19
話が終わる頃には、都市の景色が赤く染まっていた。
じっと耳を傾けていたシャルロッテは、それこそ我が身を切られる思いでシアの姿を見ていた。
詳しい事の経緯と、彼女の口で語られる理由は、とても単純で、とても綺麗なものだった。
「わかりました」
けれど、キマリという少女は完全に納得はしていないように感じられた。
嘘はない。
それでも、約束を破ってしまった以上、信じろとは言えない。
自分のせいだと恥じ入っても、それは二人の間には無関係なのだと言われてしまっている。
孤児院に居たときはケンカをした下の子たちの仲裁をよくしていたけれど、今となってはどうやっていたのかさえ思い出せない。
「最後に一つ、お聞きします」
「……うん」
「シア様は、今、何を望んでいますか」
「私は塔の魔女になるよ。キマリがくれた、私の夢だから」
瞑目し、暴れだそうとする何かを堪えている。そう感じた。
やがて目を開いたキマリが、シアの前で膝をつき、応じて差し出された手を取る。
「その夢を持ち続ける限り、私のすべてを貴女へ捧げます。我が奏主、どうか……どうか今の言葉が偽りでないと、これからの行動によって証明してください」
あぁ、だから――シャルロッテは身体から力を抜いて、言葉を待った。
決意するようなシアの目を見る。
これから聞かされるのは、この身に杭を打ち込むようなものだろう。
「私は、塔の魔女になりたい。本当はもっともっと頑張らないといけないのに、キマリはずっと私に合わせて頑張ってくれてるから……きっと全然足りないの。だから、もっと頑張る為に、私は……もう一緒にご飯は食べられない。シャルを追いかけていくことも、一緒にクレープを食べることも、もうしない」
ちょうど言葉を終えた時に、大きな馬車がやってきた。
すこし離れた道路上に車を止め、中から金髪を左右で結った少女と、幾人かの黒い服の男たちが出てくる。
彼女と言葉を交わしていられる時間も、もうあまり残っていない。
その前に、伝えたい言葉がある。
「――ううん。十分……もう十分すぎるくらい、私はシアさんに救われたよ。私を助けてくれてありがとう。私を見ていてくれてありがとう。シアさんが、何の心配もしなくていいように、私も頑張るから…………だから、だいじょうぶだよ……っ」
いけないのに。
心配を掛けないようにと必死で堪えていたのに。
喉が震えて、息が詰まるくらい苦しくて、打ち込まれた杭の重みに倒れそうになる。
けれど、シアはじっと待ってくれた。だからシャルロッテは踏み留まる。もう二度と彼女を裏切らせないように、それが自分に出来るせめてもの態度だったから。
ぐっと手を握って、彼女へ向けて差し出す。
「私だって、負けないんだからっ。次の選考会では、力一杯の、私の魔女術を見せてあげますっ」
不恰好な笑顔は涙に濡れて――
「うん。私も、ぜったいにまけないよ」
赤に染まった街並みは、ゆっくりと闇へ落ちていった。
※ ※ ※
街灯の立ち並ぶ通りを二人で歩く。
手持ち無沙汰に落ち着かない様子のシャルロッテの少し後ろを、彼女の荷物を抱えたキマリがついてくる。
シアは先に馬車で家に戻っている。
あんな話があった後だから、彼女が傍を離れたのは意外だったけれど、
『もう二度と失態を犯せないと、彼らも必死でしょうから』
とキマリは言っていた。
事実、馬車の前後で徒歩の黒服たちが護衛をしていく光景は、絵本に見る王さまの大行列を思い起こさせた。
尋常じゃない人の数と、武器を身につけた彼らを見て余計なことをする人はまず居ないだろう。
そしてキマリは、暗くなった都市の慣れない道を一人歩きは危険だと、他の護衛を断ってついてきてしまったのだ。
捩れた坂の途中、道の隙間へ無理矢理に立てたような集合住宅の一室が、シャルロッテが一人暮らしをする家だ。
彼女は、遠巻きに見えた自宅を見て、おそらくはこの都市に来て初めて安堵を覚えた。
人との接し方が分からなくなってきている彼女が、なんとか話題をひねり出して質問しても、簡単な返答しかしてくれないキマリ。クラスメイトたちのような悪意も感じない代わりに、とにかく最低限の反応しかこないというのは、彼女にとって息苦しさしか感じられない。
息をつき、足取りが軽くなった。
「よろしいですか」
おそらく分かり易かったのだろう、二人だけになって初めて、キマリが自分から話し掛けてきた。
「…………はい」
返事を作るのが少し遅れた。
きっと、この話をする為に彼女はここまでついてきたのだろうと思う。
先ず、と彼女は抱えていた荷物をシャルロッテへ差し出した。
「それは…………」
「クラインロッテ家の者が回収した鞄と教本類です。他にも、破損や汚損の見られるものは新しいものを、これは学院側からですが」
「ぁ……ありがとうございます……」
受け取った袋はズシリと重く、急にあの時の苦しみがせりあがってきた。
けれど、耐える。
シアと決意を以って別れたばかりで、ここで無様な姿は見せられない。
息を吸って、心を圧迫する苦しさの隙間を作る。
空っぽにしていけば存外に楽なのだと、この帰り道で気付いた。
「貴女は、塔の魔女を目指しているのですか?」
するとキマリが、空いた場所へ差し込むように言葉を入れてきた。
即答は出来なかった。
きっといいえで間違っていない。
シャルロッテが故郷を出てきたのは、後見人となってくれたハーヴェイの導きと、彼に教えられた魔女術の面白さが元で、ヴァルプルギスの夜が近いことさえ入学してから知ったくらいだったのだ。
けれど、言葉を作れず迷った自分を見て、彼女はこちらの考えを丸ごと読んでしまったようだった。
少なくとも、シャルロッテにはそう感じられた。
「貴女はシア様に、次の選考会では本気を見せると言っていましたね」
「…………はい」
「即答出来るほどの理由もなく、友人との競い合いを楽しむ程度の感情で、私とシア様の道を阻むのはお止め下さい」
「ぇ……」
「誤解なきようはっきり申し上げます。残る二回の選考会、参加を辞退して下さい。どうか、お願いします」
一礼し、キマリは一歩距離を取った。
「その荷物の中に、私個人からの贈答品があります。お一人で暮らしていくのは苦労するでしょうから、ささやかなものですが、どうかお役立てください。不要でしたら、そこらへ捨てておいてください」
「あの……え? 私……」
それ以上言葉を交わすことも、引き止めることも出来なかった。
急に近くの街灯が光を消したかと思えば、もうキマリの姿はどこにも見えなくなっていた。
遅れて、点滅しつつも灯りが戻る。
取り残されたシャルロッテは袋の中を確認し、見覚えの無かった封筒を開く。
そこには、数え切れないほどのお札が束となって入っていて、恐ろしくなった彼女は封筒ごと通路へ投げ出してしまった。
「……キマリ、さん………………?」
名前を呼んでも、暗闇からは何の返答もなかった。




