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やがて小さなてのひらは  作者: あわき尊継


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 「お姉ちゃんっ、ねえっ、聞いてお姉ちゃんっ」


 まだキマリが天才とは呼ばれていなかった頃。

 幼少のキマリは本当に御伽噺のお姫様みたいな姿だった。

 ふわふわした白金色の髪に生花の髪飾り、フリルたっぷりのドレスは袖口から裾まで星を散らしたように輝いていて、なのに太陽のような笑顔を放つ姿は、きっとどんな人でも心を奪われたことだろう。


「待たせてごめんよ、キマリ」


 対し、お姉さんは月夜のような静けさを持つ人だった。

 女性にしては長身で、スカートよりもパンツスタイルを好む彼女は、どちらかといえば男性的な美しさがある。

 短く切った髪と、磨き上げられた刃のような雰囲気を見せることがあって、当時エリティアからすれば近寄り難い緊張感を放っていたのだが、キマリは尻尾があれば千切れ飛びそうな勢いで姉を追い掛け回し、擦り寄り、甘えていた。

 姉に近寄る人が居れば不満そうに膨れていたし、姉から離れて行ってしまった時は捨てられた子犬みたいにぽつんと座り込んで、いつまでも戻ってくるのを待っていたのだ。


 そして戻ってきた姉を見ると、もう我慢できないとばかりに握った両手と一緒に足元で何度も跳ねてみせる。

 手の動きと足の動きを切り離せないキマリは、今思い出しても素晴らしく可愛らしかった。


 歳の差もあって、五つにも満たなかったキマリを抱き上げる姿は、男装じみた姉の姿もあって、王子様とお姫様にも見えた。というのは少々色目が入っているけれど、どちらも心から相手を想っているのが分かって、エリティアはあまり声を掛ける事が出来なかった。


「あのねっ、折り紙してたのっ。それでねっ、私っ、鶴が折れるようになったんだよっ」

「ほぅ……見せてもらってもいいかな?」

「ふふふっ、お姉ちゃんにだけこっそり見せてあげるねっ」


 持っていた折り紙を、秘密の宝物を見せるような仕草で、抱き上げられたまま差し出す。


「鶴、か。なるほど、紙一枚をこんな風に形作る事が出来るんだね。興味深い」


 キマリを降ろし、手にしていた鶴を受け取ると、いろんな方向からじっくり眺める姉も、また随分な変わり者だったと思う。


「ぁっ………………」


 そして一度好奇心を持つと周りが見えなくなる所があった。


 折った鶴を淀みなく一枚の紙へ戻していく姉に、キマリはとても悲しそうな顔をしたけれど、折り目を確認している彼女はすっかり妹の事を忘れて見入っている。


「なるほど」


 そして広げた紙をキマリにも見えるよう地面に置くと、折り目の一つを指差して、


「キマリ。ここの折り目が少し粗いね。キチンと角から角へ線を通さないと、紙自体が極めて精巧な正方形を作っているだけに折り進めるほど歪みが大きくなるんだ。完成した鶴の翼や首は見た目上は綺麗なラインを描いていたけど、後の折り方で調整しているせいで、やはり全体像としては少し歪んでいる。紙は薄いとはいっても折ればズレが出来るし二度三度と折り進めれば厚みが出てくるのも原因だろう。また、折り直した箇所は紙自体が脆くなって一枚の平面を維持し辛くなるんだ。ピンと張っているべき先端がつぶれていたのはこの為だ」


 指摘するほど不満そうににふくれていくキマリに気付かず、熱心に折り紙の不出来な点を指摘していく。

 初めて目にしたにも係わらず正確に物事を理解して、原因を究明する。

 才能があるとエリティアが称した通り、彼女はこれを、目にしたあらゆる魔術にも適応させた。

 魔女でありながら優れた魔導士でもあり、平時から魔術を扱っていた彼女は一度目にした魔術を再現することを得意としていた。

 なにもその場で完璧に再現はしない。今日の最先端魔術は、そう簡単に解析し切れるものではないからだ。優れた魔術とは精巧な芸術品でもあると言われる。けれど、一度興味をもったものはじっくり時間を掛けて法則性を理解し、やがて必ず再現してみせる。


 ともあれ、コレは彼女にとっては趣味のような、どんなことにもつい発揮してしまう思考の根のようなもので、


 やはり彼女は顔を真っ赤にしていく妹に気付けない。


「っっっ~~~! 私の……鶴っ、上手く出来てたもん……っ」


「いいや。今言った事をしっかり守れば、もっと綺麗な鶴が折れ――」

「お姉ちゃんのばかぁっ! きらいっ! ぼくっねんっっじん!」

「キマリ!? あっ……」


「っ! っ! ~っ!」


 遅れて気付き、慌て出す時には、キマリは悔しそうに姉の身を何度も押す。

 小さな身体では小揺るぎもしないけれど、彼女からすれば必死の講義だったろう。


「キマリ、朴念仁というのは本来素朴で物分りの悪い人を指す。こういってはなんだが、私は理解力には自身がある。朴念仁は誤りだ」

「あってるもんっ! お姉ちゃんはぼくねんじんだもん! ぼくねんじんっ!」


 そしてキマリは逃げ出し、何度も何度も折り紙を練習し、あらゆる不備を指摘する姉が納得する、完璧な折り鶴を完成させようと奮闘するのだった。


 悔しそうに、一生懸命に――折り鶴とその技術に対する献身を以って――いつだってキマリはそうして力を磨いてきた。


    ※   ※   ※


 当時エリティアは、古くから付き合いのあるキマリの家へ頻繁に訪れていて、姉の居ない時は彼女の相手をしていることが多かった。

 折り紙に限らず、様々なことに興味をもったキマリは、けれどちょっと変わった所もあってか、知識や経験に偏りが激しかった。

 一度始めてしまえば姉が納得するまで徹底していた為に、幼い時頃ではまだまだ時間が足りなかったのだろう。


 一方でエリティアはクラインロッテ家の伝統に則って教育されており、時折キマリへものを教える場面もあった。


 お姉ちゃん子だったというのもあって、キマリはとても素直にエリティアの言葉を信じ、もっともっととせがんでくる。

 エリティアにとってもそれは楽しくて、家を訪れる度に彼女になにかを教えようと、日々の勉強を頑張っていた。


「あの頃のキマリはとっても素直で、負けるとさっきみたいにすっごく悔しそうにするのよねっ。お姉さんにへこまされてるのは可愛そうだったし、今のキマリみたいにそれ見て楽しむとかはよく分かんないけどさ、可愛くって可愛くって、いっぱいいっぱい協力してあげたのよっ」


 椅子に腰掛けたまま足を揺らしつつ、楽しそうにエリティアは語る。


「あ~っ、さっきのキマリ見てたら昔を思い出しちゃって、なんだか楽しくなっちゃったのよねぇ」

「そっか」


 思い出話を聞いたシアもどこか嬉しそうにしていて、一緒になって足を揺らしている。


 陽の昇らなくなった街並みは静かで、少し肌寒いけれど、こうして過去を想うにはちょうどいい。

 寒いといつもよりちょっとだけ、人に寄り添いたくなるのだから。


「キマリは、お姉さんが大好きだったんだね」

「私と遊んでた時でも、お姉さんの姿を見たら飛び出してっちゃったのよね。取り残されちゃったのは不満だったけど、本当に嬉しそうだったから、見てるとこっちまで楽しくなっちゃった」


「…………お姉さんは、今どうしてるの」


「ぁ…………」


 当然といえば当然の質問。

 思わず口ごもったエリティアを、シアがじっと見詰めた。


 回復したとはいえ、一度ならず二度までも呪術師に襲われ、魔女の口付けまで刻まれたのだ。

 魔女協会にはエリティアの口からキマリが学院へ付き人として通っていることが知れている。

 ならば、そこまで互いを大切に想い会えていた姉が見舞いにもこないというのはおかしいのではないか。


 事故で姉を亡くしているだけに、シアの考えはそちらへ傾いてしまう。


「ううん。えっと……キマリのお姉さんは仕事がとても忙しくて…………そうっ、一度はさ、キマリに会おうとしたんだよ? 長期休みの前の、キマリが魔女協会の呼び出しで出かけた時があったじゃない?」

 結局は呪術師に襲われた事で機会を失ったのだが、あれはなんとか時間を作り出してきたキマリの姉の、精一杯の努力の結果だった。連絡も後になってから入れたと言っていたし、当時はすっぽかされたと落ち込んだ事だろう。

「お姉さん、魔女協会で働いてるの?」

「うぅ、ん…………そんな、感じかな……?」


 歯切れの悪いエリティアを更にシアが凝視する。


 普段からあまり表情を見せないだけに、シアの放つ無言の圧力には中々に耐え難い威力がある。

 それを日頃感情を隠さないエリティアが受けて無言を貫ける筈もなく、目を逸らしながら冷や汗を流し始める。


「いいよ、話さなくて」


 ところが、シアはあっさり話を切り上げると、椅子から飛び降りて離れていった。


 台所からコップ程度のジョウロをとって、水を注ぎ込むと、窓際にあるハーブの鉢へ少量ずつ掛けていく。

 手馴れた様子で、普段から彼女がやっていることだと分かる。


「え、えと……シア?」


 呆気に取られて見守っていたエリティアがようやく口を開くと、シアは残った水を捨てつつ言う。


「気にしない」


 それだけだった。

 本当に興味を失ったように、日課にしているらしい作業を進め始めるシアの行動が、暗に今の言葉を証明しようとしているようで、エリティアは気まずそうに口ごもる。

 同時に、だからこそシアは、言わない理由に思い当たる。


 きっと、それはキマリにとって知られたくないだろうと思えることなのだ。


 一応は触れないように話したのだろうが、エリティアはエリティアなので仕方ない。

 いつか話してもらえるのか、生涯口にすることはないのかは分からないけれど、今のキマリと居ることには関係がない。

 納得して、シアは疑問を忘れる事にした。

 ただ、



「私の姉の名はサラサ。前回のヴァルプルギスの夜で塔の魔女に選ばれた人物ですよ」



 それを、いつの間にか戻ってきていたキマリがあっさりと口にしてしまうのだった。

 買物袋を腕に下げたまま口にする彼女の表情はとても冷たくて、この静かな夜を、凍り付かせるほどに張り詰めていた。





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