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半日座り通しで硬くなった身体を、こっそり伸ばしている生徒が居る。
身をよじる程度の者も居れば、堂々と両手を組んで左右に伸ばしている者も居て、その表情には疲れと退屈が浮かび上がっていた。
誰かが時計の針をじっと見詰めている。
手元で回したペンを取りこぼし、机の上に落とした。
その音で居眠りしかかっていた生徒が驚いて目覚め、周囲を探って隣の者に笑われている。
シアは、板書を写し終え、真剣な表情で教師の語る話に耳を傾けている。
放課後まであと僅かといった頃。
壇上にあがった教師が、教本を手に語る内容は、最新鋭の魔術に関する話だ。
「――えー、これら道具の発達によりー、魔術の難度は極めて下がったと言われていますねー。複雑な構造体を持つ各属性の魔元素を、伝導率などの違いから辿る経路に指向性を与え、本来術者が体内の魔術回路や空中陣などで行う術式操作を代用出来るからですねー。高級な術式回路を埋め込まれた装具は、かつて大魔導士と呼ばれた人々しか出来なかった高位魔術の使用さえ可能になります。まーっ、そんなの買ったらというか、作った時点で魔女協会から追い掛け回されますけどねー」
その上装具を作る技術や、繊細な伝導率の調整などが出来る物質となれば、金や宝石類、育成も難しい植物などであり、材料費だけで相当額に及ぶ。
工業製品のように機械仕掛けで作れるのは未だ粗悪品ばかりで、装具は伝統工芸品としての高い価値を維持している。
桃色教師の言うような品を作ろうとすれば、開発費用だけで国が一つ傾いてもおかしくないのだ。
また、魔女協会は一定水準以上の魔術行使を可能とする装具の製造販売を一部飛行船などを除いて硬く禁止している。
手軽に家一つ吹き飛ばせる装具が屋台で売られていては、到底治安なんて維持できないからだ。
「とりわけ魔女協会から規制されているのはー、魔蓄量ですねー」
魔蓄、とは、魔力を溜め込む性質を持った物質にソレを保存する技術である。
通常時間と共に拡散してしまうか、放置されたまま安定を失った魔力が暴走してしまうものを、特殊な循環構造に置いて溜め込めるようになっているのだ。
「魔力炉による精製技術もそうですがー、溜め込みすぎた魔力の暴走は時に町一つを飲み込んでしまう場合もありまーす。十分な知識と技術を持った専門家が定期的に検査していたとしても、やはり危険は危険ですからねー。皆さんも家に帰ったら、冷蔵庫の裏を覗いて見てください。通常の魔力伝道管の他に、溜まった魔力を外部へ逃がす管がついて居る筈ですねー。古い使い損ねた魔力は洗い流し、常に新しい安定した魔力を供給出来るようになっていまーす」
ちょうどそこでチャイムが鳴り、桃色教師は手にしていた教本をぱちりと閉じる。
「はーい、ではこのままホームルームしますよー? おトイレ行きたい人はいますかー?」
そう言われては行くに行けず、何人かは我慢することにしたらしい。
準備良くホームルーム用の物も持ってきていたらしい桃色教師は、手近に居た従者へプリントを任せてしまうと、壇上脇に置いた椅子へ腰掛ける。
「ふぅ、今日も疲れたー」
アナタまだ仕事中です。
「皆も楽にしてくださいねー。お茶とか欲しい人ははじめちゃってもいいのよー? そしてセンセイにもくれていいのよー?」
実際それで金持ちお嬢様向けに用意されたお茶やお茶菓子が貰えるのだから、この教師も味を占めたものである。
優雅にお茶へ口つけて、歳若い女教師はほっこり頬へ手を当て言う。
「センセイも大変なのよねー。ずっと頭使ってるから甘いものが恋しくて恋しくて。あ、プリント行き渡ったかなー?」
最後の一枚を受け取ったキマリが、シアの机にそれを置く。
教師は熱い紅茶をぐいっと飲み干し、再び立ち上がる。
「それでは皆さんお待ちかねっ、第一回魔道選考会の開催でーすっ、いえーい!」
語られた内容に、緩みかけていた教室に少しの緊張が満ちる。
魔道選考会。味気ない名前ではあるが、要するに入学式であのハーヴェイ=ブルトニウムが言っていた称号の資格者を選定する測定会のことだ。
「選考会は年四回。今日から一週間後と、長期休みを挟んで二度目、その学期の末に三度目があって、一年の最後に四度目がありますねー。ご存知の方も結構居ると思いますけど、最終的に称号を与えられるのは四度目の時だけで、一回目から三回目まではざっくりとした目安だと思ってください。ただ、仮とはいえ資格者の指輪を与えられますから、学院内でそれなりの特権と、魔女協会からの支援を受ける事が出来ます。貧乏学生には嬉しい話ですねー、ウチそういう人少ないんですけどー」
また指輪は装具としての力もあり、一時的にではあるが魔女の力を育むのに大きな助けとなってくれる。
優秀な人間には早々に特権と力を与えてやり、一気に押し上げていく、という方針なのだろうか。
「参加希望者はプリントの下を切り取って提出してくださいねー。選考会の二日前には簡単な一次審査を行って、受かった人は入学式のあの会場で選考会です。第二回からは普段の成績次第で一次通過もありますけどー、まー最初はまだ分からない所もありますので、特例無く一次通過が必要になりまーす。うん、このパイシューおいしいっ」
というわけで、一週間後に選考会が開催されると通知された訳なのだが。
※ ※ ※
放課後、学院内にある休憩室で集まった少女たちがしていたのは、選考会の対策などではなく、品評会だった。
「やはりエリティア様でしょうかっ。クラインロッテ家は魔道の名家、エリティア様も幼少の頃より卓越した魔女であったと聞き及んでいるんですのっ」
「あらぁ、ノークフィリア家のご令嬢をご存じないのですかぁ? 僅か十二歳でこの学院へ入学した天才児と言われていますのよぉ?」
「わたくしにも聞き覚えがあります……。高等部までを飛び級で進学し、既に称号をお持ちなんだとか……」
「でしたらぁ、学生向けの称号には興味ないのではありませんかぁ?」
「いいえ、かのご令嬢は既に参加を表明されたのだとか……」
「あらっ、それでは我がクラスのエリティア様と並ぶ筆頭候補ということですのねっ」
「一つ、面白い話を存じております……」
「何かしら、とっても興味ありますのよっ」
「実はこの学院の代表であるハーヴェイ様が後見する方が今年ここに入学しているとのことですの……」
「まあそれは大変っ。でも今までそのような高名な方がいらっしゃるなんてどなたからも聞いた事がないんですの」
「爪を隠していらっしゃるのかしらぁ? それともぉ、ただ後見しているというだけなのかしらぁ?」
「残念ながらお名前までは……。入学すれば自然と分かるものと思っていたのですけれども……」
右から栗色髪を三つ編みにしているフィレット家のご令嬢、次に赤毛を巻いているアン家のご令嬢、最後に黒髪をまっすぐ垂らしたノーア家のご令嬢。
三人共入学当初からエリティアを経由してシアと仲良くしてくれている人たちだ。
とても気さくで嫌味のない、けれどしっかり周囲を見て行動の出来る、優秀な成績を持っている人でもあった。
財も家名も才覚も申し分ない。
だが、彼女たちは称号獲得を目指してなどいなかった。
「エリィ、優勝できそう?」
お菓子をじっくり楽しんでいたシアが、ようやくといった所で問いかけると、三人は眉をあげ、アン家のご令嬢が両手を合わせて言う。
「優勝ぉ、というのではないのですよぉ、シア様ぁ?」
「そうなの?」
頷くのはフィレット家のご令嬢だ。
「選考会、と呼ばれていますけれど、内容は会場でのパフォーマンスをしてみせるだけですのっ」
「ぱふぉーまんす?」
「えぇ。魔女術を用いて直接審査員に感応の質や力を見てもらうんですのっ。先日行った天球図での測定結果が、前もって審査員に配布されていますから、具体的な数値を前提として、数値化できない部分を実力を持った魔女や魔導士に審査してもらうんですのっ。ふふっ、当日は通常ではお会いできないような方々もいらっしゃるとのことで、今からとても楽しみですのっ」
にっこり笑うフィレット家のご令嬢の脇で、ノーア家のご令嬢が少しだけ陰のある表情でカップを置いた。
「今年度はとても優秀な方が多いようで……わざわざ一年遅らせた甲斐がありました……」
「あらっ、年上だっただなんて初めて知りましたのよっ?」
「いえ、どうか今までどおり接してください……。父の方針で……称号獲得最後の機会となる今年に合わせたのですわ……ふふふ」
「クラインレスト学院ではぁ、二十歳まで入学が可能ですからね。ノーア家と繋がりを持てた事、嬉しく思っておりますのよぉ?」
「わたくしも、フィレット家やアン家の方とこうしてお茶を愉しんでいられるなんて、とてもありがたいお話です……勿論、シア様とも」
「ええっ、妹が出来たようで嬉しいんですのっ」
「そうそぉう。こんなに愛らしい友人が出来るだなんてぇ」
フィレット家のご令嬢とノーア家のご令嬢に挟まれ、猫可愛がりされるシア。
正面からアン家のご令嬢が両手を伸ばしているが、乗り遅れた為に混ざれず頬を膨らませている。
そんな彼女らを静かに眺めながら、キマリは音も無く空いたカップへお茶を注いでいく。
いつもならここにクラインロッテ家のご令嬢、エリティアが加わるのだが、今日は家の用事で早々に帰ってしまっていた。
「ふふっ。あ……っ」
身を乗り出していたフィレット家のご令嬢が勢い良く戻ってきて、危うく手が触れそうになった。
無礼にならない範囲でやんわりと避けるが、驚いた彼女はもとよりシアの元へ乗り出して不安定になっていた為、姿勢を崩して椅子から落ちかけた。
そっと腰元へ、そして手を掴んでキマリが支える。
「申し訳ありません」
「………………いえ」
身を委ねられたまま熱っぽい視線を向けられて、キマリは浅く目を伏せて助け起こす。
手を離す時、その指先が手のひらを撫でたのを感じながら、黙々とカートへティーセットを戻してキマリは下がる。
後ろで、
「…………今のをご覧になりましたのっ? 私、キマリ様からあんなに熱い抱擁を……っ」
「あぁ、なんて凛々しいのかしらぁ。羨ましいのですわぁ」
「でもいけないんですの……っ。シア様の従者とはいえ、あんなはしたない事を許してしまうなんてっ」
「あらそれなら……今度は私が指を絡めていただきますわ……?」
「キーマリー」
――抱擁もしてないし指を絡めてもいませんからそんな目で見ないで下さいっ。
目を伏せて立つ他家の侍女たちに混じって、キマリも静かに四人の姿を伺う。
こそこそと声を潜めた談笑は、しかし意外と耳に届いてしまうもので、少女たちの行き過ぎた信頼(強調)に少々困ってしまう。
いつからこうなってしまったのか。
少女、などと称しているが、実際に二人は同じ年齢で、一人は年上だ。
箱入り娘としての経験を持っているキマリだったが、ここまでの信頼(大切)には覚えが無い。
気がつけば三人のお気に入りとなったキマリが直接の給仕をすべて任されることになり、今も三家の侍女たちが愉しそうに嬉しそうに迎えてくれている。
お嬢様方へ応じる以外の雑務を任せてしまえるだけに、またシアと離れる時間も短く済む為に、これは非常に楽であるのだが、なんだかちょっと釈然としないキマリであった。
やがてお茶会も終了し、三人とも別れたキマリとシアは、日の暮れ始めた道を二人歩いていた。
装飾としての石畳と壁面に貼り付けられたレンガの赤がこの都市には多い。
大通りからは外れているせいか、馬車が通るのも稀で、歩道と車道の区分けもない。
等間隔に立ち並ぶ街灯は、早くも光を帯びていた。
途中屋台で買った大判焼きを分け合いながら、買い物袋を片手にキマリが言う。
「予定していた通り、第一回と第二回は不参加とします」
「うん」
「本命は第三回、そして三回目で称号資格を獲得した後、指輪の力を用いて後続を引き離す。シア様の地力は優れていますが、まだまだ最先端の魔道論には馴染んでおらず、対策不足です。四回全ての選考会に、毎回最高の状態に合わせていくのは非常に大きな負担ともなりますから、安定感の出てきた時期ならともかく、伸び盛りのシア様にとっては成長の妨げとなるでしょう。大丈夫です、このまま成長を続けていけば、必ず第三回の選考会で『空衣』の称号を獲得できます」
キマリの口調には淀みが無く、強い確信を持っても居た。
「称号授与は毎年必ず席が埋まるものでもありませんが、ヴァルプルギスの夜へ繋がる最後の機会とあって、有力な候補が幾つも居ます。ただ、その性質には偏りがある。エリティア様も、噂の天才少女とされるフィーリス=ノークフィリア様も、その他の方々も、概ね『空衣』ではなく、『神無』の称号獲得に偏っています」
卓越した感応能力を持つ者に与えられる、『空衣』。
最も強い現実侵食力を持つ者に与えられる、『神無』。
入学式でハーヴェイ=ブルトニウムはそう語っていた。
またこれは一般にも知られている事でもある。
魔女術における基礎となる二大要素だが、重要視されるのは後者の方だ。
感応能力の高さは魔女術の規模に大きく影響を与えるが、過ぎた感受性は魔女の心を押しつぶす事もある。
諸刃の力である上に、力のぶつかり合いとなった場合は侵食力がものを言う。
重要な要素であるのは間違いないが、軽視されがちなものでもあった。
同時に、シアの力を最大限活かせるものでもある。
そこを狙う。
まだシアではエリティアやノークフィリアの令嬢には技術面で届かない。
半年以上の時間を準備に費やしても、まだ駄目だ。
ヴァルプルギスの夜までと、始まってから終了までの期間、それだけあればシアは十分に塔の魔女となるだけの力をつけられる。
それだけの才能を秘めた原石なのだと、キマリは確信していた。
「まあ、シア様のお力を皆に示せないのは、ちょっとだけ不満ですけどね」
「気にしないよ」
「私が自慢したいんですよー」
「ぁ……」
シアの手にしていた大判焼きを横から齧る。
抹茶クリームの深い甘みと、大判焼きのふわりとした生地の食感が口の中に広がった。
「んー」
「はい、私のは白餡にお餅入りです。おいしいですよ?」
「んっ………………おいしい」
「ほっぺに抹茶クリームついてます」
「んん」
今の所、シアは称号を競い合う候補者としては認識されていない。
測定内容は意図的に抑えてあるし、技術不足なのも確かである。
キマリはシアの頬から顔を離し、自分の大判焼きを渡してしまう。
右手に抹茶クリーム、左手に餅白餡を手にしたシアはほくほく顔でじっくり味わっていく。
そんな彼女を眺めるキマリはやわらかく微笑んでいて、
「フィレット家、アン家、ノーア家と繋がりを持てたことも、いずれ有利に働くでしょう。あの三名は称号獲得を目指していません」
この世界における神、塔の魔女を、この学院に通う全員が目指しているなど、そんな夢を見ていられるほど現実は甘くない。
単純な数値上の頂点を確保すればいいのでもなく、感応という、心を主軸とした不安定な力を支えにしている魔女術は、鍛え上げること自体が極めて困難だ。
候補者の殆どが鍛え易い技術を競い合う『神無』を目指していることからも、それは察せられるだろう。
長く魔女として生き、多くの人々と接していれば自然と現実を知る。
有象無象の、金銭を得て生きていけるだけの専門家では足りない。
頂点を極めたその更に先、一握りなどと称するのもおこがましい、神の座へ至ろうというのだ。
諦めるというのが普通だろう。
「今はまだ、誰につくかを決めかねているのだろうと思います。第三回の選考会で力を示し、シア様こそが塔の頂に至ると確信させれば、きっと支援を申し出てくる筈」
だからこそ、彼女たちは力ある者を探している。
塔の頂に至り、世の理を御する魔女となれる才能を見出し、その後押しをする為に。
塔の魔女。
塔の守護者となる、魔女の使い魔。
そして魔女の手足となって世を動かすことになる、支援者たち。
神の後ろ盾を得た家門は繁栄を約束される。
塔の魔女を目指すのではなく、塔の魔女となりうる者を探す為。
資金面だけではない。
強力な後ろ盾を得れば身を守るのに役立つし、その逆もある。
不老不死の者まで居るという塔の魔女も、資格を得るまではただの人だ。
何より、各家門が秘奥している術や装具を得られる可能性もあるのだから、そうそう無視は出来ない。
「キマリが居れば大丈夫」
「おっと栗餡は渡しません私のです」
紙袋の入った買い物袋をひょいと持ち上げ逃がす。
実の所二つ丸々は多いと思っていたのであった。
ただ、
「…………半分だけでよければ差し上げますよ?」
「ありがとう」
魔道を専攻する学校や行事では慣習として三角帽子やインバネスコートを身に着けるが、魔女協会を訪れるとスーツ姿のお姉さんが受付に座っている。