上中下の中
方向として今は南に向いて歩いている。高い山は今現在の右側に見える。左側にも山はあるのだが、右側のようなものではないし、高地といえば高地の感じである。道も徐々に勾配をもつようになり、そろそろ足がきつくなってくる。少年も迎えに来たと言う割には荷物を持ちましょうかなんて言ってこない。言われたって子どもに持たせるわけにはいかないのだが、何も言われないというのも引っかかるものがある。まぁ仕方がない。
さすがに喋りすぎたのか話すこともなくなったのか、黙々と歩くようになった。
あの山のてっぺんには何があるのか、途中に神社や寺があるのか、妖怪の話があるのか気になるのだが、なんて話しかけたらいいか見当がつかない。というか少年も全くこっちを見なくなった。疲れてきたのかね。
少年の選ぶ道は地図でそのまま昆虫館に向かう道のりである。となると目的地は昆虫館なのだろうか。
そういえば蝉の声がしない。この前にいた島では蝉の声と鈴虫かな、草むらからの虫の声も同時にしていて賑やかだったのだが、この島には蝉は入っていないのだろうか、鳥の声がするだけである。
などと思いつつも、山間部の道もさっきまで歩いていた海沿いの道のように、視界を遮るものばかりで開けた景色が見えない。たまに農地があってもその向こうが森で目を引くものは何もない。だんだんキツくなってくる上り坂に、軽くない荷物に暑い日差し、早く着かないかなぁとウンザリし始める。
見る物がないので自然に前を向いて、少年の背中を視野にいれつつ歩いていると、地図上では右に昆虫館に通じる道があるはずのところにその道が見つからない。
あれ?通り過ぎたか?と不安になる。この地図は道幅の縮尺の感覚がよくわからないので、今まで何度も細い道を見落として通り過ぎ、遠回りせざるをえなかったことがあるのだが、さすがに今回はなかったはずだぞ?とさらに歩くこと五分、四つ辻に着いた。
四つ辻には看板があって昆虫館はここを右に曲がるとあるのだが、いやいやいや、地図ではこの四つ辻は結構離れているから、と呆れていると、少年は左に曲がった。
そこでようやく声をかける。
「うむ、私はここで昆虫館に行くんで」
少年はこっちを向いて驚いた顔になり、非難する顔になったが、そもそも私は何時にどこに着かなければいけないのか聞いていないのである。
そもそも二時間近く歩いてまだ到着しない距離を、大人が車で迎えに来ないのは怒る人には怒る案件だろうけど、そこは私が歩くことを嫌っていないのと、もともと東崎灯台まで歩いていくつもりだったから怒るつもりなんてないのだが、島の目玉を素通りするのは抵抗がある。少年もそれは解ったのだろう、しぶしぶ一緒に右の道を進んだ。
四つ辻から昆虫館まで十分近く距離があるのだがそれはともかく、入館料を払い、ここは少年のぶんも出すかと思ったら、館の人と少年は顔見知りのようでそのまま顔パスで入った。まぁいいか。
そのまま視聴覚室に案内されビデオを見せられ、島の虫の生態の解説が始まるのだが、少年はビデオを見ずに展示室に行ってしまった。私も二十分スクリーンを見ていたが、いつまで続くのか見当がつかないのでビデオを止め、展示室に行く。
少年はロビーのソファに座って本を読んでいる。
別に少年に遠慮したわけでもないが、手早く展示室を周り、さまざまな虫の標本を見て外に出ることにした。
また十分かけて四つ辻に戻り、少年の行く道に進む。この道も東崎灯台に行く道なのだ。
この道は下り坂になり足には楽なのだが、相も変わらぬ山間部で見るものは青空しかない。なんで島に来たのに山の中を歩かないといけないんだと思いつつ、昆虫館に寄ったのは自分なのだから、それは少年のせいではないよなと、いつもの自分の旅そのまんまだと自嘲する。歩いて歩いて歩いて、変わんねぇなぁと思っていたら、それなりに拓けたところに出た。
何に使っているのか解らないが、牧草地か?左右に平らな広い土地が広がっていて、それでもその向こうは森なので見晴らしは相変わらずだが、開放感はある。
そしてそこに、ようやく他の人を見た。
男二人、女一人の三人が、車を停めて何かを探しているようだ、腰を下ろして地面に顔を近づけている。
しかし私たちに気がついたようで三人とも立ち上がり、声をかけてきた。
「ちょっとすいません、私たちはこういう者なんですけど」と懐からバッチを取り出す。私服か。
「お二人は家族ですか?親戚ですか?」
ほーらきた。いよいよICレコーダーの出番か。
「いえ、どちらも違います」と答えながら、女性が少年に話しかけている。同じ事を聞いているのだろう。
「どういうご関係ですか?」
聞かれてもねぇ。
「空港であの子から、着いてきてくださいと言われまして」
「空港から?ずいぶん遠くですが、車は?」
当然の質問である。
しかし目の端で、女性がどこかに電話をかけ、二、三言話して私の目の前にいる男に手渡した。
男は電話の向こうと少し話して、納得した顔で話し終え、女性に電話を返して
「なるほどわかりました。今回の事件の調査に呼ばれたのですね。探偵さんですか」
「いや、人違いなんですけどね、事件ってなんですか?」
「まだ何も言ってないんですよ」と少年。
「最近この島でですね、腹部が切り裂かれて人が死亡する事件が続いているんですよ。何かご存じのことはありませんか?」
「いや、さっき来たばかりですよ。何も知りませんよ」
「ああそうですか、別に疑うわけじゃありませんが、来たばかりの証明ってできますか?」
それは簡単だ。飛行機の搭乗券がある。
出すと男はちらっと見ただけで納得して返してくれた。
「一人で歩いている人ばかりが何人もやられましてね、目撃者もいないんで困っているんですよ」
うぅむ。具体的な情報を出さないのは警察としての天性なんだろうな。相手が犯人なり関係者なりで、口を滑らせたらみっけものということだろう。私には知ったこっちゃないんだけど、腹部を切り裂かれる、か。スパッと切られているのかグチャッと切られているのか、全く解らん。少年の目的地に着けば教えられるんだろうけど、
「大変ですね」としかいいようがない。
三人とも私が事件に関係ないことが解り、児童誘拐犯でもないことが解ったのだろう、それで放してくれた。
二人でまた歩き始めて、数歩。