8
夕暮れになっても、キマリは戻ってこなかった。
二人をおしゃべりをしたり、明日からの授業の予習をしたり、トランプのゲームをして遊んだりした。
二人分用意されていたお昼を侍女にあたためてもらって食べ、気になって冷蔵庫のソレを時折確認したりして、最初は庶民のお部屋というものを興味深そうに見て回っていたエリティアが、飽きて外へ出掛けようと誘ったけれど、流石に出歩くなと言われているのでシアは断った。
休憩した後に飾り付けを自分たちだけで行い、今か今かと待ち構えていたのだが。
「帰ってこないわね」
「……うん」
「向こうで捕まってるのかしら。でも連絡もなにも無いなんて……」
と、チャイムが鳴った。
顔を向けるシア。エリティアが慌てた様子で道具を探すが、見付からない。
鍵の差し込まれる音に、ゆっくりと回って外れる音がした。
急場に弱いらしいエリティアが目を回しつつあったが、シアは素早くソレを彼女に持たせ、自分でも手前の紐を持ったまま待ち構える。
「申し訳ありません、シア様。いろいろとあって遅く――」
パン――と二人の手元から音がして紙吹雪が舞った。
遅れて隠れていた黒服たちが、シアたちによって飾り付けられた花冠や色紙を輪にして繋げたものを纏ったまま現れて、クラッカーを鳴らす。
しばし、キマリは目を丸くしていた。
進み出たシアが代表して、今日の目的を打ち明ける。
「お誕生日おめでとう、キマリ」
「ぁ………………」
「ふふーんっ、私が教えたのよっ。それでシアと一緒に朝からケーキを作ってたのよ!」
じゃーん、と彼女が示すのは、キマリの帰宅に慌ててお菓子先生が取り出してくれた手作りケーキだ。
流石に出しっぱなしには出来ず、先ほどまで冷蔵庫に仕舞われていた。
「キマリ、大丈夫?」
「……え? あ、はい。大丈夫です。そうですか、お二人でそんなことを…………ありがとうございます」
呆けていたようだったが、膝をついてシアの手を取ると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
ただ、右手一つでそうしたことに、一ヶ月キマリの行動を見ていたエリティアは首を傾げる。
心なしか身体を傾け、左側を隠しているように見えた。
「キマリ、どうかしたの? その、左……」
左、なんだろうか、と考えるエリティアに、キマリの恨みがましい目が向けられる。
「え? え?」
「察しが悪い癖に、嫌なときだけ鋭いんですから……」
「キマリ、左手……」
「隠し通せるとは思ってませんでしたが、予想外だったので……こうなるなら包帯くらい取ってくれば良かったですね」
「っ――! アンタそれっ」
差し出したキマリの手は、小指と薬指が、手首までを絡めて包帯が巻かれていた。
長い手指が美しかっただけに、それはとても痛々しくて、
「協会へ向かう途中、転んでしまいまして。運悪く小石を巻き込んで、少し手のひらを切ったのと、痛めてしまっただけです」
血は止まっているのか、包帯に赤い所はない。
軽く指を動かしてみせるキマリは、普段どおりに痛そうな様子もない。
「包帯は大げさですよ。二日か三日ほど様子を見て、違和感がなければ外していいそうです。幸い左手で、小指と薬指ですから、普段どおり食事の用意などはこなせます」
「どうして転んだの?」
「それは……ええと」
キマリは、シアというより、エリティアを気にした様子だったが、やがて主人を見返すと、観念したように言う。
「協会へ向かう途中、騒がしい市民団体を避けて裏道を使ったら、そこで、呪術師に襲われてしまいまして……」
「っ――!?」
予想通り息を呑むエリティアに、彼女は苦笑いする。
「実際、大した術者じゃなかったようで、何も無かったんですが、つい転んでしまいまして。幸いにも市民団体を見張っていた警邏の方が見つけて下さり、相手は何もせず逃走しました。捕まったのかどうかは、まだ分かりませんけど」
「キマリ」
「はい」
「おかえりなさい」
「はい……。はいっ、ただいまもどりました」
両手を首へ回されたので、素直にその身を抱いて、キマリは、シアは、互いの頬に体温を預ける。
浮かしかけた腰をなんとか下ろしたエリティアは、盛大にため息をついて、身を背もたれに預けてずり落ちていく。
「怖かった?」
「えぇ……もう全身真っ赤の変態でした。ドレスも赤、髪も赤、爪も靴も靴下も鞄もみんな赤だらけで、たぶんアレは睫やアイラインまで全て赤でしたね……肌を赤く塗っていないのが不思議なくらいの変態でした」
うわぁ、と侍女たちまでもが顔を引きつらせた。
黒服たちはあまりの事に決意を新たにし、音もなく周辺警戒を強化していく。
「許せないわね」
立ち上がったエリティアが腕を組んで言う。
「私の友だちの従者に傷を付けられて、黙っていたんじゃクラインロッテ家の名が泣くわ。まだ犯人が捕まっていないなら、ウチから人を出させてでも捕まえないと」
「いえ……私がただ転んだだけですので……」
「そいつがそんな所に居なければっ、キマリだって怪我しなかったじゃない!」
「ですが、その、私からは申し上げにくいのですが……塔の周辺に大量の人員を送り込むと、多分、魔女協会と揉めることになりませんか?」
「それはっ…………んんん、そうだけどぉ……」
「どうしてエリティア様がそんなに辛そうなんですか。私は無事です。それよりも、今日は私の誕生日を祝って下さるんでしょう? そちらの方がずっと大切です」
言って、シアから身を離して手を繋ぐ。
二人はエリティアの対面に回ると、シアに引かれるままキマリもソファへ腰掛ける。
ローテーブルの上には、二人が作ったケーキと、市販の焼き菓子が広がっている。
侍女が素早くお茶の準備を始めるが、出てくるのには間があるだろう。
「そういえば、大判焼きを忘れていました」
「残念」
「けどシア様、このケーキとクッキーの世界に大判焼きを加える気だったんですね」
「おいしいよ?」
「では、シア様のお誕生日には、私がケーキとクッキーと大判焼きを作って差し上げますね?」
シアは嬉しそうに笑い、繋いだままの手をきゅっと握った。
「たのしみ」
※ ※ ※
ひとしきり騒いだ後、疲れて眠ってしまったお嬢様二人へ薄手の毛布を掛けた。
並んで眠る姿は微笑ましくもあり、さあ片付けだと食器に手を掛けた所で、後ろに控えていた侍女がやんわりと制してきた。
パーティ向けの派手な三角帽子を被っていた彼女は、それを脱いで胸元で抱える。
「片付けは私たちで行います」
「いえ……私も同じ従者ですので、お構いなく」
「この場でそう考えているのは、貴女だけですよ、キマリお嬢様」
とりわけ派手な飾りつけをされた黒服が、侍女と同じく進み出てくる。
彼はサングラスを取り、その奥にあるとても柔らかな目を向けてきた。
「ここに居るのは皆、エリティアお嬢様が幼少の頃から付き従っている者です。ですから、当時からお嬢様と仲良くされていた貴女のことは、皆も良く知っております」
驚いた様子のキマリに、片付けに集まってきていた侍女と黒服たちが気恥ずかしそうに微笑む。
「何よりお嬢様は、貴女を今でもかけがえの無い友人であると思い、随分と前からケーキ造りの勉強をしていました。我々のような者が敢えて申し上げるのは失礼かと思うのですが、そこはまあ……キマリお嬢様も今は同じ従者であるということですので、僭越ながら」
「本っ当に……キマリお嬢様がご無事で良かったです」
「ええ。再会なされた時も、皆して夜通し良かった良かったと語り合ったものです」
「ですからっ、どうか今は、その怪我を労って、早く治してシアお嬢様を安心させてあげてください」
結局ぞろぞろと集まってきてしまった彼らに、キマリは力の抜けた笑みを浮かべて食器から手を離した。
ぽすんとソファに腰掛け、痛めた左手をもう片方の手でさすりながら、
「ありがとうございます。それでは、今日は甘えさせていただきます」
後日、彼らにも何かお礼をしよう。
そう考えてキマリは任せる事にした。
眠る二人を眺めつつ、夜の音を聞く。
ガラス戸の向こうから虫の鳴く音が聞こえてくる。
風と、近くの家からか、うっすらと聞こえる談笑の声。
食器を洗いながら僅かな音しか立てない技術はさすがと言うしかない。
「ケーキ……とてもおいしかったです」
食べながら何度も口にした言葉を、またこっそり語りかける。
「自分の誕生日なんて忘れていました。それを、こんなにいっぱいの人に祝ってもらえるなんて、そんな時があるなんて、思ってもいませんでした」
小さく喉を鳴らして身をよじるシア。
ずり落ちた毛布を、寄っていって掛けなおす。
前髪を撫で、指先で美しい白髪を整える。
照明の光を浴びて、ほんの少しだけ青の混じった白。
とても綺麗だ。新しく用意する夏物をどうしようかと考えていたけれど、白を中心にしようかと思う。
青も悪くないけれど、やっぱり白だろうか。この髪を最大限美しく魅せるにはどうするべきか、ついつい指先で弄んだまま考え込んでしまう。
どちらも、シアにはきっと似合うことだろう。
もう少ししたら二人で買い物に出掛けよう。
思っていると、隣で情けない寝顔を晒していたエリティアがシアへ寄りかかり、抱きついてきた。
「今日は一日シア様を取ったんですから、エリティア様は誘ってあげません」
ピン、と撫でる様に指を弾いて額を叩いてやる。
後ろで侍女が微笑ましそうに笑ったものだから、流石に恥ずかしくなった。
仕方ないので主人に八つ当たりを続ける。
「てい……ていてい」
「あい……あいった」
指先で軽く額を小突いているだけなのだが、本当は起きているんじゃないかと疑いたくなるくらい、一々反応を返してくる。
最終確認で両頬をつまみ、ちょっと強めに広げてみた。
びろーん。反応なし。
「…………エリティア様も、ありがとうございます」
「………………………………むふふふふふふふふ」
急激に緩む頬に、キマリの顔がカッと朱に染まった。
瞼をぱっちり開いたエリティアの、海のように深い蒼の瞳がしっかりキマリを捉えてくる。
「お・き・て・た・ん・で・す・ねぇぇぇぇっ!」
「むふふふふ、っふぁっふぇふぁんふぁふぁふぉもふぃふぉふぉーふぁっふぁふぁふぁ――痛い痛いほっぺた痛いぃぃっ」
「そのまま伸びてしまいなさいっ」
「ていっ、ていていっ」
「黙りなさい」
「えりてぃあさまも、ありがとうございます……」
「今の記憶を失うくらい追い詰めてさしあげましょうか……?」
「やだこの子目が本気なんだけどっ、だれかたーすーけーてーっ」
「生憎黒服と侍女の方々は買収済みです」
「ひいっ、いつの間にっ!?」
「エリィのほっぺたぷにぷにー」
「あらシア様も起こしてしまいましたか」
「ちょっとぉっ、主従して私のほっぺた摘むなぁぁぁぁぁああああっ!」
「半泣きになったエリィは一番輝いてる」
「そしてシアさまいつの間にエリィ呼び」
クラインロッテ家の侍女や黒服は皆魔術の使い手であり、魔道の名家は古くから門下の者を使用人としても扱うことがある。ヴァルプルギスの夜では見境なく人質を取って暴れまわった者もおり、係わる全ての者が強者であらなければならない。