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中編:怪物と魔女

「……ほう、珍しい事を言うねぇ」

 フローリアの嘆願を、魔女は興味深そうに聞いていた。


「勿論、無償でとは言いません。出来る限りのお礼をします。私、十日後にはこの地を離れないといけないのです」

「なんだ、駆け落ちでもするのか?」


 甲高い声は、魔女のものではない。

 魔女の後ろ、空飛ぶ絨毯に積まれた荷物の中から、小さな影が飛び出してきた。

 フローリアは思わず抱き留める。


「まあ……」

 それは、猫のようで猫とは違う、不思議な生き物だった。

 長い金茶の毛に覆われた顔に反して、体の部分の体毛は薄い。

 頭からは三角形の耳に加えて山羊のような角が生えている。

 極めつけは、蛇のような尻尾。


「カイメラ、滅多な事を言うんじゃないよ」

 魔女は、まるで幼子を嗜めるような口振りで声を掛ける。

「え……」

 フローリアは、その言葉を聞き戦慄した。

(カイメラ……まさか……)

 それは、失墜の森に封印された、恐ろしい怪物の名ではないだろうか。

「よお、俺様が噂の怪物様だ」

 フローリアの腕の中で、その生き物は得意気に笑っている。

(それが、こんな愛らしい姿の……)

 抱いている事も、手を離す事も失礼に当たる気がして――どうすべきかとフローリアは途方に暮れた。



「立ち話もなんだし」と、絨毯の隅を空けて頂いて。

 恐る恐る腰掛けたフローリアの膝で、カイメラを名乗る生き物は寛いでいた。



「茶でも飲むかい?」

 魔女が指を振ると、先端が仄かに光を帯びた。

 何処からともなく取り出したポットには、温かい茶が入っているようだ。

 そして絨毯の積み荷の中から、焼き菓子が顔を出す。


「すごい……これが魔女様の力なのですね」

 ふわふわと目の前で浮くカップと焼き菓子に、フローリアは目を丸くした。

「まあ、私が出来るのはこれぐらいさ」

 称賛の言葉を受けても、魔女は平然とした様子で茶を飲んでいるが。

「え、でも……」

 失墜の森の魔女は、怪物を御する魔法を使える筈――そう考えていたフローリアの疑問に答えたのは、膝の上にいる存在。

「魔女が俺様を封じたんじゃない。俺様が魔女に力を与えているんだ」

 菓子を齧るカイメラの言葉に、フローリアは首を傾げた。



 遙か昔、深い森に面した国々は、己が領土を広げるべく伐採や侵略に手を出した。

 その時に現れたのが、カイメラと名乗る怪物。

 怪物は暴虐の限りを尽くし、多くの人々が亡びた。

 ある国は抗戦を決め、ある国は服従の意を示したが、怪物は等しく蹂躙した。

 そこに一人の魔女が現れて、怪物を封印し、森の奥深くで生活を始めた。

 魔女は生涯を掛けて怪物を封印し、命尽きる時に次代の魔女へ力を引き継いでいく――

 これが、広く知られる失墜の森の伝説。

 以降、失墜の森に面する国々は、森を刺激せぬよう条約を定めている。


 しかし、カイメラ曰く違うらしい。


「俺様もな、昔はやんちゃしてたのよ。愚民共を皆殺しにしてやるぜ、と」

 愛くるしい外見から、物騒な言葉が放たれた。

「でさぁ、馬鹿な事考える国が出たわけよ」

 ある国が、『生贄を差し出せばいいのでは』という発想に至ったらしい。

 そこで、婚約者に裏切られ、家族に捨てられた令嬢が選ばれた。

「そいつを見て、気付いちゃったわけよ」

 件の令嬢を見た時、カイメラは衝撃を受けたという。

「なんか……いいなって」


 怪物は令嬢に持ち掛けた。

 魔力を与える代わりに、自分の世話をするという契約を。


「で、そいつの国に復讐した後、俺様達は森の奥深くで仲良く暮らしましたとさ」

 尻尾を揺らし、カイメラは締め括る。

 蛇の口が恐ろしいので、フローリアとしては動かないで欲しい所。


「楽しかったぜ……毎日毛並みを整えてもらって、晴れた日は釣りや山菜取りに出掛けて」

 幸せな生活は、それなりに続いたらしい。


「あいつが老いて死んだ後、そろそろ暴れてやるかって思ってさぁ、久しぶりに森から出たんだよ。そしたら、また運命の出会いだ」

 婚約者に裏切られ、家族に捨てられた令嬢が、森の近くまで逃げ延びて来たらしい。

「そいつを見て、すぐさま契約を持ち掛けたね」

 そして、祖国に復讐を果たした令嬢と、森の奥深くで幸せに暮らしたとのこと。


「そんな事を繰り返していたらさ、いつの間にか『魔女の伝説』が流れててよぉ」

 カイメラは、十何人目かに契約した令嬢から聞いたらしい。


「まあ、森にちょっかい掛けようとする愚民共には、魔女の代わりにお仕置きした事もあるからな。ラモンとか、フィグとか」

 名前が挙がった国は、失墜の森に面する国々の中でも、軍事面の強化に力を入れている筈――そんな記憶を呼び出しながらフローリアは驚く。

(あのような大国にも“お仕置き”なんて……本当に、恐ろしい怪物なのね……)



「……それでお嬢さん、何で箒が欲しいんだい?」

「あ、そうでしたわ」

 魔女の言葉に、フローリアは思い出す。


 壮大な話に圧倒されてしまったが、自分の目的はただ一つ。

「実は、私……」



 恥を忍んで、自分の境遇を話す。

 聞き終えたカイメラと魔女は、揃って首を傾げた。

「婚約破棄、ねぇ……相手には確認したのかい?」

「いえ、聞くのが恐ろしくて……」


 カイメラはつまらなさそうに尻尾を振る。

「俺が見てきた奴らは、全員が『誤解だ』『そんなつもりは無かった』って言ったぞ。まあ、みんな国ごとくたばっちまったけどな」

 歴史書にある国の滅亡や統合は、カイメラのせいで起きていたのでは――フローリアはふと思った。


「で、箒が何の関係があるんだい?」

「エリオット様から婚約の破棄を告げられたら、私、笑顔でいられないと思うのです。だから、箒に乗ってすぐにでも消える事が出来るように……」

 その場面を想像し、つい涙が溢れそうになるフローリアを、カイメラと魔女は眉間に皺を寄せて見つめている。

「それに、そのまま修道院へ行けば、誰にも迷惑が掛からないと思うし……」

「迷惑だろ」

 蛇の尻尾も、困ったように頭を伏せた。



「……まあ、そんな事情なら協力してやるよ」

「本当ですか?」

 カイメラの言葉に、フローリアの瞳が輝く。

 しかし、すぐに表情を曇らせた。


「それで、お代の方は……」

 怪物の満足しうるお礼など見当もつかず、恐る恐る尋ねた。

「いいって。お前は素質があるしな」

 その言葉に、フローリアは首を傾げる。

 祖国を滅ぼす素質なら、御遠慮したい所であるが。


「お前さんは見た目で選んでいるだけだろう」

 魔女は碧い目を細めて笑うのであった。



「私は先に帰るよ」と魔女が絨毯を連れ帰った後――

「お嬢様!」

 いつの間にか人込みに溢れた市場の中にいたフローリアは、侍女の呼ぶ声で我に返った。


(あら……私、魔女様と……)

 周囲を見渡すが、魔女の姿は何処にもいない。


「お嬢様、急に飛び出しては……」

 血相を変えている侍女と御者に、フローリアは謝罪した。

「ごめんなさい。知り合いを見かけた気がしたのだけど、気のせいだったわ」

「知り合い? 市場に?」

 怪訝な顔をする侍女。

 誤魔化すように、フローリアは馬車へと急いだ。


(あれは夢だったのかしら……あら?)

 馬車の中で落胆するフローリアは、ある事に気付く。

 自分の膝の上には、金茶の毛が残っていた。



「よお、久し振りだな」

 伯爵家で夜を迎え、自室へ戻ったフローリアは、思わず悲鳴を上げる所であった。

 寝台の上で寝そべる、猫とも山羊とも言えない生き物の姿。


「カイメラ……様?」

「約束通り、持ってきてやったぜ」

 カイメラが尻尾で指す先には、壁に立てかけられた一本の箒。

 使用人達が使うような、特に何も変哲の無い箒に見える。


「少しそそっかしいけど頑張り屋さんだ」

 フローリアに箒の性格は分からないが。

「ただ、急造だから魔力が弱い。こいつを出来る限り、月の光に当てておけ」

「月の……光?」

 フローリアが窓を見ると、雲の切れ間から半月が顔を出していた。


「ああ。誰にも見えなくしているから、好きな場所に置いていいぜ」

「月の光で……魔力が?」

「まあそんな所だ。建国祭の頃まで蓄えておけば十分だ。お前が空を飛びたいと思った時、すぐ来てくれるぜ」


 フローリアが瞬きしている間に、カイメラの姿は消えていた。


 フローリアは試しに箒を持つが、ぴくりとも動く様子がない。

 跨って跳んでみたが、浮くことなく着地した。

(本当に、飛ぶのかしら……?)

 カイメラの言葉は俄に信じがたいが、今は、この箒に縋るしかなかった。


(光を当てるだけなら、私にも……)

 フローリアは箒を窓辺に立て掛けて――ふと気付いた。

 箒の柄と穂、どちらを上にすれば良いのかと。

(窓からでは、片方にしか光が当たらないような気が……庭の隅に寝かせておけばいいのかしら? でも……)

 この箒は誰にも見えないらしいが、誰かがうっかり踏んでしまったら――と外に出す事は躊躇してしまう。

 急に雨が降る可能性だってあるし。


 フローリアが出した結論は、自分で箒を持ち、窓から出し続ける事だった。

 あまり自分の腕が外から見えぬように、柄の先端を持つ――稽古で剣を持つ時の構えだが、練習用の剣よりも長いし、重く感じた。

(これは、辛いかも……でも、私やりますわ! エリオット様の為に……)



 腕の疲れや眠さを何とか堪え、己の体が限界を迎えそうな時に部屋へ戻す――

 フローリアの努力は、数日続いた。



 今日は、侯爵邸に通う日。

『次の訓練の後、二人で外出したい』――エリオットから、前日に手紙が届いていた。

「では身支度の道具がいりますね」とあれこれ詰め込んだ侍女と共に屋敷を出発した。


 侯爵邸へ到着すると、いつも通り出迎えてくれる婚約者。

「今日は、突然お誘いして申し訳ありません」

 フローリアの手を取り、彼は言う。

「いえ、とても嬉しいですわ」

 その言葉に、彼の笑みが揺らいだ。

「私の思い出に……いえ、何でもありません」

 呟く声は、少し、悲しみを帯びていた。

(思い出? 私との最後の外出だから?)

 婚約破棄されると信じて疑わないフローリアは、彼の最後の慈悲だろうと思う事にした。



 いつも通りマルティナと向かい合い、剣を振るう。

 一生懸命に打ち込む自分の攻撃を、余裕で受けるマルティナ。


 今日は、侯爵夫人と共に婚約者も最初から見守っている。


 こちらが数回打ち込んだ後に、マルティナは攻撃を繰り出す。

 いつもなら、フローリアの剣は弾き飛ばされてしまうのだが――


「ええいっ」

 フローリアは、マルティナの剣を押し返す。

(あら、私、いつの間にか腕力が付いたのかしら?)

 内心驚くが、それは相手も同じだったらしい。

 目を見開いたマルティナは、剣を持つ手を止めている。

 フローリアはすかさず踏み込んで――


「マルティナっ」と婚約者が叫ぶ声が聞こえた。


 重い衝撃を感じたのは、太腿の辺り。

 どうやら蹴られたようだ、と地面に倒れ込んだ時に気付いた。


(やはり、マルティナ様は強いわ……私では敵わないぐらい)

 足だけでなく、背中も痛い。

 しかし、フローリアは清々しい気持ちだった。

 おそらく、これがマルティナと剣を合わせる最後の機会。

 自分より、彼女の方がエリオットに相応しいと本当に諦めがついた。


「フローリア……」

 婚約者が近付いて来る。

 自分を助け起こそうとする動きを見て、フローリアは力を振り絞った。

「大丈夫ですわ」

 上半身を起こし、微笑んで見せる。

「しかし……」

 それでも、手を差し出してくる婚約者。

 フローリアはそれを取ることなく、ゆっくりと立ち上がった。

 絶えず苛む足の痛みに、必死で耐える。

「私、一人で立てますから……もう、心配ありませんわ」

(だから、貴方の手が無くても大丈夫)

 これが、フローリアの答えであった。


 自分はちゃんと笑えているのだろうか――

 そう心配になったフローリアを、三人は驚きの目で見つめていた。


「これでは、お出掛けは無理そうなので……私は失礼致しますね」

「あ、ああ……」

 呆然とした様子の婚約者。

「マルティナ様」

 無言で立ち尽くしていた彼女は、ぴくりと体を震わせる。

「後は、お願いしますね」

(どうか、エリオット様の事を……)

 フローリアの願いが通じたかは分からないが、彼女は身を固くしていた。



「本日もありがとうございました。では、失礼致します」

 侯爵夫人に挨拶をし、フローリアは馬車へと戻る。


 侍女に先程の出来事を説明すると、馬車は急いで医師の元へと走らされた。

『骨に異常は無さそうだし、痣もじきに消えるでしょう』

 その言葉に、侍女は胸を撫で下ろした。



 その日から、婚約者の手紙は毎日届いた。

 怪我は大丈夫かと問う内容が続き、フローリアは返事を書くのに苦労した。

 これで婚約者が責任を感じてしまったら……と懸念し、何一つ問題は無いという旨を言葉を尽くして書き連ねた。


 建国祭まで、彼は多忙で会えない筈。

(後はどう婚約破棄されるか、だけど……)

 どのような場所で告げられるのか、いざという時に箒は飛んでくれるのか……等、不安は募る。

 それでも、フローリアは今日も箒を掲げるのであった。

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