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やがて小さなてのひらは  作者: あわき尊継


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 事件からまた半月後。

 エリティアの魔女術によって傷は癒えたものの、心の疲れはいかんともし難く、しばらくは学院を休んだ。


 驚いたことに、キマリはエリティアとその護衛たちを認識阻害によって登校しているように見せかけていて、事情を説明して初めて学院側も気付いたのだという。

 これには担任の桃色髪の教師も、


「やー、センセイ仕掛けるのは得意なんですけど、仕掛けられるのって苦手なんですよねー。あ、この話代表にはまだ言ってない? あぁ、あぁぁぁ……やっぱ、言います? あのぉーセンセイのお給料とか待遇とか体罰とかに影響が出るんでその…………ハイ、ごめんなさい」


 などと言いつつ、しっかり警邏隊や都市議会へも取り計らってくれて、クラインロッテ家が他家を襲撃していたという疑惑は綺麗に消え去った。


 ノークフィリア家の令嬢からは『付き人の管理くらいちゃんとしてよねっ』とまた嫌味を言われたのだが、本当のことなので素直に頭を下げると『な、なによっ。別に言い過ぎたとか本当に知らないっぽかったからって、私が自ら事件を再調査とかしてないんだからねっ』と、いつか聞いた裏道の少女についての裏づけを聞かされたりもした。彼女なりに、選考会前で対立候補者の調子を崩してしまったと気にしていたらしい。


 逃げ出した当時、家から移されていたエリティアの祖父や黒服たちだが、彼らはエリティアが故郷へ戻ったものと思い込まされて普通に過ごしていた。

 呪術における記憶操作の凄まじさを、後からになってまで思い知らされた。

 彼らはシアとエリティアが一人ひとり慎重に呪術を解除していき、現在では普段通りに戻っている。

 ただ、侍女は、ノークフィリア家の襲撃などもあり、再び警邏隊に捕らわれている。戻ってきていたのは、ただキマリに逃がされていたかららしい。彼女が罪悪感故にそうしたのかは、エリティアには判断できなかった。



 赤い女の呪術師を発端とする事件。

 統一性の無い狙いと、移動時間的にありえざる発生時刻。

 先に捕らわれた大穴で潜伏していたという呪術師と、キマリの捕らえていた赤い女と、侍女が扮していた事件。


「一人歩きした呪術師の噂に次々色んな人が乗っかって、それぞれに都合の悪い相手を襲って消してたんだって……」

 クラインロッテ家が持つ屋敷のバルコニーで、エリティアは椅子の上で膝を抱えながら言う。

 対面にはシアが居て、先ほどから彼女はずっとエリティアの愚痴とも報告とも言えない話を聞いている。

 時頃は既に夜。

 ここ最近都市上空には薄い雲が掛かり、今日も月明かりがどこか遠い。

「皆、分かってて放置したのよ。使えると思ったから泳がせることにして、最後は一人に責任を押し付けようなんて、ふざけんじゃないわよ……」


 今の時期、ウインスライトには大勢の候補者や称号保持者が集まってきている。

 そこに魔女の天敵として知られる呪術師の噂。

 隠れ蓑にして手を回すならこれ以上無いものだったのだろう。


 全身を真っ赤にした、なんていう分かり易い格好も、模倣犯にとっては都合が良かったらしい。


 事件を起こす直前で服を着て、襲撃後に脱いでしまえば、狂人故にまともな思慮などないと言われている呪術師を捜索する者たちからは最高の目くらましになることだろう。

 多少勘付く者が居たとしても、候補者の排除などという強硬手段を考える者たちが、捜査する警邏隊には紳士であったとは思えない。


「ただ、ね。えとね……あの部屋に居た真っ赤な女の人なんだけど、たぶん、本当に……呪術で人を襲ったりしてないみたいなの……」


 今回の事件で魔女協会から派遣されてきた専門家によると、呪術を使用した人物と使用された人物には表面上同じく呪印、魔女の口付けが刻まれるが、入ったものと出たものでは、呪印の付き方が違うらしい。単純な話、渦の向きが逆なのだ。

 少なくともあの呪術師は、呪術を使えるようではあったが、実際には人を襲っていない。

 例外は偶然遭遇したキマリだけ。


 キマリが赤い女に扮して襲撃を行った可能性もあるけれど、違うとエリティアは思っている。


「キマリは……だってさ、あの子、結局一番の障害になってた二人を襲ったりなんてしなかった。ウチの侍女の子が自分でやっただけで、キマリが操ってやらされた訳じゃないんだって。もし本気で襲おうとしたなら、呪術を使えるあの真っ赤な女の人を使っただろうし。だから、ね?」


 キマリは誰も傷付けていない、そう言いたかった。


 けれど、シアはじっと黙って話を聞いているだけで、何も言ってはくれない。


 エリティアは首を振った。


 嘘だ。


 キマリは最も傷付けてはいけない人を傷付けた。


 一番の被害者であるシアを前に、自分自身大変な目に合わされていながら、それでも擁護の言葉が溢れてきてしまう。

 殺し合いと言ってもおかしくない対峙をしておきながら、彼女の中では大喧嘩以上の扱いになっていないのだ。

 あまりにも甘い。

 けれど、そうまでしてでも捨て切れない。


 今の自分を生んでくれた、今日ここに立っている理由となった、夢をくれた大切な友だちだから。


 だから、キマリが目覚めて以来、言葉を交わすこともしなくなったシアを、彼女はどうしても仲直りさせたかった。


    ※   ※   ※


「今日は何月の何日ですかっ」


 長く眠り続けていたキマリは、目覚めてすぐにそう言った。

 偶然彼女の世話をする侍女たちを見に訪れていたエリティアは、日付を聞いて崩れ落ちるキマリを見た。


 両手で顔を覆い、またあの、枯れ枝を軋ませるようなすすり泣きをする。


「間に合わない…………」


 呟きに、あぁそうなんだと納得した。


 エリティアはキマリの能力を信じている。

 彼女が出来ると言えば出来るのだろうと思うし、出来ないの言うのなら、もうどうあっても不可能なのだろうと思える。

 また別の手段を捜すにしても、あれほどの劇的な変化を起こした呪術以上の手段など、もう何処にもないだろう。


 キマリは両手をだらりとさせると、糸の切れた人形のように動かなくなった。


 遅れて、話を聞いてやってきたらしいシアが前に立っても、彼女は何の反応も示さない。

 何か言ってやれば、と声を掛けるようにエリティアは言ったのだが、


「…………」


 シアは無言で首を振り、あっさりと背を向けると部屋を出て行ってしまった。


 以来、黒服の護衛も断って一人でクラインロッテ家の屋敷から学院へ通っている。

 一度はアパートメントへ戻ろうとしたのを、エリティアが必死になって止めた成果でもある。

 そして彼女は学院での勉強や課題を淡々とこなしつつ、以前そうしていたように、別クラスのシャルロッテ=トリアと食事をとったり、放課後遊びに行ったりしているようだった。

 キマリの部屋にも訪れることはなく、キマリもまたシアへ呼びかけたりはしなかったから、誰もその破綻を止められなかった。


    ※   ※   ※


 椅子の上で膝を抱えていると、昔を思い出す。

 まだキマリが無欠の天才などと呼ばれていなかった時代。


 優秀だったお姉さんのサラサに比べて、エリティアと比べてさえ、当時キマリは失敗ばかりだった。


 何一つ上手くこなせず、けれど姉譲りの負けず嫌いで何度も何度も失敗を重ねて、上手く出来ないことが続くとこうして椅子の上や小さな隙間へ潜り込んで膝を抱えるのだ。


 サラサは人に教えることは出来ても、導くことは苦手で、欠点や不足があれば容赦なく指摘してしまうから、幼かったキマリにとってはとてつもない否定に思えたのだろう。


 そうだ。

 最初はエリティアが教える側だった。

 一生懸命キマリが分かるよう言葉を考えて、拗ねてしまったら手を取り、一緒にやろうと誘う。

 後になって幼い頃から天才児だっただのと好き勝手に誇張した捏造に晒されたが、彼女がその才能を開花させ始めたのは、姉のサラサが塔の魔女になってからだった。


 元より姉が大好きだった彼女は、サラサの栄光を我が事のように喜び、憧れ、元からの負けず嫌いで終わらず、献身的なまでの努力をするようになった。


「あの子は、本当に一生懸命だったの。どんな小さな事でも徹底していって、たぶん、どんな失敗も見逃さなかったお姉さんが居たから、そんな人に憧れたから、余計にそうなっていったんだと思う。けどね……そんなあの子の頑張りを、認めたくない人が居たの」


 塔の魔女は死者ですら蘇らせた。


 この世のあらゆる現実を書き換え、奇跡を起こす。


 ならばと、過去ある試みが行われた。


 つまり、塔の魔女を生み出す。

 一々争いを生むヴァルプルギスの夜など起こさず、最初から次代の魔女を作ってしまえば、その能力も安定して高く、継承時の混乱も少なくなるのではないか。


 だが、実際にはそう何もかも都合よくはいかない。


 エリティアが重症のキマリを癒したように、噛み合いさえすれば魔女の力は絶大な効果を持つ。

 けれどあれは、極めて効果が限定されている。

 一角獣の伝説と、森の涙による癒しは、純潔の乙女以外を絶対に癒すことが出来ない。

 しかも状態を完全に固定させる為、結局エリティアは丸二日眠らず術を持続させた。

 そうまでしてもキマリの体力は完全には戻っていない。


 自ら生み出した幻想を、心の何処かで否定してしまえば、どんな完全な結果を齎す下地を用意したとしても完璧に再現されることは無い。

 あまりにも鮮烈なキマリの血まみれになった姿が頭から離れなかったから、きっと完治できなかったのだと思う。


 だから、塔の魔女を生み出すという試みは失敗した。


 けれど人々の記憶には、一人歩きした塔の魔女の万能さだけが残り、やがてその矛先が塔の魔女を姉に持つ、完全無欠の天才と呼ばれた少女へ向けられたのだ。


「偽りの天才。人造人間。イカサマ姉妹。ミュータント。他にもうんざりするくらいの汚い言葉でキマリは呼ばれた。あんなに必死になって頑張って、ようやく身に付けた才能を、何にもしてない自己満足や薄っぺらい自尊心の為だけに穢されて…………けど、あの子自身は全く相手にしてなかったから、私も出来るだけ気にしないようにしてたの。だけどね――」


    ※   ※   ※


 魔女の適正を失った当初、キマリは、そうなんだ、という程度にしか思っていなかった。


 姉に憧れていた自覚はあるし、それで魔女術を学んで、それじゃあ同じ場所へ行ってみようかな、なんて考えてもいた。

 けれどあの時、キマリにとって塔の魔女は選択肢の一つに過ぎず、昔から姉にもそう諭されていたおかげか、いろんな分野にも興味を持って触れるようにしていた。


 エリティアにはああ言われたけれど、昔のキマリは、負けん気こそ強かったけれど、元より失敗することには慣れていたから、自分で見切りのついた分野からはすぐ離れていた。だから魔女としての道にも見切りをつけて、それじゃあ何をしようかと考えていた時期だった。


「聞いた? あのミュータント、塔の魔女にはなれないんだって」

「ああ。適正が無くなったんだって? 改造にでも失敗したんじゃないのかな」

「あははっ、そりゃ笑える」

「まあ誘拐されたって噂もあるけどさ。でもよかったじゃない」

「んん?」

「だってあの子、昔からイカサマとかミュータントとか、いっぱい呼ばれて来た訳でしょ?」

「姉が塔の魔女サマになった途端、出来損ないが天才サマになるんだもんなあ」

「昔っから天才だったなんて、分かり易い情報操作までしたんだよな。で?」

「いやあんたら酷すぎるって。だって証明されたじゃない」

「なにが?」


「あのミュータントが塔の魔女になることはないのよ? お姉さんに頼んで天才にして貰ったんなら、そんなことにはならないでしょ。だから、これであの子はようやく本物だったんだって証明されたのよ」


 それが最初の棘だった。

 小さな小さな、けれど決して引き抜くことの出来ない、奥底に刺さった棘。


    ※   ※   ※


 「――だからあの子が塔の魔女に拘ってるって訳じゃないと思うんだけどね…………でも、きっとそんなことを言われてすっごく傷付いたと思うの。だから、それで許せなんて言えないんだけど、あれだって結局キマリが話してた同級生に酷い事したのかもしれないけど……」


 話を聞いたのは事件からかなり経過した頃だったから、詳細についてエリティアは分からない。

 ただ、もし自分がそんな話をしているクラスメイトを見付けたら、思いっきり叩いてしまっていただろう。


 結局話を確かめることが出来ないまま、キマリは失踪してしまう。


 会う約束をしていたと聞いたから、行方不明になったキマリについて何か知らないかと聞いたとき、サラサは直前にした話を教えてくれた。

 あれは説明というより告解そのものだったが。


 ただ、これは言わなくてもいいだろうとも思った。

 キマリの事情でもあったけれど、姉のサラサにとっての罪だから。


 抱えた膝をぐっと引き寄せ、エリティアは息をつく。

 シアは変わらず話を聞いてくれているけれど、以前のようにやさしい返事はしてくれない。


 キマリの過去について語れるのは、これが限度だった。

 だからここからは、今の彼女について。


「えと、ね? 私が……キマリと再会して最初に驚いたのはね、あの子が、地面に膝をついた時だよ」


 入学初日、シアの友だちになって欲しいと言われたあの日、キマリはベンチに座る二人に対して膝をつき、双方の手を取った。


「別に、絶対膝をつかないなんてプライドがあった訳じゃないの。ただあの子、昔からお姉ちゃん子で、家族からも可愛がられてて、手も、足も、膝小僧なんて真っ白で、傷跡とか、痣とか、それこそマメとか痕がついてるなんてこと、一度だって無かったの」


 当時は運動もしていなかったから、怪我をする機会は限りなく少なかったことだろう。

 そういう周りの気遣いを分かっていたから、キマリはしゃがむ時も膝をついたり、手をついたりはせず、スカートごと足を抱き込んだりするだけで、地べたに腰を降ろすことさえしなかった。

 当然、名家の末っ子お嬢様が炊事や洗濯などする筈もなく、元から少し長かった手指はいつもすべすべで、肌だってきっと、いつかシアにそうしていたと聞いたように、スポンジすら使わず人の手で洗っていたのだろう。それも自分の手では荒れてしまうから、きっと侍女や家族の手で。


「だから、火傷の話を聞いた時はすごく驚いた…………あの子の肌に傷が付いてるなんて、私考えたこともなくて。けどあの子は気にしてないって、言い張るみたいにしてたから私もあまり言えなくて、っ、ずず…………ごめん、ごめんね……なんだろうね、こんなことで泣きたくなるなんておかしいよね……。でもさ、あの子は絶対に、シア一人に何もかも押し付けてたんじゃないって、私は思うの。うぅ…………っ、泣くなよ私ぃ……」


 あの呪術による睡眠学習だか調整だか、散々シアを苦しめていた時だってそうだ。


 キマリは常にシアと同じだけの毒を自分自身に盛り続けていた。いや、シアの身を守る為に自分の事など顧みず呪術を使っていたのだと思う。

 それが免罪の理由になるとは言えないけれど、固くなっていたキマリの手に触れる度、どうしてもエリティアは辛くなった。

 火傷の痕を見た時など、きっと自分自身についた方がマシだっとさえ思っていた。


「ずずっ…………キマリは、きっと……シアを本気で塔の魔女にしようと、っ、思ってたんだよ。その為に、何一つ妥協なんてしないで、自分の……あの子の、あんなに綺麗だった身体をぼろぼろにして、尽くしてたんだって、私は思いたい……っ、……」


 献身。


 それこそがキマリの本質だ。

 自分勝手なことも言う。周りを巻き込んで滅茶苦茶なことをした。


 けれど彼女は呪術で誰かを貶めようとはしなかったし、自分に異常な愛情を向けていた侍女でさえ一度は助け出している。

 もっと楽な方法はあったのだと思う。キマリが本気でシャルロッテやノークフィリアを狙っていれば、二人ともどうなっていたかは分からない。呪術師の女の人を最大限利用してあらん限りの被害を撒き散らし、自分自身は隠れたまま事件を利用する手だってあったかもしれない。

 もしくは捕らえたエリティアやシアを支配して、思うが侭に操れば、選考会に出る審査員や学院の教師を操ってしまえば…………なにせ彼女はエリティアの存在を、あの百人以上もの人々が過ごす学院で偽装し切っていたのだ。学院に逃げ込めば、過去称号を持っていた大勢の魔導士(メイガス)を連れて来れば、彼女を抑え込めるだろうという目論見さえ間違っていた可能性がある。


 結果的に選んだ方法が正しかったとは言わない。

 より悪い選択肢があるだけで、やるべきではない事を彼女はした。


 それでも、キマリはシアに尽くしていた。


 全身全霊の献身で以って、彼女を塔の魔女にするべく生きていた。


 それだけは、何があったって、エリティア=クラインロッテは信じている。


    ※   ※   ※


 砂漠の夜は冷える。

 これも日中同様保護されている筈だったが、やはり昔話をするには向かないのかもしれない。


 膝を抱えるエリティアは、組んだ手指を擦り合わせつつシアを見た。


 ここしばらく、まともに喋ることもしなかった少女は、



「……………………知ってるもん」



 なぜか、頬を膨らませて、とても不機嫌そうにしていて、エリティアを強く見詰めているのだった。


「え? え?」


 混乱するエリティアに、シアはそれ以上なにも言わなかった。


 ただようやく、雲が晴れて、星の光が降り注ぎ始めていた。





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