がんばれサイコパスくん 1話
新しいクラスに馴染めない。担任に名前を呼ばれて立ち上がる。背筋を伸ばして大きな声で返事をする、前の席のやつ。教科書忘れていつも先生に怒られるやーつ、が挨拶を終えて座る。日直みたいな役割で、謎のしきたりがこの中学校にはある。
窓際の席は校庭がよくみはるかせるからいい。鳥を眺めるサイコパスくんは、自分が最高にサイコパスであることに気がついていないし、これからの人生で理解することもない。ってことで空が青い。
そこに容赦なくやって来た転校生。黒板じみたものに、チョーク的な道具で記名する。
「こんにちは、わたしはエンパシーです」
縦書きされたカタカナは、透き通るように美しかった。
「じゃ、エンパシーさんはサイコパスの隣ね」
と担任が促すままに、エンパシーさんは窓辺に近い方の机に荷物を置いた。
え、待ってまってまって、めっちゃ邪魔やん。お前、オレが青空見てさ、あーまじでこの世は平和で最高やなあってうつつ抜かしてたところに何?ありえへんやろ、どないしてくれてん、チュンチュンどっかいってもうたやん、えっぐうう。
「あ、ちす」
すべての言葉を胸中に飼い慣らして、サイコパスくんは会釈する。はたからみたら、多分首を傾げた程度にしかならない仕種で以てコミュニケートを試みたらしい。
「ちすちす」
切りっぱなし風のボブに似た茶髪って校則に違反してるくね、と思いつつ、そこそこ普通の外見でも、「ちすちす」の声は著しくキュートなことにサイコパスくんは満足して目を逸らした。
そして放課後になり、サイコパスくんは帰り支度を整える。
「ねえ、サイコパスくん」
「あ?」
よくよく考えると平凡そうなエンパシーさんのつぶらな瞳はアーモンドをかりっかりにローストした感じに近くて、そこら辺のポイントもなかなかにグッときているサイコパスくんはぼーっと佇む。
「一緒に帰ろうよ」
「いやいやいやいや、意味不明」
「えー、意味明瞭じゃん」
「どこが?ほぼ闇だけども」
かくかくしかじか、初めて会ったばかりの異性と一緒に帰宅するなんて世界の摂理に反すると説明するサイコパスくん。
「うーん、そっか。じゃあ一緒に帰ろうよ」
「まてまてまてまて、話訊いてた?」
「かくかくしかじか、でしょ」
「その通り。エンパシーさんってもしかすると記憶力のいいただの馬鹿じゃん」
「だって家近いじゃない」
「へー、なら一緒に帰ろうよ、ってならんわ。近いって情報がどこからリークしたのかはどうでもいいとして、だったら別の人でもいいくね?」
校門までついてくるエンパシーさんとの距離を引き離そうと駆け足になる。が、しかしエンパシーさんの足は存外に速かった。
「ハアハア、ねえ、無理してついてこなくていいよ」
「うんうん。サイコパスくんこそ無理しなくていいよ」
「あ、そう?」
諦めてサイコパスくんは歩幅を緩める。しんどい、体育よりしんどい。
「あのさー、オレこれから部活なんだが」
「帰宅するときに走る系の?」
「ではなくて、通ってんのよ」
「プール?」
「それも知ってんのかい、紛れもなくストーカー気質やな」
「大丈夫、わたしは異性に興味ないから」
「しれっとカミングアウトしてないで、とっとと帰ってよ。ほら、あっちオレん家の方向だし、それならエンパシーさんの方角でもあるよね」
サイコパスくんは踏み切りの向こうを指差して、エンパシーさんがそっちに視線を流したところで猛ダッシュする。
アドバンテージさえもらえれば、まけるのだ。追手など脅威ではなくなるのだ。水着の入った袋をしっかりと握り締め、サイコパスくんはスイミングスクールへと馳せた。
短いインターバルでプールを往復することで、サイコパスくんの背筋が刺激を受ける。心肺機能が増強されて、明日にはより効率的に泳ぐことが可能になるに違いない。
めちゃくちゃ疲れた、ので、ゆえに、だから、それで、自動販売機に硬貨を投下する。
チョコミントか、あるいはグレープシャーベット。最近はレモンばかりチョイスしていた。迷ったあげくにボタンをプッシュ。
「ええーっ、結局バニラにしたんだあ」
「ストーカー過ぎてえっぐいわ」
振り向くと髪をしっとりと濡らしたエンパシーさんが微笑んでいる。
「同じ習い事してると変質者扱いされるん?」
「転校初日に一緒に帰ろって言ってきて、しぶとくついてくるし、逃げれたと思ったらオレの背後にいるわプールに入ってるわでストーカーじゃないはずなくない?」
「ストーカーストーカーって語彙力ないのねサイコパスくん、どいてよそこアイス買いたいから」
「うんどくよ、これ取ったらね、ってえええええー。バニラアイスがなくなっとるやんけえ」
自動販売機の下のパカパカを開いて閉じてを繰り返すサイコパスくんの顔が真っ青になる。だってアイスないもん。すぐに怒りにシフトして、頬が赤く上気する。
「誰だ盗ったやつまじであかんわ、返却して過ちを謝ってきても誤って殺めてまうかも知れん」
「うんうん。サイコパスくんは間違ってるよ」
「おいおい気取んなや、女だからって調子に乗らんといて」
「誰も盗んでないから」
「え?」
「え」
「なにその、え、当たり前やん的な感じの、え」
「音訊いた?」
「音?」
記憶を逆再生する。振り向くとき、エンパシーさんと喋る一寸前のこと。
「あー」
「分かったくね?」
「あー。分かったかも。ガタンゴトン鳴ってないわ」
「それそれ」
まったくキュートな声だなあ。
「始めからアイス出てこんことは把握した。けど、なーんも解決しとらん。はいオレ金入れた、ボタン押した、終わり。ってダメくね?」
「いいからどいてよわたしもアイス食べたい」
「おー閃いた。ここでエンパシーさんがお金入れます、ボタン押します、詰まってるアイスの上にアイス落ちてきて2つとも出てきます」
「サイコパスくん今日は冴えてるね」
「いつのオレと比較してんねん、おいこらシカトすんなや」
するりとサイコパスくんをかわしたエンパシーさんがピスタチオのボタンを押す。まったくいいセンスしとるわ。
「ずっと聞きたかったんだけどさ」
「なに」
「田中くん毎日日直してない?」
「今その話?毎日教科書忘れるからだよ」
もう転校以前のことを知ってるくらいでは動じないサイコパスくんは自動販売機のパカパカを開ける。
「開けるまでもないよ、音してないじゃん」
「言うな、それを」
とうとうあったまにきたサイコパスくんがスマホでひゃくとーばんしようとす。
「こんなことで?」
「甘いな、女はこれだから。こっちは金払ってん。アイス出てこん。もう犯罪や。当局に来てもらわなな、な?」
「スイミングスクールの敷地だし、係員呼べばいいよ」
「じゃあもしエンパシーさんの言う通りにするよ、んで、誰か他のやつ来るくね?んで、アイスタイミングよく落ちてきて、おーラッキーや、って横取りされる、はいオレのバニラ弁償できますか」
「弁償しないよ。もう帰ろうよ、たかが百円ぞ」
「百二十円な。たったこれだけ稼ぐのにどんだけ苦労すると思ってんの」
「サイコパスくんが汗水垂らしたわけじゃないじゃない」
「くっそー、どうしたらいいんだぁ!」
パカパカをパカパカし続けていると、大人の男が現れた。
「電話くれた?」
サイコパスくんはかぶりを振る。いつの間にか誰かが自動販売機のメーカーに連絡したらしい。作業着もどきの男は鍵を手にして機械の内部を明らかにする。
「すんごい詰まってくる」
男がくねくね動くと、ガタンゴトンっぽい響きと共に、ピスタチオとバニラ、それからチョコと苺まで落ちてきた。
「これ全部君たちのかい」
サイコパスくんはうなずく。男は立ち去る。
「嘘つき」
鬼のような形相で、エンパシーさんは苺を舐めている。外気にさらされ髪はすっかり乾いていた。
「言動不一致ですけどあなた」
「そういうサイコパスくんも勝手にピスタチオ食べるの止めてねヘドが出るから」
こうして肩を並べてサイコパスくんとエンパシーさんが歩いているとまるで兄妹のような雰囲気がないでもない感じがそこはかとなく漂っている風に近いものがありつつ。