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葉が擦れ合うような笑い声がする。
陽光は強く、故に陰影がはっきりと映し出されて、光を受けた葉は眩しいくらいだった。
幸いにも大きな木々が立ち並び、整えられた芝生は心地よい木陰の中でささやかにそよいでいる。
風通しが良く、近くに大きな水路があるからか、時折冷たい空気を運んできてくれる。
昼食時、人気があるのは空調の整えられた休憩室か教室だ。
まだ暑くなる前はちらほら散見された学院の庭で食事を摂る一団も、朝からの日差しで温まりきった外の空気を避けて、今では校舎外で人を見るのも稀だった。
たしかにこの暑さ独特のむわりとした空気には長時間晒されていたくない。
その点、校舎から離れた、入学式を行った会場裏手の森林地帯は、比較的涼しさを残した穴場と言えた。
入り込むには崩れた植え込みを抜けてくるしかなくて、入ってしまえば今度は植え込みが外からの視線を遮ってくれる。
広げられた敷き物の上でぺたりと座り込むシアは、外から流れてきた冷たい空気に目を瞑って感じ入る。
「すずしい」
「はい。お昼休みは時間が有り余っていたので、いろんな所を一人で歩き回っていたら見つけたんです」
清涼な響きを以って大きな胸を張るのは、亜麻色の髪を涼風に揺らすシャルロッテ=トリアだ。
彼女は水筒を脇に置き、敷き物の上にお弁当箱を広げている。
「人の目を避ける場所ならいっぱい知ってます。滅多に人の通らない通路奥の掃除用具入れの裏とか、校舎の出入り口を使わず二階からこっそり出入り出来るちょうどいい木のある場所とか。最近はちょっと怖い人が増えて厳しくなったんですけど、あの人たちが気付いていない道もあったりするんですよ」
嬉しそうに続けるシャルロッテの話をシアはじっと彼女の目を見て聞いている。
意外と楽しんでいるのか、時折もっとと求めるような仕草を見せ、彼女は益々張り切って語る。
「ええと、前に閉じ込められた時に見付けたんですけど、三階の空き教室は天井裏から出入りが出来るんです。人通りの無い奥の教室ですし、鍵も掛かっているから、一度入り込んだら中々見付からないんです。それとですね、校舎裏に木造の倉庫があって、表は打ち付けられていて入れないんですけど、裏の板が外れかかっていて入り込めるんです。風通しが良くて洗ったものが早く乾きます。そこなら下着姿になっても誰にも見付かりませんし、何度か使いました」
ずず、と洟を啜る音が離れた木の裏から聞こえてきた。
無闇に姿を見せないよう配慮してくれている侍女か黒服のものだろう。
内容の裏に漂う事情についてはシアも理解しているけれど、単純に会話が出来る事が嬉しいのか、シャルロッテは興奮に頬を染めて喋り続けている。
天井裏とか木を伝ってとか、見た目はとても大人しいのだが、意外とお転婆でお喋り好きなのかもしれない。
「秘密基地」
シアが言うと、彼女は素晴らしい発想を得たとばかりに両手を合わせ、大きく頷いた。
「とても素敵ですね。今度二人で行ってみましょう」
「うん」
顔を合わせて言うと、しばらく見つめ合った後、シャルロッテが滲み出すように笑みを濃くして、合わせた手をもじもじとする。
「で、ではっ、お腹もすいているでしょうから、ご飯にしましょう」
「うん。シャルのご飯、おいしい」
「ありがとう」
「んーん」
「んふふふふ~」
と、自分でも異様に気持ちが昂ぶっているのに気付いて頬を捏ねる。
「ご、ごめんなさいっ。なんだから嬉しくって……ううん、シアさん、ありがとうね」
「ん」
急に心細そうにするシャルロッテの頭をシアが撫で、近寄った分、身体が触れ合うような距離に腰を下ろす。
それで彼女も安心したようで、広げたお弁当箱をシアの前へ寄せていった。
「どうぞ。今日はマァムの故郷の料理を作ってみました」
マァム、というのは、彼女の育て親となった孤児院の院長の事だ。
余程信頼しているらしく、時折見せる祈りや考えも、そのマァムから教えられたことなのだろう。
今日も食事の前にシンボルを取り出し、両手に握って目を閉じる。
彼女も相手に強要はしていないのだが、いつからか、一緒に食べる昼食時ではシアも真似をして祈るようになった。
「無理になさらなくてもいいんですよ?」
「神様は分からないけど、感謝の気持ちは良いと思う」
「ええ、本当に。私もそう思います」
では、と彼女がいつも通りの文言を謳いあげる。
「今日も主と命の与えてくれた恵みに感謝を」
「ありがとう」
風が止むまでの時間をおいて目を開ける。
シンボルを仕舞い、細長い箱からフォークと箸を取り出して、木で出来た刃先が丸くなったフォークをシアへ渡す。
二人で昼食を摂るようになって数日だが、シャルロッテはとても料理が上手い。慣れている、というべきかもしれない。
キマリの作るものは見目から鮮やかで、簡単な食事を摂るときにもお皿や小皿を工夫するなどしている。家庭料理とされるようなものも作るし、見たことも無い異国の料理にも詳しい。いろんな地を旅した時期があるおかげだろう。
対し、シャルロッテの料理は素朴だ。
色合いはあるけれど、煮物や漬物もあり、技巧を凝らすというよりじっくり時間と手間を掛けたものが多い。
味わいも慣れなければ薄いと感じてしまうものだったが、言われて意識すれば確かな素材の甘みを感じる。
「うーん」
おいしい。
独特な食感を持つ小さな芋は多少の粘りがあり、芋と言われて想像するホクホクしたものではなく、瑞々しくも柔らかく崩れる。
隣にある糸状の弾力ある鼠色のものをフォークで絡めて食べれば、振り掛けられていた赤い香辛料がピリリと辛味を感じさせた。
一緒に入っている細長く刻まれた、黒ずんで見える灰色の何かは、ネ野菜と言っていた。コレもまた独特な食感で、野菜なのにお肉のような旨みがある。
魚料理もある。小さな切り身を薄い衣を付けて揚げ、甘いような辛いようなソースを掛けて小さな緑色の豆を上に添えている。
肉食やチーズなどの食事に慣れていたシアにとって、魚の味はまだ少し違和感があるものの、このソースがとても気に入ってつい手が伸びる。
「ぁ……」
フォークの上に乗せた魚の切り身を口元へ運んでいると、上の豆が落ちてしまった。
幸いにも弁当箱の上蓋に落ちた為、手で拾おうとしたのをシャルロッテが止める。
「手掴みははしたないですよ」
と、箸で豆を器用に摘んで口元へ。
先にそちらを食べ、舌先につぶれた豆の味を感じつつ、切り身を丸ごと口の中へ含んだ。
甘辛な味わいと、魚の脂、しんなりした衣がそれらと混じり、ソースの味が程よい濃さに薄めてくれる。
「ふふふ、おいしい?」
飲み込み、答える。
「うん。おいしいよ」
「どういたしまして」
涼やかな風が吹いてきて、シアが心地良さそうに目を細めた。
木漏れ日の揺れる森林の中で、小鳥が数羽群れを成して飛び立って行った。
二人してその姿を追うけれど、すぐ木々の陰に隠れて見えなくなる。
これまではクラインロッテ家の力に頼って休憩室を使っていたけれど、こういう場所も悪くない。
少女たちの時間は、静かに、優しく過ぎていった。
※ ※ ※
「――わかりました。ありがとうございます」
侍女からの報告を受け、キマリは手指を組み合わせたまま黙考する。
エリティアよりあてがわれた彼女の部屋には、寝台の他に簡単な食事を取れる机と椅子がある。彼女が居るのはそこだ。机の上には侍女の出した紅茶があり、香気を放っている。カートを脇に置いた侍女は、その様子をじっと見詰めていた。
「……どう、いたしますか」
「どう、とは?」
沈黙に耐え切れず吐き出した言葉に、静かな視線が刺さる。
批難するでも、気軽に問いかけるでもない静止した目に、侍女の頬を汗が滴り落ちる。
キマリはカップへ口をつけ、それなりに出来のいい味わいに熱い吐息をつき、再び問いかけの目を侍女へ向けた。
「っ……シア様は今、相手候補者と親交を深めており、調子を崩していた相手にとってそれは、本領を取り戻すキッカケにもなっています。万が一、このまま復調して、それがシア様を上回る力を持っていた場合…………その」
「その場合は覚悟を決める必要があるかもしれませんね」
「…………はい」
ふっ、と侍女が息をついた時だ。
「シア様はどうでしたか」
少しだけ不安そうなキマリの声がきた。
それに、侍女の心はどうしてもざわついてしまう。
「シア様は、楽しんでいらっしゃるようでした。とても……相手のことを気に入っているようで、自ら甘えるような事も……あります」
「…………そうですか。なら、迂闊なことをすれば、選考会を前にシア様の調子を崩す事にもなりますね」
「それは……はい」
「残る第三回、そして最終回、未だ空席の『空衣』を逃す訳にはいきません。シア様もそれは理解されているでしょうし…………実際に、最近は想定していたよりも調子を上げている事実もあります」
「相性がよかった、ということでしょうか」
言うと、キマリは親指の爪を噛みそうになって、驚いたように手を離して膝上で揃える。
「魔女は常に世界と軽い感応状態にある……。同じ『空衣』に値する人物同士であれば、互いを知らずに惹かれあうというのは十分に考えられそうですけど……」
また黙考が続いた。
侍女には、この、かつて無欠の天才と呼ばれた少女がどこまで思考し尽しているのか判断が出来ない。
彼女が出来ると言うのであれば、確実にそこへ至るまでの道が完成されているのだと思える。
逆に出来ないと言うのであれば、最早どのような手段を用いても不可能なのだと確信できる。
かつて比類なき才能を発揮し、塔の魔女となるべくして生まれたとまで言われた、本来侍女にとっては遥か遠い存在。
クラインロッテ家に仕えてきて、年齢こそ近かったが、それこそ主人であるエリティアほど親密に話したことなど一度もなかった。
けれど、呪術師に襲われ、主人の世話も護衛も難しくなった事でこのクラインロッテ家の屋敷に居候することになり、エリティアは彼女をキマリ側の付き人として選出してくれた。
多くを望んでいた訳ではない。
魔女の適正を失って、その道こそ途絶えてしまったものの、再会したときに見た彼女の美しさも、才能も、何一つ損なわれてなどいなかった。
いや、むしろ失っているからこそ、かつての霊廟じみた神聖さが、強烈な意思を持つ流星のような輝きとなっているように思えた。
「わかりました」
キマリの鈴を転がすような声にうっとりと聞き入る。
「シア様がやんわりと距離を取っていくよう努めましょう。まだしばらくクラインロッテ家にはお世話になりますが、私も明日の検査が終われば学院へ同行出来るようになります。シャルロッテという方の周辺を落ち着かせておけば、とりあえずシア様も雑事に惑わされることはなくなる筈。今の所はちゃんと組んだ予定通りの鍛錬も勉強も努めてくれていますから、問題はありません」
紅茶を飲み干し、カップを置く。
侍女が近寄ってきて、保温されていた茶器から新しく注ごうとする。
それを、立ち上がったキマリの手が強く掴み、
「っ――」
そっと手から滑り落ちた茶器を受け止めて机に置き、キマリが一歩近寄る。
身体が触れ合うような距離に、恥じ入った侍女が下がり、顔を赤くして背ける。
「ありがとう。貴女には感謝しているんですよ」
耳元で囁かれる声に身を震わせながら、また下がって、詰め寄られる。
「私が動けない間、職分を越えてシア様に接してくれる人がどうしても必要だった。貴女が居なければ、私は無理矢理にでもシア様の傍に居続けたでしょうね」
遂に壁際まで追い詰められ、逃げ場を失った侍女が、怯えるような、期待するような目をキマリへ向ける。
それに彼女はにこりと笑い、腕を掴んでいた手を胸元へやる。
一つ、二つ、三つと留め具を外し、首元から肩までを大きく露出させた。
服をはだける時、侍女が思わず抑えようとするが、正面からじっと見詰められて、やがて自分から服を脱いでみせるのだった。
「私がどれだけ苦しんだか。私がどれだけ求めているのか、貴女だけは理解してくれるでしょう?」
問いかけに、侍女は夢見るような目で答える。
「………………はい」
声だけで愛撫されたように、既に彼女の呼吸は荒く、艶っぽく色付いている。
キマリが口元をうっすらと広げ、水仕事で固くなった指に自分のものを絡め、首元へ唇を寄せた。
「っっっ!!」
声をあげないよう自分の手で口を塞ぎ、断続的に与えられる感覚へ絶える。
首筋が、彼女は弱いようだった。
「っ! っっ! ~~っ! っっっ、んん! っ!」
噴き出した汗の匂いに身体が熱くなるのを感じつつ、キマリはそのまま侍女の首筋へ唇を触れさせ続けた。
それは、夕食を終えたシアとエリティアが遊びに来るまで続いた。




