20
日々が忙しく巡り始めた。
キマリはあの日、施療院へ行くのを諦めてシアたちを捜索していて、復調したと認められるにはまだ少し掛かったけれど、翌日からは日課のマッサージから食事の世話まで、シアに係わるありとあらゆることを自分の手でこなしはじめた。
面倒を見ると豪語しておきながら護衛対象を見失った事で、エリティアも強くは言えず、またキマリがあまりにも楽しそうに、覇気に満ちているのを見て、消極的にではあったが彼女の回復を認めた。
生活の場は以前のアパートメントに戻り、休憩時間はクラスメイトとゆっくり話す時間があったものの、昼食時や放課後はすべて鍛錬に費やされた。
シアが第三回の選考会に参加する事は友人間で公表され、キマリの存在感もあってか、静かに注目を集め始めていた。
シャルロッテの現状は大きく改善されたらしい。
あの日、シアが彼女を追いかけていったことで、一部のおせっかい好きなクラスメイトが彼女のクラスへ乗り込み、徹底した糾弾と友人の友人を家名を以って保護すると宣言したのだ。学院の内外問わず、陰口一つつけば一族郎党追い込むぞと言われ、彼女たちは閉口するしかなかった。
乱暴ではあったが、そもそもいじめを行った側と受けた側の和解などという気持ちの悪い事を、シャルロッテはおろか糾弾したクラスメイトたちも実現したいとは思わなかった。小石を蹴り飛ばすことに贖罪することを覚えたところで、それを成長と呼ぶのは誤りだ。結局彼女らはこの悪意による重みを何ら理解していないのだから。
呼吸一つに許可を求めるような重みの中、シャルロッテは黙々と勉強を続けた。
また、呪術師の捜索にも進展が見られた。
警邏隊に協力するクラインロッテ家の情報によれば、過去発生した襲撃事件の幾つかに逃走経路の方向性が確認されたという。
現れた経路すら不明なままの事件はまだまだあったが、全身を赤で統一した狂人の噂は、次第に人の口へと登らなくなっていった。
あとコレは極めてどうでもいい話だったが、生徒の逃亡を手助けした挙句、複数の魔道の名門が送り込んだ護衛と学院が用意した警備その他二十数名をばったばったと薙ぎ倒したとある不良教師は、桃色の髪を左右と上へツイストして結び固められたまま、丸一日中正門の前で『私がご迷惑をお掛けした馬鹿な二十七歳独身女です』と書かれた看板を抱えつつ正座させられていた。学院からは正式な謝罪と賠償が行われたそうだが、晒し者になった不良教師の今後が心配になる有り様だったという。
そして、更に大きな変化があった。
学術都市ウインスライトから、太陽が消えたのだ。
※ ※ ※
陽の登らなくなった朝を迎える度、少しだけ気分が落ち込むのを感じる。
トマトソースのパスタとシーザーサラダをいただきながら、シアが大きくあくびをする。
ちゃんと口元を押さえていたけれど、目元はすっかり眠そうだった。
「朝日がないと、やはり身体の調子は崩れますね」
「……ねむい」
目を擦ろうとする手を抑え、目薬をさしてやる。
「んんんん……っ」
少し清涼感の強めな品で、シアは辛いものを食べた時のようにぐっと目を瞑って唸った。
キマリは零れる涙と目薬をハンカチで拭きつつ、
「出来るだけまばたきをして慣らして下さい。目は絶対にこすらないで」
「うん」
素直に頷くシアへ快く頷きを返し、手早く食事を終えていたキマリは食器の片付けを始める。
登校まではまだ時間がある。
夜道(朝だけど)は危険だろうとここ数日は馬車を手配している。徒歩より早く着ける分、大きく余裕があるのだ。
ただ、シアへ食後のハーブティーを振る舞い、洗い物を終えたキマリがエプロンで手を拭いていた時だ。
「やっほーっ、きーたーよーっ」
チャイムも鳴らさず扉をノックする。ノックの音よりも大きな声は近所迷惑になるので止めて貰いたい。
キマリはエプロンを外して所定の場所へ引っ掛けると、とりあえずチェーンを掛けた上で鍵を開けた。
「開いてますよ」
「やっほーシあいたぁ!?」
「おはようエリィ、シアイタさんはウチにはいないよ」
「外開きの扉でどうして頭をぶつけたのかとても疑問なのですが、もしかして馬鹿ですか」
折角チェーンを掛けたのに台無しだった。
「アンタらちょっと表出てきなさいよっ!?」
半泣きになっているエリティアを仕方なく家へ招き入れながら、一応考察してみるが、おそらく普段扉に触れる事さえない彼女が開け閉めする数少ない扉があった。
学院のお手洗いは出るときに押し開くのである。ちなみに入る時まで扉を開けてもらっているのを見たことがあるので、きっと彼女の開ける扉というのは全部お手洗いの扉と同列なのだろう失礼な。
「どうぞ、水道水です」
「ありがとうっ。んく…………なんか変な味しない? それと水道水てどこのお水?」
ウインスライト原産の生水です。
後から少し遠慮がちに入ってくる黒服たちへシア用とは別の少しお安めの紅茶を振舞う。
ここ最近朝は特に冷え込むので、少し熱めにしたものだ。
シア逃亡の一件があって以来、彼らは特にこちらを気遣ってくれるが、キマリの中ではもう済んだ話だ。
そもそもあの『桃娘』の称号を持つ桃色教師を相手に捕縛するまで行けたこと事態を褒めるべきだろう。
そう納得している。
ただ、見失ったとの報を届けてくれた数名が妙に遜ってくるのが気になっていた。
あの時キマリは普通に報告を受け、状況説明を求め、彼らの持つ対応手段を聞いた上で問題点や非効率な部分を指摘して、では自分が中心となるからせめてコレくらいはやってください出来ますかと丁寧に応対しただけ。不思議な事もあるものだ。
「それで、こんな朝早くから何をしにいらっしゃったのですか?」
「んっふふーっ、いい話を持ってきたのよっ!」
「早朝のティータイムにおけるメンタルトレーニング時間を削るほどの用件でなかった場合は叩き出しますがよろしいですか」
「怖っ!? え、なにめんたるとれーにんぐって? アンタお茶するのにもシアに訓練させてるの?」
それ自体はマッサージなどと同様、常に意識するよう言ってきたことだったが愚問なので黙っておいた。
「ちょっとぉ……選考会が近付いてきて大変なのは分かるけど、あんまり無理させるんじゃないわよ? 例の逃亡事件からちょっと、なんか怖いくらい必死なんだもん……心配しちゃうじゃない……」
「だいじょうぶだよ」
「シア……」
当のシアに言われてはエリティアも口を噤むしかない。
「あーっ、もう! 寝ても覚めても真っ暗だから変に気分が暗くなるのよ! もぉっ、なんとかしてよキマリっ」
「私に言われましても。塔の魔女の気紛れに腹を立てていたら、今の世の中生きていけませんよ」
この常夜の原因は塔の魔女によるものだ。
ある日突然太陽が消え去り、ウインスライトには朝がこなくなった。
日焼け止め薬品や薄着の服が売れなくなり、毛布や厚手のコートが売れ始め、照明で毎月の支払いが少し上乗せされる。後は反魔女協会の市民団体が精力的に騒音を撒き散らしている以外は、実の所大した変化はない。
塔を中心に発展してきた都市にとってこの程度は天気の移り変わりくらいの扱いだ。
「太陽を浴びたいのであれば、ウインスライトから出れば大砂漠の熱風と遮るもののない日照りを堪能できるじゃないですか」
たった一歩、都市の境界線を跨げば夜闇は消える。
元より湧くはずのない大水脈を生み出し、日差しを人の居住が可能な程度まで抑え、周辺を航行する飛行船の進路上にある砂嵐を打ち消している都市だ。そこに夜が加わったというだけで、住民は最初から塔の魔女による超大規模な魔女術の中に居るのだから。
「駄目よ……この寒さにようやく慣れてきた所に、あんな日差しを浴びたらあっという間に汗まみれになって倒れちゃうわ……」
「試したんですね……」
行こうと思い立てば翌日には大洋を渡って別大陸にまで到着してしまうのが今の時代の金持ちだ、都市の外延部を越えてみるくらいは朝飯前だったということだろう。
「ごちそうさま」
「はいっ」
ハーブティーを飲み終えたシアがカップを置く。
時間稼ぎは終わったのだ。
「それではご用件を伺います」
「………………その前にちょっと、お手洗い行って来ていい?」
キマリは無言で通路奥を示した。
旅慣れない甘やかされきったお嬢様はどうやら、この土地の水すら口にした事がなかったらしい。
※ ※ ※
「えっとね」
結局時間が足りなくなりそうだったので、今日はシアとエリティアとキマリに黒服が同席する形で馬車で登校する事になった。
まだ多少の余裕はあるので、御者が上手く予定時間まで近くを流してくれる事だろう。
クラインロッテ家の馬車は広々としていて、席の間にバスタブでも置けそうだった。
「…………はねる。はねるっ」
バネの効いたふかふかな椅子で座りながら飛び跳ねようとするシアを落ち着かせ、話が進む。
「えっと……ね?」
「はい」
「呪術師、捕まったからっ」
「あぁはい」
「……………………え?」
「それが用件だったんですか?」
「え……。え? だって、捕まったんだよ? やっほー、とか、うれしー、とか、そういうのあるでしょ…………?」
「もう随分と前の話ですし……」
エリティアとしてはキマリの感激や安心を見たかったのだろう。
だが今肝心なのは過去の出来事よりも来る第三回選考会への最終調整が重要だ。
「…………では一応聞いておきますけど、見付かったという呪術師は、どこに潜伏していたんですか?」
「そっ、それがねっ! なんとっ、地下大水脈に繋がる大穴の側面に隠れ家を作ってたの!!」
じゃじゃーん、と言いたげなほど嬉しそうにエリティアは語る。
なるほど、それは確かに意外な場所ではあったが、都市にある大穴の場所を幾つか思い浮かべるキマリの姿に何を思ったか、彼女はまた一段と興奮した様子で言い加えた。
「ホントに盲点だったわっ! あんな所普通は寄り付かないし、整備といっても水脈へ落ちていくだけで、そこに行くまでの水路は定期的な検査があるけど、大穴の側面をじっくり探し回るなんてまずやらないものっ! そこへどうやってか梯子を掛けて、中には空調まで通して優雅な暮らしぶりだったって言うわっ」
「呪術師はどうやってそんな場所へ? 元からそんな所へ住み着いていて呪術に手を出したのか、元からあった場所をあてがわれたのか」
「後者の方ね!」
後者、という所に力を入れて喋るエリティア。きっと言い回しが気に入ったのだろう。
「事件当初言われていたとおり、やっぱり呪術師を匿ってる人が居たのよ……! その家はウインスライトでもそれなりな名家で、今年ウチとは別の学校で称号獲得を目指してたのね。でも邪魔になった対立候補を蹴落とすために、その呪術師を使ったって話よ!」
「よくある話ですね」
「そうだけど……呪術にやられたって人は候補者以外にいっぱい居るわ……キマリ、だってそう、だし……」
「とりあえず、もう呪術師による事件は起きない、と思っていいという事ですね」
「うんっ! 今おじいちゃんの派遣した魔導士たちで徹底的に取り調べがされてるって。だから、もう平気っ」
「そう、ですか」
歯切れの悪いキマリにエリティアが首を傾げる。
キマリは、そのまま少し黙考し、しかしすぐ顔をあげた。
「今回の一件では、エリティア様には大変お世話になりました。私の面倒を見て下さったこと、シア様の付き人を用意してくださったこと、他にも多くの恩を受けました」
それを、改めて下げる。
礼については屋敷を出るときに十分すぎるくらいしていたのだが、エリティアは心から嬉しそうに笑ってそれを受け入れた。
「あったりまえじゃないっ! 私っ、シアも大好きだけど、私にとってはキマリだって大事な友だちなんだからっ!」
長期休み前に一方的な断絶を押し付けたというのに、彼女は変わらずキマリを受け入れている。
まだ正式な仲直りさえしていない。
あの時も、彼女だけはそうだった。
「……それでさ、キマリ、その首の包帯、どうしたの?」
そして彼女は、いつも妙な所で鋭いのだった。




