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エリティアとの関係が断絶してから、既に二ヶ月が経過しようとしていた。
最初は、あれほど仲良くしていた二人だからと楽観視していた周囲も、流石にこれはと二人の前で相手の名前を出すことは差し控えられ、長期休みを終えて尚も好転しない状況に、最早そういうものであるとの認識が浸透し、それぞれ異なる派閥に属したままの日々が過ぎていった。
変化が起きたのは、第二回の選考会が近付いたある日。
いつもなら片時もシアの元を離れないキマリが、学院にすら顔を出していなかったのだ。
「あ、あのっ!」
その時シアは、休むキマリから予め連絡を受けていたという、クラスでも特に教師の信任厚く(つまり便利使いされる)、生真面目で(故にクラス内の面倒ごとを引き受けてしまう)、責任感の強い(委員長こと)ルノラータ家のご令嬢と次の授業について話していた。
それとなくエリティアとの断絶を聞かされていた眼鏡少女は、しかし天下に名だたるクラインロッテ家のご令嬢を前にやや挙動不審になりながらもなんとか立ち上がって向かい合った。
「…………貴女に用はないんだけど」
「わっ、わたしキマリ様にシア様をよろしくと言われていますのでっ!」
「っ、そう! なら聞きたいんだけど、あの子、今日なんで休んでるのっ!」
つい語気が荒くなってしまうのを気にしたエリティアだったが、あまりのことに目を回しかけている眼鏡少女委員長に、逆におどおどと挙動不審になってしまう。
「ちょ、ちょっとぉ!? 質問したくらいで怯えないでよっ!? 私そんなに怖いの!?」
「違うんですぅぅっ」
本題とはかけ離れた所で地味に傷付くエリティアに、生真面目委員長は彼女の手を取って握手した。
「……………………?」
「あ、あの……、ぁ、あれ?」
友好を示したつもりが意味が伝わらず首を傾げる委員長。
父親の代で財を成し、成り上がったばかりなルノラータ家のご令嬢は、お嬢様同士が父たちが商談相手としているような握手を日常的に行わないことを知らない。
「えっと……」
「は、はいっ」
「こ……怖くないよぉ……?」
「????」
握手をしたままクラスメイトの誤解を解こうとにっこり笑顔を見せるエリティアに、今度は委員長が疑問符を浮かべて首を傾げた。
周りがなにかとても言いたそうにしていたが、初めて見る二派閥のトップ会談に大多数は様子見を決め込む事を選択した。
しかし笑顔には笑顔を、真面目さ故の素直な応答に何かを感じ取ったエリティアが、また一層嬉しそうに笑顔を濃くする。
委員長も委員長で、何が嬉しいのかもっともっとふやけた笑みを見せ、やがて二人の口から自然と声が漏れる。
「えへへ」
「えへへ」
「似たもの同士?」
「「え?」」
シアの呟きに二人の視線が周囲を向けられるが、全員顔を逸らして見ていなかったフリをする。
「ね、ねえっ、聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」
「はいっ、どうぞお聞きくださいっ」
「えっとね、なんでキマリ居ないのかなって!」
「えっと、それは、ね? キマリ様は、体調を崩されてしまって、今日はお休みを取るとのことでしたっ。それでっ、朝から私の家に連絡があってっ、シア様をよろしくお願いしますって言われたんだよっ」
「へえ、そうなんだっ。ありがとねっ」
「いいえっ、どうしたしましてっ」
「えへへ」
「えへへ」
にこー、と微笑みあう二大派閥のトップ二人だったが、何故会話の精神年齢が下がっているのか、不可思議な反応に周囲が思うのはただ一つ。
このクラス、平和だな。
断絶があったとはいえ、キマリもエリティアも正面切って相手を罵倒したり、あからさまな敵対などは無かった。
立場の違いから直接係わる事の方が本来はないのであって、相手の従者にまで注意を向けるというのは余程の事だ。
だから、二人の会話が無くなったというのは、ある意味で正常な状態に戻っただけと言える。
またシアもエリティアも互いを敵視などする筈もなく、二人の会話は時折当たり前に見られた。
派閥が異なることから機会が減ったというのは、確かにあったが。
「それで、シアは大丈夫なの? 行きはどうしてたの?」
「行き帰りは馬車を使ってって。ただ、食事を作るのも難しいから、今日は委員ちょの家でお世話になるって」
「はいっ。シア様は当家で歓迎させていただきます。帰りもしっかりと護衛をつけてご自宅までお送りしますので、ご安心くださいっ」
「……そう、なんだ。だったら……ううん。だったら平気だね」
「えへへ」
「えへへ」
「流行るの?」
どうだろうか、と最近幼少時ほど素直には生きられなくなってきたお嬢様たちは思う。
天然は仕方ないとはいえ、意図的にアレをやるのは酷く恥ずかしい事に思える。
少ししてチャイムが鳴り、教師が入ってきた事で、この話はここで終わった。
ただ、エリティアが珍しく授業中にうわの空だったことで、教師からは強く叱られていた。
※ ※ ※
目覚めたときには、もう日暮れが始まろうとしていた。
ひどく喉が渇く。
こじんまりした部屋にあるのは、簡素な寝台と、衣装棚と、あとは小さな椅子だけだ。
眠る前に用意してあった水差しを椅子の上から取り、コップに注いで口をつける。
冷たいとは言い難かったけれど、熱くなった身体には十分で、喉の奥から少しだけ熱が下がったように思えた。
――シア様は……。
いや、と思う。
今日はルノラータ家で歓迎を受けている筈だ。
急な申し出を気安く受けてくれたことをありがたく思い、なんとか今日中に体調を戻そうとしていたのだが、どうにも身体の重さが抜け切れない。
汗を吸った服を着替えようと立ち上がるが、立ち眩みがして寝台へ座り込んでしまう。
ゆっくりと呼吸を繰り返して意識を整えていく。
分かったのは、どうしようもない頭痛と胃が焼けそうなほど痛みを持っていること、薬はやはり大した効果をあげていないことだ。
前を開けたままにしたのも忘れて、ふらふらと部屋を出る。
用を足し、広間へ出て、買い置きしておいたヨーグルトを口に入れ、入れた瞬間に洗い場へ駆け込んで吐き出した。
残る分はまとめてゴミ箱へ捨てた。
気分が悪くてとても食べられそうに無い。
食べなければ回復に時間が掛かると分かっていても、こればかりはどうしようもなかった。
結局、生水をコップ一杯分だけ飲むのが精一杯。
軽く洗ったソレを拭こうと布巾へ手を伸ばした時、手から滑り落ちたコップが床に落ちて砕けた。
「っ――」
音が耳障りだった。
しゃがんで回収しようとしたが、身体がふらついてしまったので一時諦める。
シアが戻ってくれば台所へは近付かないよう言わなければならないだろう。
なんとか破片を避けて台所から出たところでチャイムが鳴った。
※ ※ ※
市販店、という所へ来てはみたものの、目的のものを探すのに随分と手間取った。
既に空は赤く、陽は沈みかかっている。
表に大きな馬車を止め、黒服を数名引き連れたご令嬢の出現に庶民の皆様は最初あっけにとられていたものの、エリティア=クラインロッテという少女の気安さ故か、いつしかそういうものとして受け入れられていった。
親切なお婆さんに案内されてようやくソレを手に入れたエリティアは熱心に作り方の説明を聞いた後、意気揚々と店を飛び出した。
後ろでお菓子先生こと黒服が黙って店員へカードを取り出したことを、結局彼女が知る事はなかったけれど。
二ヶ月。
まともにキマリと会話が出来なくなってからの期間、エリティアは余暇を全て自己鍛錬に費やすようになった。
元々友人との時間を大切にしつつも睡眠時間を削って研究や鍛錬を行っていたのだが、それでは足りないと今は少々関係が希薄になってしまっている。
また、途中に長期休暇があった為に、数字ほど関係を後悔する時間はなかったとも言える。
当然、この気弱で友人想いな少女が、二年も前から心配し続けていた友人と断絶状態にあるのが平気である筈もないのだが。
最初はまだ意地を張っていられた。
けれどすぐに落ち着かなくなって、情けなくも自分から何度も声を掛けようとしたが、それさえ予期してキマリはどこかへ行ってしまう。
言い過ぎた、絶対に言い過ぎた、そう後悔しても発言を取り消す機会さえ得られないというのは苦しかった。
正直に言ってしまえば、家でこっそり何度も泣いたほどだ。
今、キマリは自宅で一人病気に倒れている。
シアを引き離したのは、世話が出来ないというよりも病気を移さない為の筈だ。
機会だと思った。
辛い状態にあるキマリを助けたいという思いも確かにあって、出来るのなら病気が落ち着いた時にもう一度、ちゃんと誤解を生まないよう話したかった。
キマリとシアの家は、学院から繁華街を挟んだ反対の住宅街にある。
緩やかな坂の途中に建てられた、三階建てのアパート。表面だけレンガ造りを模して作られている、鉄筋の入った建物だ。
乳白色の階段を上がった最初の部屋、そこが二人の家だった。
最初はアパート全てが家なのだと思ったが、一つの建物を分け合って暮らすという、友だちと小旅行へ行った時のような楽しい状態を毎日続けているなんてとても羨ましいと思ったのを覚えている。
「それじゃあ、ついて来ないでとは言わないけど、ちょっとだけ遅れてきてよねっ」
馬車の中で抱えた買い物袋を危なっかしくも運んでいくエリティアを、黒服たちも微笑ましく見送る。
通常なら使い魔でも放って先を調べるものだが、ここはキマリの巡らせた監視網があり、それは芸術的とも言える完成度で彼らを唸らせていた。
問題ないだろう、という油断と、ひっそり泣きじゃくるエリティアを見ていたからこそ、願いを聞いてやりたかった。
「んしょ…………っと」
危なっかしくも階段を登りきった所で抱え直す。
チャイムを鳴らさなければならなかった。
エリティアの中で密かにお気に入りの行動で、指先一つで友人に挨拶が出来る、来たよ、と告げられる、なんだかちょっとだけいたずらっぽく感じられるのが、気安い友人同士らしくて更に好きだった。
けれど、チャイムの必要は無かった。
「あれ…………あいてる?」
※ ※ ※
鍵を開けてから、しまったと気付く。
脱ぎかけた服の前が空いている。
窮屈だからと下着もつけていない状態で、とても人を迎えられる状態には無い。
普段ならありえざる失敗に意識を奪われ、最も重要な使い魔による監視の確認を怠った。
更には判断不足で、留めなおせばいいものを、片手で服を合わせ持ち、もし学院のお嬢様方であれば卒倒していたような格好で扉を開けてしまった。
「…………どなたでしょうか」
なまじ使い魔による確認があった為に、一般的なアパートの玄関扉であれば標準的についている覗き穴さえ忘れていた。
チェーンは掛かっていない。シアが戻ってきた時に出て行けるかの不安もあった。
半開きになった扉へ、つま先が差し込まれる。
真っ赤な靴と、少し色を抑えた赤のタイツが見える。
え、という疑問より早く、扉に手が掛けられ、その指には真っ赤なマニキュアが塗られていて、腕を覆う袖も、そのドレスも、髪も、何もかも真っ赤な女が血走った目でキマリを覗き込んでいて、
「うふふふふふふふふふふふふ………………みぃつけたっ」
真っ赤な唇が、口が裂けんばかりに笑んでいた。




