保釈
私が逮捕されたことは、実家は知っている筈だった。が、私から手紙を書くと、実家からの使いがやって来た。この使いは侍女のキティ・ジョーカー。キティは私専属の上級使用人をしている。まず、出身が郷紳階級という貴族と平民の境界にいる。実際は平民なのだが、裕福で最も力を持っている平民の階級だ。次に、読み書きができるから。実務も卒がない。更に、私と年が近く顔立ちや背格好が似ている。以上の理由から私の担当をしている。
キティの欠点は、コミュニケーション能力が低い事だ。学園で寮暮らしをしている私に付けられたのも、他者と協調して仕事ができないことにある。彼女の父も忠実な使用人として長いあいだ我が家に仕えているにもかかわらず、キティは孤立していた。いや、疎まれていた。キティが他の使用人と私語をするところを私は見たことがない。ぼんやりと外を眺めていると、他の若い使用人は連れ立って用事を済ませたり休憩したりするのを見かけるのに。使用人同士で喋っていても、キティが通りがかるとシーンとしてしまう時もあった。
キティは私のところにやってくるなり、涙ぐんでいた。深緑の瞳がうるうるしている。
「お嬢様が殺人を犯すなんて! 私は残念でなりません」
「殺したのは私ではない。真犯人がいるのよ」
「正気でおっしゃっているのですか? 状況的にはお嬢様が殺害したのは明らかだそうですが」
「私がメイフォローを殺したいと思っていたとしたら、あんな開けた場所でやらないわ。バレないようにする」
「いつもみたいにメイフォロー様から意地悪されて、ついにカッとなったのではなく……?」
「メイフォロー様の意地悪はいつも華麗にかわしていたでしょう?」
「お嬢様は運が良いですからね。まぁ、何はともあれ甘い物でも食べて元気を出してくださいな」
そう言って、箱を取り出した。蓋を開けると甘いにおいが漂って来る。期待して中身を見ると、ガッカリした。食べかけのようなボロボロに砕かれたスポンジとクリームがそこにあった。ひいき目に見ても、ケーキの残骸にしか見えない。
「ケーキだよね? 何でこんなにボロボロなの?」
「拘置所の入口で、検閲を受けまして。衛兵が中に密書でも入っているのではないかと、ケーキにナイフを入れられたのです」
キティは表面的な意味しか解していないが、衛兵は「差し入れしたいなら、賄賂をよこせ」と言うことなのだろう。こういう人の感情の機微や裏の意味にキティは鈍い。だからこそ、職場では孤立しがちだった。というか、疎まれ無視され、時には嘲笑や虐めの対象になっていた。
それにしても衛兵め、賄賂を貰えない腹いせで他人のケーキをボロボロにするなんて、許せない。
私がケーキの残骸をつまんでいると、キティが心配そうに話しかけて来た。
「お嬢様、釈放されるまでじっとしていてくださいね。やけをおこしてはダメですよ」
「私はこれでも男爵令嬢よ。はしたない真似はしないわ」
「脱獄なんてしても良いことなんてありませんから」
脱獄できるような特殊技能は主人公にもない。私は恋愛シミュレーションゲームの主人公であって、スパイアクション映画の主人公でも妖艶な女スパイ(ヒロイン)でもないのだ。
「鉄格子がなくても、ここは鍵がかかった部屋よ。私が独力で出られる訳ないでしょう?」
「石鹸を身体に塗りたくって小窓から出ようとしたり、スープを錠前にかけて腐食させたりしないで下さい」
「そんなバカなことはしないわ。というより、キティはどうしてそんな方法を知っているの? 脱獄したことでもあるの?」
「い、いえ。そういうストーリーを三文小説で読んだ気がするのです」
「ふーん、変わった小説もあるものね」
「そうですね」
「ところで、キティ。メイフォローが倒れていた時、何をしていたのよ? 普段ならいつも傍にいてくれたから、怪しい魔法がかけられても止めてくれたのに」
「お嬢様から言いつかって、忘れ物を取りに行っていたのです」
「そうだっけ? 覚えてないわ」
深夜に父が面会に来た。マーク・ワイルドカード男爵という名の、女好きでいけ好かない中年男だ。癪なことに私の今の容貌は父と似ている。私と同じ色のブルネットの髪に深緑の瞳。その目はいつも濁っている。
父の傍らには腹心の部下、ビッド・ジョーカーが控えている。私の侍女キティの父でもある黒髪黒目の熊みたいな男だ。ビッドは郷紳階級、具体的には街の名士の息子として生まれたが、ビッドの父親が破産してから我が家に仕えている。借金を返済するために馬車馬のように働いて、今では父の腹心の部下にまでなった。人当たりが極端に悪く、家族にも口を聞かないような男だ。が、その口の堅さを父は気に入っている。悪巧みには躊躇いなく手を汚し、かつ口の堅い部下が必要なのだ。ジョーカー家の生活は苦しいとのことで、娘のキティを私の侍女として働かせて、爪の垢を灯すような節約生活をしている。
「そうか、そういうことなら保釈金と心付けをリボーク治安官に支払おう。感謝するんだな」
「お父様が私のためにお気遣いするとは珍しいことで」
「大切な商談の最中なのだ。お前が殺人犯だという印象を与えるとまずい。金を払う代わりに、絶対に無実を証明せよ。我が家から殺人犯が出たとなれば、我が家の今後の事業は厳しいものになる」
父は趣味と実益を兼ねた裏の商売をしている。それは、娼館の経営である。娼婦の仕入れ先として、どこかの孤児院を買収するのだろう。表向きは慈善家の側を被り商談相手の善意に付け込んで、孤児院や孤児を安く買いたたく。それには、評判が大切なのだ。
保釈金が用意できたことで、裁判までの保釈が認められた。心付けも渡したおかげで、保釈条件は裁判の出席と、治安官の召喚に随時応じることだけである。
リボークが帰り際にささやいた。
「二十日後の裁判までに真犯人が捜せない場合は、ヒマリ嬢が実行犯として刑を受ける可能性があります。公爵家令嬢を殺害ですと、極刑もありえます。頑張って捜査なさってください」
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王都新聞
○日午後に、ハンド公爵家メイフォロー嬢が殺害されるという事件が発生しました。王都学園で被害者の同級生である、ワイルドカード男爵家令嬢ヒマリ嬢に手持ちの工具で撲殺された模様です。
容疑者ワイルドカード男爵令嬢ヒマリは容疑を否認し、真犯人が他にいると主張しています。
ヒマリ嬢の自作自演の可能性も考慮して捜査しています。
また、詳しい情報が入りましたら随時報道いたします。