祖父の死
よろしくお願いします。
ウェブ面接試験に向けて、学校で借りた個室で一人息をついていた。あと30分で面接が始まると思えば、用意した付箋や想定質問を自分でやっても中々心は落ち着かない。緊張していることが自分でも分かっていた。
そんな時、電話が鳴り、もしかして試験先からの連絡なのかと慌てたが、そこに出ていた名前は、つい先ほど登録した連絡先ではなく、私の母であった。
「もしもし?どしたん?」
「あ、今大丈夫?」
「うん、まあ……あと30分後に面接があるけど、まあ時間はあるから大丈夫だけど。」
「え、面接なの?そりゃごめん。先に言っとくけど、おじいちゃんが今朝倒れたらしくてね、先生の見込みじゃあ、今日の夕方まで持てばいい方だって言われたんよ。」
「え、おじいちゃんってどっちの?」
「私の方のおじいちゃんよ。それでね、あんたも早めに帰っておいで。面接が終わってからでいいから。」
「あ、うん。分かった。」
「家に帰ってからは、お父ちゃんに任せとるけえ、その後の予定は聞いてみて。話しとくから。」
「そ、そうなん。分かった。取り敢えず、面接に集中するわ。」
「ごめんね、こんな時に。じゃあね、頑張ってね。」
「うん、ありがとう。」
電話を切った後、耳に入った言葉に呆然としていた。母方の祖父が倒れたと聞き、1週間前は元気そうだったと聞いていたので、ひどく非現実的だと考えてしまった。
しかし、それよりも私は目の前にある面接のことを優先して、祖父の危篤のことは一度忘れておくことにした。
――
それから、怒涛の数日が過ぎていく。祖母は、急な祖父の死に悲観しており、伯母はそんな祖母を支えるためにいろいろと動き回るが、うまく事を動かせないイラつきで母に怒りをぶつけていた。伯母の旦那は、自分は関係ないとばかりに葬式事に参加せず、自身の身内がいる手前では、さも率先して取り組んでいることを見せびらかすように取り繕っており、正直吐き気を催すほどの光景だった。
さて、そんな忙しい日々を送り、母にいつも通りの日常を送るように言われ、学校へ行こうと考えるが、ここでやる気が一つも湧きおこらない自分に驚いた。つまり、祖父の死に対して非常に大きな衝撃を受けていたということに気づいたのだ。友人との約束やゼミの先生と面接について話し合いをしなければならないと頭ではわかっていた。しかし、それはつもりであって、自分自身の心のことを考えておらず、傷を負っていることさえ、直前まで分かっていなかったのだ。
私は、身近で人を亡くした経験がこれが初めてであり、これが人と人との別れなのだと初めて実感した。
私の家では、母方の祖父母とよく懇意にしていたので、父方の祖父母よりも身近な存在であった。実際、父方の祖母を亡くした時、そこまで酷く悲しむようなことはなかった。それも、恐らく死が来るだろうと分かっていたということもあるだろうが、そこまで涙を流すことはなかった。強いて言えば、父が涙を流す様を見て、私までもらい泣きしたような形であった。
しかし、母方の祖父を亡くしたと知って、それまで怒涛の日々を迎えていた中、棺桶に眠る祖父に花を入れてあげる時だった。その際、傍に祖母がやって来て私の名前を呼んだ。その瞬間、祖父がもう私の名前を呼んでくれないと分かったのか、祖母の泣く姿をみてもらい泣きしたのか、少し判別は付かない。だが、それでももうこの姿を見ることはできないのだと思えば、何だか無償に涙が止まらなかった。恐らくだが、祖父の孫の中で一番年上であり、子どものように泣き崩れることはできないと気を張っていたのもあってだろうか。一番初めの孫であり、そして、いろいろと祖父に構ってもらっていたというのもあるかもしれない。隣で静かに泣く妹の横で、大きな声で泣かないものの、それでも胸に迫っていた悲しみを涙とともに吐き出していた。
――
葬式が済んで1週間が経つか経たない頃、夜眠る中で、私は、涙を流しながら思い返す祖父との思い出に浸っていた。あの時はこうだったなどそう思い返すうちに、自然と涙が湧いて耳に向かって流れていく。
「おじいちゃん、どうか、ゆっくりと休んでね。ついでに、私が行きたい就職先の内定をお願いします。」
悲しみはそう簡単に消え去ってくれなかったが、それでも、祖父との思い出は色々と思い返す良い機会になったと感じて眠りに就いた。
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