


 けれど、魔女の世界では時間の流れが速い。

 幼い頃はすぐに終わり、気づけば「一人で任務をこなせ」と言われる立場になっていた。

 精神の成長が追いついていないのは、自分でも分かっていた。

 でもそれを誰かに言えば、また“甘えている”と笑われるだけ。


 友人と呼べる魔女は、一人もいない。

 いたとしても、気を遣われていたか、試されていただけだった。

 誰かと心を通わせるよりも先に、「力のコントロールが下手すぎる」「他人を巻き込む前に距離を取れ」と言われて育った。


『一人でいるほうが、楽でしょう?』

『わざわざ一緒にいたいって思う子じゃないわよね』


 何度も聞いたその言葉が、いつの間にか胸の奥に貼りついて離れなくなっていた。


 魔女たちの中には、“番”を結ぶ者たちもいる。

 魔力を安定させるため、信頼できる伴侶を持つことは推奨すらされている。


 けれど、それは当然“美しい魔女”たちの話だ。

 容姿も振る舞いも、魔女らしくない者には、そんな制度は遠い世界のものだった。


 両親の顔も、覚えていない。

 気がついたときには一人だったし、「お前はひとりで育ったのだ」と言われた。

 もしかしたら、本当はいたのかもしれない。

 けれどそれすら、確かめようとしたことがない。

 どうせ“いなかったことにされてる”のなら、それが答えなのだろうと、諦めてきた。


 魔女という存在でありながら、魔女の中では居場所がない。

 その矛盾を抱えたまま、ベルーナはただ「言われたとおりに動く」ことでしか、生き方を知らなかった。


◇◇


 部屋に戻ると、魔力灯の明かりがひとつ、じりじりと揺れていた。


 湿った空気に溶けるように、かすかに明滅する光。

 まるで誰かの呼吸に合わせて震えるかのように、不規則に揺れ続けている。静かなはずの部屋に、ぱち、ぱち、と灯の細い音が断続的に響いていた。


 誰もいない部屋。

 壁には何の飾りもなく、棚も机も、ただの木材の形をしているだけ。温もりという言葉を忘れたような、冷え切った空間。

 けれど、これが――ベルーナにとっての“帰る場所”だった。


 分厚いローブを肩から滑らせ、黙って椅子に掛ける。

 肌に残るその重みと粗い布の感触が、まだ部屋の空気に馴染めずにいる身体を縛りつけているようだった。


 ベッドの縁に腰を下ろす。

 ぎし、と鈍く軋む音。沈み込む柔らかさはほとんどなく、硬さがそのまま背骨に伝わってくる。

 足元の床は、石造り特有のひんやりとした感触を保っていた。薄く冷えていて、素足の裏からじわじわと冷気が這い上がってくる。


 その感触が、現実を浸していく。

 「ここが現実なのだ」と告げるように、静かに、確実に、皮膚の内側まで染み渡ってくる。


 ――明日の夜には、もうここにいない。


 頭の中でそう思っただけで、喉の奥がきゅっと詰まる。

 言葉にならない何かが、胸の内を押しつぶしてくる。目には見えない恐れと寂しさが、背中の下から、じわじわと這い上がってきた。


 肩がわずかに震える。

 でも泣きはしない。涙が出るほどの余裕も、もはや残っていなかった。


「……はぁ、あたし、何やってんだろ……」


 ぽつりと漏れた声は、あまりに小さく、頼りない。

 けれどそのひと言に、今のすべてが詰まっていた。

 言葉はまるで、羽のように軽く、けれど落ちる先がないまま、すぐに天井に吸い込まれていった。

 返事など、最初から期待していなかった。

 ただ、何かにすがるようにして、自分の声を確かめたかった。


 殺しなんて、したくない。

 怖い。

 痛いのも、苦しいのも、見たくない。

 肉が裂ける音も、血の匂いも、命が失われる瞬間の、あのぞっとする沈黙も――考えただけで、喉がきゅっと締めつけられる。


 だけど――やらなきゃ、ここにはもう居られない。


 魔女として生きてきた中で、もう何度“役立たず”と言われてきただろう。

 冷たい眼差しとともに突きつけられた言葉は、刃のように皮膚を裂き、心を抉っていった。


 『力があるだけじゃ意味がない』

 『制御できない魔力は、ただの凶器』


 その声は、今も耳の奥にこびりついている。どんなに塞ごうとしても、魔素の中にこだまするように何度も甦る。

 感情も持たぬ機械のように吐き捨てられたその言葉が、今の自分を作ってしまったのだ。


 今回の任務は、最後の試験だ。

 いや、むしろ――“処分の前に与えられた最終チャンス”といった方が近い。


 まるで救いの手を装った刃物のような任務。

 戻ってこれるかも分からない。

 いや、戻れても、誰も歓迎などしてくれない。

 失敗すれば、その場で処分される可能性だってある――いや、むしろその方が確実かもしれない。


 それでも、従うしかなかった。

 魔女として、生きるために。

 この世界で、わずかながらでも立ち位置を保つために。


 せめて、一度だけ――ちゃんと、“できた”って、誰かに言われたくて。

 それだけのために、命を賭けるしかなかった。


 膝を抱えて、ベッドの上で小さく丸くなる。

 身体は大きくても、こうしていると少しだけ安心できた。

 毛布の感触は硬く、粗い。けれどそれすらも、今はぬくもりに思えた。


 灯りがかすかに揺れ、壁に映る自分の影が、ふるふると震えていた。

 それがまるで心の中の揺らぎを映し出しているようで、ベルーナはそっと目を閉じた。


「あたしに、できるかな……」

「今度こそ……ちゃんと、“やれる”のかな……」


 言葉にしてみると、それはひどく頼りなく、

 まるで泣き言みたいに聞こえて、

 自分が情けなくなった。


 けれど、もう止まれない。

 それでも、明日になればもう進むしかない。

 この世界とは、しばらく――もしかすると、永遠に――さよならだ。


 背中に感じるのは、魔女界の空気。

 乾いていて、ひどく冷たい。

 まるでこの世界そのものが、もうベルーナを見送る準備を終えているかのようだった。


 ベルーナは、ひとり。

 言葉も希望もないその部屋で、小さく震えていた。

 どこにも吐き出せない思いを、ただ身体の奥に押し込めながら。

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