もふもふに餓えた自分は、もふもふ以外のものでは納得したくない。
猫派なので猫が多いですが、犬だって好きです。
自分には定期的にくる発作がある。
ストレスが溜まり、自信が喪失し、自分の居場所など何処にも無いのだと、思えて仕方ない時。
そんな時にくる発作。
それは――――“もふもふしたい”だ。
うん、もふもふ。もふもふだよ。
猫とか犬とか、もしくはウサギとかの毛並みを容赦なく撫で回し、手の平や指、果ては顔をそこに埋める行為である。
子供の頃からたまに、この“もふもふ発作”が起きる。
ぬいぐるみでは絶対満足できない。
その時飼っていたのは、自分が物心つく前にすでにいたカメだけだ。
うちのカメはだいたい大人の片手に乗るサイズ。
とりあえず、常に無表情である。しかも甲羅硬い。もふもふとは程遠い存在だ。
だ……駄目だ! 毛のある四つ足が触りたい!!
実家では猫犬は飼ってくれず、やっと許してくれたのはウサギだった。
ウサギももふもふであり、かわいい。
長い耳に、息を吸う度にピコピコ動く鼻。
頭からお尻にかけての丸いフォルム。
ふわふわ、もふもふ、もこもこ…………
ウサギの毛って柔らかくて良い。
しかし、けっこう体が筋肉質である。両足で蹴られるとかなり痛い。でもかわいい。でもがっちり。
ウサギはだいたい大人しいので、撫でている間はじっとしてくれる。
一番のもこもこは首の毛だが、そこを触ると噛みつかれた。それ以外は毛並みに沿って撫でてあげればいい。
そして毎日エサをあげ、水を取り換え、敷きワラをキレイにする。これも、もふもふをさせてくれる彼女への感謝である。
そのウサギさんは八年生き、自分に筋肉質のもふもふを教えて、虹の橋を渡って旅立った。
素直に悲しんでいたが、一年くらいすると、再びもふもふ発作が出てきた。もうウサギはいない。カメはいるが。
「毛のある動物が触りたい」と、そう呟く自分。
「よし、触れ」と、母親がパーマ頭を向けてきた時は、本気でキレてケンカもした。
思春期だったから、危うくグレそうになったわ。
この間にセキセイインコもいたが、母親にしか懐かず、触れもしなかったので、カメと同じくもふもふからは除外する。
それから十年以上、もふもふ無しの暗黒期を耐え、大人になったある日。
『猫をもらってほしい』と職場の同僚にお願いされた。
コレきたぁあああっ!!
猫、猫を飼えるチャンスきたぁあああっ!!
実家暮らしの自分は、すぐに親を説得。
まずは、猫派であり穏やかな父親を味方につけ、最大の壁である母親を陥落させた。
決め手は『猫を飼うと運気が上がるよ?』(個人の意見です)
母親がこの頃、風水の第一人者、Dr.○パー氏にハマっていたので、運気とかなんとか言えば防御率を下げられると思ったからだ。
それから、すぐに我が家に来た猫は子猫とは言えない大きさではあった。だけど、とても大人しく頭の良い子で、抱っこの大好きな、もふもふし放題の猫様だった。
猫はウサギとは毛質が似ているのに、体の軟らかさがまるで違った。
『猫って液化するの!?』と思えるくらいに、くにゃんくにゃん体を曲げ、高いところへ平気でジャンプする。
仕事の休みの日は一日の大半を猫に費やすこともあるくらい、自分は完全にもふもふの付き人になって幸せに暮らした。
しかし、その子は体に生まれもって大きな病気があって、飼い始めて半年ほどで旅立った。
大好きな猫。可愛がっていた反動もあり一ヶ月ほどペットロスが続き、似た猫を外で見掛けては泣きそうになっていた。
半年ほどして。
そんな自分を見かねたのか、それとも本人ももふもふに餓えていたのかは分からないが、ある日、母親がたまたま覗いたペットショップで猫を衝動買いしたのである。
しかも、アメリカンショートヘアの子猫だ。
どうやら、ペットショップの店長がブリーダーで、通常では考えられない破格の値段だったとか。それにしても、血統書付きを我が家に迎えるとは思わなんだ。
もうめちゃくちゃ可愛がった。
写真も何枚撮ったか数えられない。
一日が早い早い。猫に時間食われているかと思うほど。
そして楽しく暮らして10ヶ月。
ある大きな出来事に遭遇した。
3.11 東日本大震災である。
幸いな事に、実家は津波被害を免れ、家族全員休日だったので家にいた。
しかし、揺れで家具はめちゃくちゃ。自分は冷蔵庫とカメの水槽を守っていたが、揺れが収まった後、猫がなかなか見付からずパニックを起こしそうになった。
結果を言うと無事だった。
部屋の隅のテレビ台の裏からフラフラと出て来た時には、泣きながら抱き締めてケージに避難させた。
不安と恐怖の一夜。にゃーにゃー鳴いている猫を落ち着かせることで、徐々に自分も落ち着いていったということ。
通常の生活に戻るまで、猫がいてくれたおかげで、殺伐とした気分にならずにいられたこと。
これは生涯忘れられないと思う。
そんな幸せ猫生活だったのだが、震災から一年半で別れを告げなければならなかった。
自分の結婚が決まり、実家を出ることになったのだ。
まぁ、実家は歩いて10分も掛からんし、好きな時に会いに行けば良いだろう。…………最初はそう思った。
しかし、二十四時間ネコムに慣れた体は、一週間ほどで猫成分が枯渇した。もふもふができないのが辛すぎる。買い物や仕事帰りにこっそり実家へ行き、もふもふする日々が続いてさすがに大人としてアカンと思った。
だが、やはり人間というものは、いつかその状況にも慣れてくるもの。
なぜ慣れたかと言うと、その時住んでいた家の近所が“猫天国”と言えるほど、近所の飼い野良問わず、うちの庭を集会場所にしていたのだ。
本来ならご近所トラブルものだが、糞さえされなければ問題はない。一目で10匹くらいを眺められるリアル猫集めで、実家のアメショーに会えない寂しさは和らいだ。
この間にうちでは一時的に実家のカメを預かった。
だが、カメはこのままうちで飼うことになり、正式に我が家の一員に。
さらに二年。
お盆の朝。庭でにゃーにゃーと…………なんと、産まれたばかりの子猫を発見!!…………した途端に、「仕事有るのに世話できないでしょ!」と母親が連れていってしまった。
うちでも猫を飼う野望は果たせない。
そして現在。
アメショーさんも天国へ行き、実家にはその時の子猫がすっかり貫禄をつけて座っている。
たまにもふもふしに行くけど『シャーッ!!』と言われることが多い。不機嫌そうでも触らせてくれたアメショーさんに会いたい。
我が家では子育ても忙しく、発作を起こしている暇はない。
だけど、たまにくるもふもふ発作が起きたとき、息子の脇腹やらふくらはぎやら触っている。本人はゲラゲラと笑っているので、悪い気はしていないと思う。
もふもふではなく、むちむちしているが気持ちいい。
「合法ショタ……」と呟いたら「止めぃ」と旦那さんに怒られた。
そんな我が家を、自分より年上かもしれないカメが玄関の一角から静かに見ている。
うちのカメの『カメコ』。
長年飼っていると、だんだん何を主張しているか解るようになりました。(主にエサの催促)
頭も撫でられるし、お手もします。
もふもふではないけど、じっと見てくる黒い瞳に癒しの効果があります。