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第一話 アー・ルシュテイト

 ここは十国の一つ、歓声の国『オーストレンブラント王国』の中にある町であり、桜の名所である町『アイザック』。暦は3月をまわり、桜の美しさを目にすることの出来る季節となっていた。桃色の花弁はゆっくりと揺れながら落ちていき、その姿は優雅に流れる春の時間を表すかのようである。長閑な景色、大木を囲う木々や草たちはその長閑さに怠惰すら覚えているが、この桜の町アイザックではこの時期、とある催し物が行われている。


「ぶっ飛ばしてやる!」


「上等だ!かかってこい!」


 町の真ん中には大きな闘技場があり、その中では血気盛んな若者たちの真っ黒な汚い言葉が飛び交う。戦場を囲う客席からは様々な色の歓声が舞い、真ん中で向かい合う男たちを盛り上げている。今の景色や季節には全く似合わないが、この町ではこれがこの時期の風物詩なのだ。武器は自由、戦い方も自由。何でもありの取っ組み合い。ただ単純に強い方が勝つ。腕自慢の者たちが集い、高め合う場所。それが、


「決まったァ!!第200回桜全戦決勝に進む1人目は、リノガルド・アンバー!!」


 再び歓声が上がる。一人は倒れ、もう一人は拳を掲げ喜んでいる。何でもありの大勝負で勝つ、ということはまさに強さの証明になる。桜全戦オールブロッサムと呼ばれるその大会でただ勝つことは参加するものにとってそれほどの名誉なのである。


「おい!次出番だってよ、アール」


「分かってるって、今行く」


 もう片方の準決勝が始まる。一人は身体の大きな筋肉質の男であり、先頭に棘がついたゴツゴツの棒を振り回している。そしてもう一人は出場している若者の中では小柄で、何より若く見える少年であり、手には細い木の枝のようなものを握っている。勝敗は一目見たら分かるか。


「勝者、アール!!」


 こういう場合、勝たなそうな方が勝つというのがこの世のお約束であった。立っているのは小柄の少年であり、身体に傷は一切ついておらず、無傷の勝利となっている。会場は勝者の名前をコールし、今までにないくらいの盛り上がりを見せる。決勝は間もなくだが、これ以上の盛り上がりを期待してしまう。


「…残念だったな、アール」


「…ぐっ…!!」


 試合の終わった控え室では、先程の小柄な少年が必要以上に悔しがっていた。


「良い試合だったって、ほんとに」


 サポーターのような男が慰めに入るも、その悔しさはそんなに簡単に拭えるようなものではないようだ。


「ほら、もう元気出せって、まあ、記念すべき100勝目とはいかなかったにしろ、既に99回優勝してんだから充分だろ」


「勝たなきゃ意味がねぇだろ!!」


 目が、本気だ。


「俺に言うなって」


「俺は金稼ぎに来てんだよ!なんで王国の中心街に住んでる兵士がこんな外れの町の格闘大会に出てんだよふざけんなって!!」


 怪我をしたところを処置しながら大声を出してストレスを発散している。


「…だから、俺に言うなって」


「あーあ、俺の勝ち越しの記録がどこぞの馬の骨に…」


「どっちかって言うとお前の方がどこぞの馬の骨だけどな」


 因みに、優勝賞金は100万サツーである。


「まぁ、アムちゃんにはなんか手土産でも買っていこうぜ、ほら行くぞ」


 少年の名はアー・ルシュテイト。ここアイザックに生まれた16歳。幼少期から周りの大人たちが後生大事に長閑に育て、こんなにも活発で立派な男に成長した。血の繋がった家族には10歳離れた妹がおり、大会で賞金を得てそれを二人の生活費にして過ごしている。彼自身、アーと呼ばれるのが嫌のようで、昔から自分のことをアールと呼ぶように周りに言っている。赤い髪に赤い瞳、それだけでも充分特徴的な見た目だが、彼の中でもっと特徴的なのは左手のこ


(ちょっと、うるせぇよ)


 ☆…あれ、そう?


(そうだよ、もう分かったって、さっきからずっと誰に説明してんだよ)


 ☆誰って、特にないけど、っていうかアールに話しかけてない時以外は干渉しないって言う約束だったじゃないの。


(いや、もう流石に我慢できなかった)


 ☆ルールはちゃんと守っていただかないと。


(それは、ごめん)


 ☆はい、じゃあ友達との談笑に意識を戻してください。


(…はい)


「そうだ、折角だから道具屋見てってもいいか?」


 アールにそう言ったのは、友人であるテキラという青年だ。歳はアールより二つか三つ上で、何かとアールを気にかけてくれる良い存在である。


「いいよ、何買うの?」


「知らねぇのか、最近巷ではピストルっつーのが流行ってるらしいぞ」


「巷ってどこだよ」


 帰り道の途中にある武器屋はここら辺の道具・防具一式を取り扱う何でも屋の一種である。


「そらお前、中心街だろ」


「じゃあここにはねぇな」


 それは分かんねぇだろ!と言い、武器屋に吸い込まれていく。が、何でも屋でも無いものは無いらしく、そのピストルというものも未だ姿形が分からないという。


「な?ねぇだろ?」


「まぁ、分かってたけどね、おっちゃん、これ頂戴」


 そう言って手に取ったのは棒付きのキャンディである。二色が混ざった丸いキャンディであり、臆せず言うならばチュッ○チャッ○スそのものであった。


「なにそれ」


「アムちゃんへの差し入れ」


「喜ばねぇって」


 アールは棚に置いてある色々なものを品定めしている。妹への手土産になるものを物色しているが、中々いいのが見つからないらしい。


「アムちゃんって何が好きだったっけ」


 アールより少し背の高いテキラは目線をアールに合わせ、一緒に店内を物色する。


「なんだっけな、一番好きなのはアジだっつってた」


「食べ物かよ、しかもアジって」


「味噌で煮たやつな」


「そこまでは聞いてねぇよ」


 そんな中、一つのぬいぐるみがアールの目に飛び込んできた。


「…これだな」


「だな」


 おっちゃんこれも!という大声と共にピッタリの金額をすぐにポケットから出し、そのまま店を出ることにした。食べ物では無いので直ぐに渡す必要性はないのだが喜ぶ顔を想像しているのか無意識に歩きが速くなる。先に着いたのはテキラの家であり、一人暮らしをしているため家には誰もいない。じゃあな、と言い別れたあとは真っ直ぐな道をひたすらに歩く。途中でも妹がどういう顔するのか想像している。


 ☆可愛いわね、それ。


(ん?だろ?さすがお兄と言わせてやる)


「ただいま〜」


「あ!おかえりお兄!」


 テーブルで一人ままごとをしているこの少女がアールの妹であり唯一の肉親であるアム・ルシュテイト。齢6歳にして家事を熟す侮れない女の子である。しかし、属性は完全に妹であり、アールとテキラに甘やかされて育っている。


「戦い合いはどうだったの?」


 そんな可愛い響きの催しではなかったが、まだ幼いアムにはあまり理解が出来ない領域なのだろうか。


「ん?あぁ、今日はお兄負けちゃったんだ」


「そうなの?残念だね」


 心底悲しそうな顔をする。この顔があの二人を甘やかしに走らせる原因だろう。


「でもなアム、今日はお兄からお土産があるぞ!」


「え!なに!」


 そのタイミングで先程武器屋で買ったぬいぐるみをここぞとばかりに出した。出てきたのは変に光る青魚のぬいぐるみだ。


「…なにこれ」


「アジのぬいぐるみだ!」


 渡されたアムは絶妙に微妙な顔をしている。


「…なんでアジ」


「好きだって言ってたじゃん、アジの味噌のやつ」


 もう既にアムは泣き出しそうな目をしている。これは悲しいのではなく憂いているような眼差しである。


「お兄のバカ!」


 渡されたぬいぐるみをアールに投げつける。


「な!なにすんだよ!」


「アムが好きなのはサバなの!アジじゃないの!それにこれはイワシ!」


「…え?」


 青魚の名前ばかりが並べられ、アールの頭の中ではその3種類以外の魚も泳ぎ出す。


「全然可愛くない!」


 怒った勢いで家を飛び出す。アムはサバの顔ファンだったらしい。言いそびれていたが、アムは海の生き物の知識が豊富であるいわゆるさかなちゃんだ。


 ☆だっせ。


(さっき可愛いって言ってたじゃねぇか!)


 ☆そんなことより追いかけなくていいの?アム、方向音痴じゃなかったっけ?


(あ、やべぇ!そうだった)


 慌ててアールは家を出る。桜全戦の会場から帰ってきた一直線の道を逆に辿りアムを探す。外は不自然なほど静かで、闇夜を大ぶりの月が照らしている。道中には点々と家々が存在しているが、アールが内心そこまで焦っていないからなのか、アムの名前を呼ぶこともなくゆっくりと辺りを見回しながら歩いているため、誰も家から出てくる様子はない。


「…アムのやつ、何にあんなに怒ってんだよ」


 砂と砂利が混ざっている道をアールの靴で踏み締める音が響く。アールは一緒に連れてきたフワフワの綿がパンパンに詰まるイワシのぬいぐるみの顔を真剣に見つめている。その顔をモフモフしながら引っ張ったり押し潰したりしている。


「お前の何がいけなかったんだろうな、確かに顔はブサイクだけど」


 ☆いけなかったのはあなたじゃないの。


(なっ!なんでおれがいけないんだよ!)


 ☆こんなに変な顔のぬいぐるみ誰が喜ぶのよ。もっと可愛いやつも置いてあったんだからそっちにするべきだったね。


(じゃあ変な顔のこいつが悪いじゃねぇか)


 ☆それを選んだあなたがいけないってことよね。


「だって魚好きじゃんかあいつ!」


「でっけぇ声で一人で何言ってんだお前」


 気がつくと先に別れたテキラの家の前まで遡っていた。


「…!テキラ!」


「誰かと一緒にいんのか?…てか、さっき家帰ったんじゃなかったの?」


「あ、あぁ、いやちょっとね、家には帰ったんだけど」


「あれ、アムちゃんは一緒じゃないの?お前一人で出てくるなんて珍しいじゃん」


☆痛いとこ突くわねこいつ。


「そうなんだよ、一緒じゃねぇのよ。見なかった?アム」


「見なかった?ってなんだよ。…まさかアムちゃん、見えなくなっちまったのか?!」


 ☆馬鹿の友達は馬鹿しかいないのかしら。


(俺が馬鹿なのは関係ないだろ!)


「いや、見えるはずなんだけど、ちょっと怒ってどっか行っちまって」


「なんだ、また怒らせたのかお前は、懲りない奴だな」


「別にそんなに怒らせてねえよ…ったく、どこ行っちゃったんだよ」


 辺りを見回すアール。ポツポツと建つ家の奥には地平線が広がっており、砂利道と砂浜がほぼ永遠に続いているように見える。その一角に少し木々が茂った湖畔の入口のような場所がある。何故かは分からないがアールはそこに視線を向けている。


「いつものことなら花屋のおばさんのところか、畑の保管小屋のどっちかの気がするけどな」


 花屋はアールの家の隣にあり、なにかとこの兄妹のことを気にかけてくれており、三日に一回お裾分けをしてくれる優しいおばさんが住んでいる。昨日は芋の煮っ転がしであった。家の裏にはそのおばさんが育てている野菜の保管小屋があり、アムが一人留守番をしている時の遊び場となっている場所である。だが、そこはテキラの家を通る前にとっくに確認している。


「そこはもう見たんだよ、一番に見に行った」


「まあ、だろうな。…じゃあ一体どこ行ったんだろうな」


「…思い当たる節があと一箇所しかない」


「…あるじゃねぇかよ」


 見当がついているはずなのに、アールの顔は晴れるどころか曇天も曇天。最悪のケースを考えて青ざめてまでいる始末だ。


「ただ、それが合ってた場合、ちょっとマズいことになりそう」


「…?なんでだよ」


「アム、魚好きだろ?だから昼間とか暇なときしょっちゅう湖に釣りをしに行ってるんだけど」


「待て待て、この辺の湖って言ったら…」


 そう、この周辺には『蒼穹の湖』と呼ばれている大きな湖がある。明るい時間帯では綺麗な青が果てしなく広がるその湖は桜全戦に並ぶアイザックの名物の一つに数えられている。


「いやいや、でもこの時間に湖に行くのは危険だってのはアムちゃんも知っているはずじゃ…」


「そもそもアムがこの時間に怒って出て行く事なんてなかったから知らない可能性は充分ある」


 そう、その美しい湖は夜になると、とある生物が目を覚まし生活を始める危険地帯に変わってしまうのだ。


「じゃあ早く見つけに行かないと、アムちゃんが…!!」


「…手分けして探そう、テキラは反対の入り江から廻ってくれ!」


 そう言って二人は二手に分かれ、蒼穹の湖を探す事になった。二人はまだ知らないがこの湖、一周10kmはくだらない長さを誇っており、二人で手分けをしたとしても隈無く探すにはかなりの時間が必要になる。


「…アム、どこ行っちゃったんだ」


 ゆっくりと歩き出すアール。その頃、捜索対象となっている幼い少女はというと。


「お兄、アムが好きだったお魚さんの名前全然覚えてくれないんだもん。もう嫌になっちゃうよね」


 何故か水面に顔を出す小魚たちとお喋りをしていた。


「どう思う?そろそろ覚えてくれても良いと思うのにね」


 小魚たちも「僕らに言われてもね…」という顔でお互いを見合っている。どうやらアムには生物たちと意思疎通まではいかなくともある程度の親密さを生むことができるらしい。


「それにね…」


 と話を続け始めたとき、少し離れた水面にボコボコと気泡が発生し、心なしか地響きが起こり始めた。その震動に小魚たちは恐怖を感じ、すぐさま水中に隠れてしまった。アムもこの状況に怯え、発生した気泡を見つめている。足を踏み入れないと近づけない位置に発生しているが、その恐怖からかその場から動くことすらできないでいる。その目には微かに涙が浮かんでいる。


「…お、お兄…」


 徐々に近づいてくる気泡はその不気味さも増していき、ついにはアムの目の先まで来てしまう。そして、その正体をついに現した。


ザバァ!!


 聖鮫セイントシャーク。塩分を主食とし本来淡水では生きていくことができないとされる魚類であり、湖での生息は現在のところ確認されていなかった。今の今まで。


「…」


 鋭い眼、研ぎ澄まされた牙、一呼吸が大きいのもその立派な鼻の穴のおかげかせいかは分からないが、湖に似た青色の鱗が暗闇の中の微かな光を反射してキラキラと光っている。アムの目の前に自ら出向いているのだから獲物の場所は分かっているはずなのに、泳がしているのか当たりをキョロキョロと見回している。


「…!!」


 恐怖と言う感情は人それぞれ表し方が様々で、大きな声を力の限り振り絞る人もいれば、震えすらも止まり、声も出ず動くことさえも叶わない一も存在する。だが、この状況では残念なことにアムは後者であった。


グワッ!


 アムと聖鮫の目が合った。聖鮫が大きく口を開く。これが俗に言う最期の光景と言う奴なのだろうか。吸い込まれるような口内から目を離せなくなってしまう。聖鮫が勢いをつけてアムを襲う。一巻の終わりか。その瞬間、その聖鮫に凄まじい威力で太い木の棒が振り翳された。


ガコンッ!!


 右手から放った渾身の一撃を全身全霊でぶつけるアールの姿がそこにはあった。その目は常軌を逸した目をしているがこの状況では逆にその目が正常なまでに感じてくる。


「アム!!」


「お…お兄…」


 今まで我慢していた訳ではないが、一滴も流れていなかった涙がアムの頬を伝う。6歳の女の子にとっては世界で一番恐ろしい出来事が起きたすぐあと。生を実感しているというよりはただただ恐怖から解放され大好きな兄に会えた安堵からの涙だろう。


「お兄!!」


☆抱きつく妹、抱える兄。兄妹愛を感じますね。


(バカなこと言ってんじゃねぇ)


☆でもよく分かったわね、ここだって。


(来る途中に不自然にかき分けられた草があったから怪しいと思ってたんだよ。間に合ってよかった)


☆ほんと、こういう時だけ働く野生の勘、羨ましいわ。


(うるせぇ、…おい、あれ見ろ。やっぱりだ)


「お兄!まだ…!」


「ああ、仕留めた手応えが全くなかったから妙だと思ったんだ。全然ダメージが入ってねぇ。それに…」


 そう言い持ってきた木の棒を見る。その瞬間に棒は脆く砕け散ってしまった。


「硬すぎるぜあいつ…あれが花屋のばあさんが言ってた雨拝み様(うおがみさま)か?」


 本来の聖鮫より過酷な環境である淡水で長期間に渡り生き残ってきた影響か、鱗の硬度が上がっているようで大きさも鮫一倍(言い方が合っているのか分からないが)大きい。姿を滅多には見せないが、稀に目撃されるその巨体からアイザックでは天候の神として作物に恵みを与える雨を降らせるとして『雨拝み様』と呼ばれていた。ただ、その認識も被害の大きさと比例していて、逆鱗に触れれば町が滅ぼされると言われ恐れられてもいた。


(参った…アムがいたんじゃ守りながらの戦いになっちまう…しかも武器がないなんて…)


「…お兄、なんでこれ持ってるの?」


 こんな状況でも兄がいて安心しているのかアムはいつもの雰囲気に戻っている。妹というのは暢気なもので、今にも二人揃って餌にされそうだというのにアールが左手に持っている縫いぐるみに目がいってしまう。


「ん?…ああこれ、なんだっけあのぉ…サバ!」


☆イワシね


「…じゃなくてイワシ!…だ!」


 沈黙はあれどアムが少しだけ興味を持ち始めているのは馬鹿の兄にも分かるようだ。


「アム、これ持ってろ!」


 そう言ってずっと邪魔だったものを半ば無理矢理アムに押しつけ両手を空ける。


「…?」


 アムはその縫いぐるみを不思議そうな顔をして見ている。


「…君、こんなにモフモフだったっけ?」


その瞬間、聖鮫がアムに牙を向けた。それを分かっていたかのようにアールが止める。手には新しく木の棒を携えており、先の棒よりも太く固い。


「なんか、分かんねぇけど木の棒だったら大量にあった。流石だぜ俺の運」


 人為的に置いてあるような木の棒の山には小さな鉄骨のようなものもあり、アールはこれを必殺にしようと考えているのだろう。


「喰らえ!!」


 ただ、所詮木の棒。右手で振りかぶった棒は同じように砕け散ってしまう。


「…くっ!どうしろって言うんだ!」


 考える間もなく聖鮫がアールの右肩を襲った。恐るべき反射神経により直接食らい付かれた訳ではないが、それでも16歳の子どもには致命傷を与えた。見たところ治療をしないと使い物にはならないようだ。


「お兄!!」


「離れてろアム!」


 大きな声を出すアールにビックリする形でアムは身体を後ろに反らす。こんな状況でもアールは冷静であり、次に自分がどうすれば死なないかを考えている。


(マズい…利き手がやられた…これじゃ今の俺にコイツを倒せる力を出せない…でもアムをこれ以上狙わせるわけにもいかない…どうしたら…)


 聖鮫の眼がより鋭く研ぎ澄まされる。次の一手で必ず仕留める、そういった意気込みすらこの鮫から感じられる。いや、これ以上長引かせたら次は自分が危ないのかもしれない、というようにアールに殴られた顔の右側がジリジリと痛んでいる。


「使うならこれしか…」


 先に目を離したアールを見逃さなかったようで一気に襲いかかった。アールが左手で握った小さな鉄骨で殴られる前に食い千切ろうという先手を打った聖鮫。今度こそ一巻の終わりか。その時、鉄骨を握った左手の甲が淡く光り、一瞬にして聖鮫の頭部を振り抜いた。


「うらあぁ!!!!!」


ドシュッ!!!


 振り抜いた速さもさることながら、驚くべきはその威力である。いくら鉄骨といえど利き手ではない左手で聖鮫に致命傷を与えられるはずがない。しかし、たった今与えた攻撃は確実に致命傷であった。


「…ふぅ、…ふぅ」


 火事場の馬鹿力。そう呼ぶ人もいるだろう。窮地に追いやられたとき、咄嗟に信じがたい力を発揮するという人体の不思議の一つ。ただし、この世界ではもう一つの可能性が浮かび上がる。さて、改めてアー・ルシュテイトの紹介をしよう。彼の名前はアー・ルシュテイト。ここアイザックに生まれた16歳。幼少期から周りの大人たちが後生大事に長閑に育て、こんなにも活発で立派な男に成長した。血の繋がった家族には10歳離れた妹がおり、大会で賞金を得てそれを二人の生活費にして過ごしている。彼自身、アーと呼ばれるのが嫌のようで、昔から自分のことをアールと呼ぶように周りに言っている。赤い髪に赤い瞳、それだけでも充分特徴的な見た目だが、彼の中でもっと特徴的なのは左手の甲に薄らと現れている”A”と書かれた紋章である。


「…アム。…大丈夫だったか?」


 ここでもう一つこの世界の逸話をお話ししよう。この世界はたった10の大国とその統制下に置かれた村や町から成り立っており、そのどれもが繁栄と滅亡を繰り返し存続をしている。時を追うごとに人類は増え続け、その統制も困難を極めているこの世界では時折、身体に紋章が刻まれた者が存在し、その者は特殊な能力に恵まれると言われている。これは、その紋章に振り回される7人の者達の永く短い物語。


「…はい。たった今目撃しました。…連れて行きますか?…はい、…はい承知いたしました。すぐに…レンブラント様」

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