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案内された教室では、早速ハーヴェイ=ブルトニウムの陰口で盛り上がっていた。
階段状になった縦長の教室には長い机があり、生徒数に比して随分と広さに余裕がある。黒服を侍らせたエリティアを見れば納得といったところではあったが、彼女の家、クラインロッテ家の名声を聞き及んで、既に教室には完全なる勢力図が出来上がりつつあった。
「魔道の最高峰だなんて聞いていたけれど、古臭いばかりで見るところなんてないわね」
「そうですわね、教師もなんだか華がありませんし、結局魔導士というのは塔の魔女に成り損なった人の事でしょう? そんな人に教えられて、私たちの才能が埋もれてしまったらどうしてくれるのかしら」
「そうよねぇ、結局自分の才能は自分で磨くしかないのよ。頑張らないといけないわね」
「まあエリティア様は努力家なんですね」
「え? そ、そんなんじゃないわよっ、けどウチは代々魔女の家系もであるから、私も塔の魔女を目指さなきゃって、えへへ」
実にチョロい、などという内心での感想は置いておいて、キマリはまたも素早く確保した端の席にシアを座らせ、扇で風を送っていた。
「涼しいですか?」
「うん、ありがとう」
「はい」
シアは大丈夫だと言っていたが、やはり慣れない暑さは知らず疲れを貯めてしまうものだ。
足取りに乱れはないが、起きてからではいけないと、キマリは水筒からハーブティーを注ぎ、軽く含ませる。
「ちょっとっ!」
少しして、陰口大会も落ち着いたらしく、エリティアが勢い込んでやってきた。
「はーい、皆さん席に着いてくださいー。センセイのお話がありますよー?」
きたのだが、ちょうど教師が入ってきて自由時間は終わった。
エリティアはとても何かを言いたそうにしていたが、生真面目さ故か、机へ乗り出した身をおずおずと引いていく。
「隣、座らないんですか?」
「えっ?」
驚きは笑みに変わり、染めた頬が緩むが、
「エリティアさーん、先生が着てますわよー?」
先に約束をしていたのか、親から手を離された子どもみたいに涙ぐんで席を離れていった。
ともあれ、仲間のところへ戻った彼女は、また楽しそうに小声で談笑しつつ、教師の声を聞き始めるのだが。
ところでシアが、
「分かってて言った?」
「まさか。自分の従者が信じられませんか?」
「キマリは優しいね」
「ええそうでしょうとも」
「後で誘おう?」
「………………はい」
などと、中々に油断ならない優しさを発揮していた。
そして。
「はーい、それでは本日はしゅーりょーですー。明日から通常授業が始まりますので、今日はよく寝るんですよー?」
桃色髪の教師による説明が手早く終わり、解散となった。
初日とあって浮き足立っていた雰囲気が、それで一気にタガを失い、クラスメイトたちが談笑を始める。幾人かの従者が用意していたお茶やお茶菓子を教室外から持ち込み、早くも教室は談話室に変わろうとしていた。学校側も慣れているのか特に何かを言う事もなく、残る生徒の従者へ鍵を渡して去っていった。たぶん、最後の行動はあの桃色髪の教師特有だと思われる。
魔道の名家、クラインロッテ家の次女であるエリティアの周りにも、大勢の人だかりが出来ていた。
各家の従者たちが牽制し合う中、当のお嬢様方は裾を乱しながら金髪ツインテールへ詰め寄っている。
「失礼致します」
ところが、キマリが声を掛けると、途端に教室から物音が消えた。
異様なほどに澄んだ声は、ある意味凶器じみた鋭さを以って人々の意識へ入り込む。
驚き、注目、間、を経て、集まる視線から身を引き、彼女は後ろでのんびりと成り行きを眺めていたシアを示す。
「エリティア=クラインロッテ様、シアお嬢様が昼食を一緒にいかがですかとお誘いなのですが、いかがでしょうか」
問いかけにエリティアは声も出せずに何度も頷くと、そそくさと帰り支度を始めた。
先行くシアをつんのめりつつも追いかけて、慌てた黒服が追いかけていった最後、キマリが完璧な所作で教室内へ礼をする。
「それでは皆様、明日よりシアお嬢様をよろしくお願いいたします」
ある者はシアの名を、ある者は名も知らぬ従者を、クラインロッテ家との繋がりから入学式前の騒ぎまで、扉が閉まると同時に情報収集を始めたが、結局シアの名を知る者は一人も居なかった。
ただ一人の生徒がぽつりと、
「じゅ、従者にしては……とても綺麗な方でしたわね」
呟きに、幾人かの少女が頬を染めて頷いた。
※ ※ ※
「ちょっ、ちょっとぉ」
学院を出てしばらく歩いた頃、ついてきていたエリティアが早くも息を切らせていた。
街並みはすっかり繁華街に近くなっており、人の流れは一定に、けれど時間帯もあってかまばらな状態だった。
学術都市ウインスライトは街中に大小さまざまな水路があり、緑がある。
公園も多く、学生が人口の半分近くを締めるとあって、手軽に買える屋台なども数多くあるのが特徴だ。
姉妹のように仲良く手を繋いで歩くキマリとシアに対し、エリティアはふらふらと二人についていくばかりでまだあまり話せていないのだった。
ふらつくクラインロッテ家の次女に黒服たちが心配そうな顔をしているが、一応周辺の安全確保に奔走しているようなのでキマリも多少気を緩めてもいる。
道の途中、呼びかけに足を止めた二人が、バテたエリティアに振り返る。
「相変わらず体力は無いんですね」
「わっ、私はヒール履いてるんだからっ、ちょっとは気を使いなさいよねっ」
普段馬車ばかり使って歩かないのだろう、えっちらおっちら追いついたエリティアが手鏡で前髪を整えるが、汗で張り付いてしまっている分はどうしようもなさそうだった。
「ゆっくり歩いてるよ?」
「いつもはこの三倍の速度で歩きます」
「早歩きー」
桃色髪の教師、略して桃色教師の真似をして間延びして言うシア。
癖になってはいけないが、今はエリティアが居るので家に帰ってから注意しようとキマリは思う。ちなみに早歩きは嘘だ。
「はあっ、っん、もぅ……やっぱり、アンタ結構変わったのね、無理もないといえばないんだけど」
拗ねるように言うエリティアにシアの目がキマリへ向く。
キマリはシアへ微笑み返し、手の甲へ口付けてから手を離す。
「キマリ?」
「はいっ」
二人から距離をとったキマリに目が集まる。
風が一際強く彼女の髪を打ち、大きく靡かせた。
月の光を集めたような美しい白金の髪が、太陽の光の中で輝きを放つ。
伏せ気味なキマリの表情はあまり見えず、けれど口元はすこしだけ固く引き結ばれている。
一方エリティアのツインテールも同じく煽られ、隣に立っていたシアの額を打った。
「あいった」
ぺしーん、とキマリにまで聞こえてくる音。
「あーっ!? ごめんなさい!?」
「凶器。駄目」
「やーっ、引っ張らないでよーっ」
「ツインテールは凶器」
「ちーがーうーのーっ、でもごめんね?」
「うん」
そうして風が去っていった後、二人の耳にころころと笑うキマリの声が入ってきた。
彼女は興奮と少しの羞恥に頬を染め、まさしくただの少女のように笑っている。
置いていかれた二人は共に首を傾げた。
大きく息を吸ったキマリは、溜まった熱と共に息を吐き、改めて向き合った。
「それではお二人の交友に先駆け、私の話をさせていただきますね」
けれどやはり、少しだけ表情は固かった。