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二年前、キマリが魔女の適正を失った後、エリティアは時折様子を見に行っていた。
純粋に彼女が心配でもあったし、後々知ったことだったけれど、姉のサラサに続いてキマリの後援も画策していたクラインロッテ家としても、この事態に対応を決めかねているらしかった。
不審極まる事件は未だに解決しておらず、キマリ自身も手掛かりを掴めていないようだった。
ただ、エリティアからすれば大切に思っていた親友を励ましたり、一緒に遊べる事が単純に嬉しかったのだと思う。
当初キマリは平然としていた。
魔女の適正を失ったことそのものは驚いていたけれど、今日着ようとしていたお気に入りの服が汚れていた、くらいの扱いで、相変わらず無邪気にいろんなことへ興味を持って勉強したり、実験したりしていた。
だから大丈夫なのだとエリティアも思った。思っていた。
いつからか、キマリは笑顔を見せなくなっていった。
素直で甘えんぼだった彼女は時折おどろくような皮肉を口にするようになって、でもエリティアが困ってしまうとすぐ自分の言葉を訂正して謝ってくれた。
これは人伝に聞いた話で、未だに半信半疑の事だけど、当時通っていた学校でキマリが暴力事件を起こしたらしい。
教室で話し込んでいた三人組へ突然魔術で襲い掛かり、二人を重症、一人を意識不明に追い込んだとか。
結局話はすぐ有耶無耶になって、この噂を教えてくれた人も故郷の母親が体調を崩したとかで居なくなってしまった。
キマリとは、中々会えなくなっていった。
直接話して、噂なんて出任せだと言って貰いたかった。
大人たちの言う変な話の一つ一つを、あの子の無邪気な笑みを見れば幾らだって否定できると信じていた。
二年前、キマリと会った最後の日。
おじいちゃんと一緒にいろんな人と会いに出かけていたある日、昔から世話をしてくれていた黒服が近くにキマリが来ている事を教えてくれた。
久しぶりに姉のサラサが、塔を降りて会いに来ているのだとか。
お手洗いに行くと嘘をついて逃げ出し、外で合流した黒服と手引きを手伝ってくれた侍女とでキマリが居るという別荘へ向かった。
キマリは、中庭にぽつんと一人で立っていた。
今まで彼女の周りには大勢の護衛や教育係なんかが張り付いていたから、なぜかとても寂しそうに思えて、エリティアは庭の花壇から一輪拝借して、そっと近寄って背後からキマリへ飛びついたのだ。
「キーマリッ!」
驚かせるつもりだったのだが、キマリは突然後ろから抱き着いてきたエリティアをチラリと見ると、瞬き一つ置いてまた前を向いてしまった。
「無視しないでよぉ……」
ぎゅぅぅう、と抱き締めて、それでも反応が薄かったから、手にしていたシロツメクサを目の前に翳した。
「はい! プレゼントっ!」
「………………ありがと」
「いいえ~。っふふ!」
ようやく言葉を返してくれたのが嬉しくて、エリティアはキマリの手を引いて庭のベンチに座らせ、自身もすぐ隣へ腰掛けた。
「あのねっ、私ねっ、新しく三つも楽器を覚える事になったんだー」
「…………ふぅん」
「それでねー、今日は先生に会いに来たんだけど、キマリもこっちに来てるって聞いて飛んできたの」
昔から習い事は多かったけれど、ここ最近は特に増えた。
前ほど時間が取れなくなって、遊び時間も減っていたから、そうしてキマリと会えたのが嬉しくて仕方なかったのを覚えている。
「えとね~、新しく始めたのはチェロとハーモニカとホイッスルっ。元々ピアノとヴァイオリンやってたのは知ってるでしょ? でも三つとも全然違って、難しいんだぁ。でもね、特にホイッスルは演奏してる音楽聴いてすっごくわくわくしたんだー。なんかこう、踊りだしたくなるみたいなの。ねえっ、キマリも一緒にやってみない? 一緒の習い事始めたら、また前みたいに会えるよね?」
すごい名案だ、と我ながら関心した。
きっと昔からなんでも出来てしまうキマリだから、すぐ追い抜かれてしまうのだろうけど、二人で楽譜を眺めて演奏するというのはとても楽しそうに思えた。
夢中で最近覚えた習い事を片っ端から紹介して勧めていると、いつしかキマリが肩を震わせて笑っていた。
「ふふふ…………エリィ、本気で言ってるの?」
「え? うん。おかしい、かな?」
目元に涙さえ浮かべて笑うキマリは、一度大きく深呼吸すると、顔を俯かせたままもたれかかってきた。
「私、魔女じゃなくなっちゃったんだよ……?」
「…………そうかもしれないけど、私、キマリといろんなことするの好きだし……ねえ、どれか一つでもいいから、一緒に習い事しようよぉ」
「えー、でも絶対私の方が先に上手くなるもん」
「そしたらさ、私の先生やってよっ」
「一緒に習うんじゃなかったの?」
「私キマリから教えてもらうの好きだよー? 分かり易いし、おっ、私上手くなってるって分かるし、楽しいし」
またコロコロと笑い、少しだけ身を縮めてお腹をさすった。
「…………でも私は、塔の魔女にならなきゃいけなかったんだよ」
「……そんなに、塔の魔女になりたかったの?」
「別に」
と、言って笑う。
なぜ笑ったのかエリティアには分からなかった。
「でも……やっぱり塔以外に道はなかったんだなって、最近はずっと思ってる」
その時だった。
エリティアが、きっと生まれて初めて、本気で何かを目指そうと思ったのは。
「だったら――」
だったら、私が塔の頂へ連れてってあげる。
魔女は無理かもしれないけど、自分と契約して、使い魔として、一緒に塔の頂を目指しましょう。
そう言えていたら、何か変わっていたのだろうか。
けれど、思ってしまったのだ。
優秀で何でも出来てしまうようになっていたキマリに対し、エリティアは何一つ彼女ほどに上手く出来た覚えなんて無かった。
特別出来ないことは無かったが、どれも平均的で、それこそ世界の頂点である塔の魔女を目指そうなんて、口に出来なかった。
考え込んでしまったエリティアを、顔をあげたキマリが不安そうに見てくる。
「――っうん!」
決めた。
そう手を握って、ベンチに座るキマリの前へ躍り出る。
今はまだ、堂々と口になんて出来ないけれど、今日から、今この瞬間から、本気で塔の魔女を目指そう。
先だってヴァルプルギスの夜の開催が宣言されたばかりで、これはきっと運命だとも思った。
参加資格である称号を手に入れたら、改めて彼女の前に立って言うのだ。
――どうか、私と一緒に、塔の頂を目指してください。
だから今は言わない。
「この後やる事が出来たから、今日はもう帰るね」
「ぁ……………………うん」
「また遊びに来ていい?」
「いいよ……うん」
少しだけ、キマリはまた笑ってくれた。
そうしてエリティアは塔の魔女となるべく鍛錬を始めた。
しかし翌日、キマリは誰にも何も告げず、失踪してしまうのだった。
※ ※ ※
キマリが部屋から出て行ったのを確認して、エリティアは手元のハンカチを調べ始めた。
ここ最近では時間さえあればソレを解除するべく試行錯誤している。
まず、魔女術を行使しようとすると、呪術による精神汚染が始まる。
けれどコレは段階的なもので、強く感応すれば意識を保つのも難しくなるし、実際に発動までいけば一瞬で意識を落とし逃げる所ではなくなってしまった。
緩い感応のままであれば、それほど強い汚染は受けない。いい加減慣れてきたとはいえ顔が熱くなるし、衣服に肌が擦れるだけで昂ぶってしまうものの、まだ意識を保ったままでいられる。あとは、自分がどれだけ理性的でいられるかだ。
問題は解除の方法だ。
感応することで通常よりも遥かに精密な内部の構造を感じ取れる。けれど魔女術を使えば意識を持っていかれるから、手段は魔術以外にない。
感応によって魔術の構造を把握しながら、魔術で鍵を開ける。
実際に錠前となっているのではない。
キマリの作ったこの拘束の魔術はとても複雑で強力ではあるけれど、魔女であるエリティアの感応はその構造故の脆弱性にも触れる事が出来る。
魔力とは、常に特殊な循環状態に無ければ霧散するか、悪ければ暴発してしまう。
こうして一度発生させた魔術でも、それを持続させる為にどこかで魔力を溜め込んでいなければならない。
通常これは予備としての手段で、術者が直接供給し続けて、眠るときなどに利用して意識の無い間も持続させる為の手法だ。
けれどキマリは呪術の行使に、シアの調整に全てを集中しなければならない。
同時にこの手法は柔軟性がない為環境の変化に弱く、空気中から水中へと変わるだけで破綻する場合もある。
キマリがそこまで脆い状態にしているとは思えないが、例えば授業で習った冷蔵庫のように、使用し切れなかった魔力というのはキマリが直接魔術を再調整して洗い流さなければいつまでも内部に溜まっていく。
エリティアが自ら魔力を送り込まなくとも、自然と拘束を破壊するだけの魔力は溜まっていくのだ。
後は脆弱な部分を的確に破壊していけば、溜まった魔力は循環構造を維持できず、術式ごと自壊する。
キマリがシアに集中するからこそ、そしてエリティアの力量を軽視しているからこそ、これは成立している。
「べー、っだ」
扉の向こうにあかんべーして、金髪ツインテールことエリティアは手元の観察を続ける。
軽視とはいったが、この魔術が極めて解除の難しいものであるのは確かだ。
一つ二つ機構を破壊しても、別の部分が代理で魔術を継続させてしまうことは、今日までに分かってきている。
もたつけば自動的に修復されてしまうだろうし、最悪扱いを間違えれば自分の腕を吹き飛ばしかねない。
明らかにエリティアの力量を超えた、成熟した魔導士にだって容易く解除は出来ないのではないかと思えるものだった。
「でも……」
ベッドで眠るシアを見る。
友だち。友だちだ。
彼女を助けたい。
具体的にどうするかなんて分からない。
最悪おじいちゃんに頼み込んで無理矢理にでも何かの称号を得られないかとも考えたが、呪術によるシアの成長を促そうとするキマリは何かに憑かれているようで納得してもらえる自信はなかった。
迂闊なことを言って警戒されては、折角進めてきた解除の道も薄くなってしまう。
結局、力技でキマリをねじ伏せてでもこちらの話を聞かせるしか、思い浮かばなかった。
それくらい彼女の行動は常軌を逸している。
薬だ毒だのと言われても、呪いで魔女の技量を磨けるなんて信じられない。
シアが鼻血を流していた光景は今でもエリティアの目に焼きついている。
このままでは、どうしようもない結果が待っているのではないか。そんな不安が渦を巻いて胸の内にわだかまっていた。
今出来る事は――
「あの変な先生が用意した課題も、結構役に立つじゃないの」
長期休みの課題は学院側が基本として出しているものと、担任教師が用意したものがある。
特別課題としてエリティアが貰ったのは、複雑な構造を持つパズルだった。
一抱えほどもある軽石は、最初楕円形をしていたけれど、実際には細かく分かれたパーツの集合体だ。
一つ一つ外していって、中央の板に書かれた言葉を見つけなさい。それが課題の内容だった。
最初パーツを外すのは簡単で、外から摘むだけだったが、途中で様子が変わっていった。二箇所や三箇所と同時に外さなければ抜けなくなっていたり、外し方に工夫が必要だったり、昔キマリとやった知恵の輪のようになっていたのだ。
半分も進んだ頃、更に構造が複雑化した。
既に引き抜いた穴の側から押してやらないといけなかったり、触れることも出来ない内部のパーツを稼動させたり、つまりは手を使わない手段によってしか外せないようになっていったのだ。
結局、完全に解体するまでは進められていない。
けれどその考え方は、この魔術を解く上で大いに役立った。
様々な効果や役割を複雑に持つ魔術は、言ってしまえばあの軽石のパズルと似ている。
一箇所だけを破壊してはすぐ修復されるから、同時に。
触れ合った状態では破壊した途端に魔術の解除を察知されてしまうから、作った隙間へ別のものを差し込んだり、と。
自分が馬鹿正直で応用が苦手なのはエリティアも自覚している。
あの手この手と考えるより、基本を真っ直ぐ高い精度でこなす方が得意だ。
けれど、それではノークフィリアに勝てなかった。
自分の気質や得意に甘えることなく、いろんな方法を知っていけと、諭されたような気がした。
複雑な手段も慣れてしまえば基本をこなすことと大差が無い、というのもパズルをしていて覚えたことだ。
エリティアはじっと、魔術の構造を読み取りながら、何度も何度も手順を検証し、頭の中でそれを完成させていった。




