1
湿り気を帯びて音を反響させる一室に、素肌を晒した少女が二人居る。
一人は白髪を腰元まで伸ばした、小柄な少女。
女としての起伏を得るにはまだ少し早い、けれど瞳は氷原のような光を湛えており、ただの小娘と称する言葉を凍り付かせる。
「流しますね、シア様」
照明の灯りの中でうっすらと蒼の混じる白髪は、やわらかな泡に包まれていた。
後ろで膝立ちになっていたもう一人の少女が、壁に掛かっていたシャワーノズルを取る。耳元を抜けて伸びる腕へ目を流し、腰掛けているつるりとした表面の椅子の角をきゅっと握った。相手は、流したお湯をてのひらにあてて温度を調節してから丁寧に泡を流していく。
この美しい髪に傷一つ付けまいと薄氷へ触れるような手つきだ。
白髪の少女、シアは心地良さそうに身を任せており、鏡に映ったその表情に後ろで鈴を転がすような笑みがこぼれた。
「気持ちいいですか?」
「……うん」
「前、流しますね」
「いいよ」
顔の前を流れていく泡と少しだけぬるめなお湯にシアは目を瞑る。
耳へ水が入らないよう、わざわざ手を翳して守ってくれて、洗い残しが無いよう丁寧に丁寧にお湯を浴びせていく。
髪を擦ったり、熱湯を浴びせたりということを彼女はまずしない。そんな事をしては痛んでしまうと、時間を掛けて洗ってくれるのだ。
「んっ……」
流した耳元の髪を後ろで束ねた時にくすぐったさを感じて声が漏れる。
肩が跳ねたのを、彼女は両手でそっと手をやり、シアが落ち着いて力を抜くまで待ってくれた。
けれど肩から首へ、そして耳元へ少女の指先が滑り、また肩が跳ねてしまう。
「シア様」
「ん、がまんする」
澄んだハーブの香りがする液体が塗られ、肌の表面がひりついていく。
少女の指に一々反応してしまうのは変わらなかったが、シアは必死になって耐えた。時間を掛けて温められたせいか、頭が少しぼうっとする。
「身体の敏感な部分というのは、呪術においては弱点となってしまいます」
何度も聞いた説明に、鏡の中のシアは紅潮させた顔を伏せるように頷く。
「……ん」
「神経の集中する部分とは、魔術回路もまた集中するからですね」
淡々と、少女の手がシアの敏感な部分を探し当て、そこから広がる線を辿るようにしてマッサージする。
「鋭敏さは感応時に大きな助けとなりますが、些細な呪術も真っ向から受け止めてしまい、下手をすれば相手の支配を受けてしまう事もあります。鋭敏すぎても、鈍化しすぎていてもいけない。ここが難しい所なんですが」
背中の筋をなぞり、少女の親指が腰元から背中へ掛けて指圧していく。
「こうして毎日正しく調整を続けることで、また刺激自体に慣れることで、呪術への耐性は飛躍的に高まります。勿論、回路の集中する場所は流れが滞り易くなりますから、肉体からほぐしてあげることで術の行使も楽になるんですね」
「……っ、ぁ…………っ……う、ん、っ」
「魔女術は世界と感応し、魔女固有の精神世界を現出させる奇跡の術です。それだけに、感応する世界の側に毒を仕込んで対象を嵌める呪術は天敵と言えます。シア様も、いずれ自分だけで調整が出来るように覚えてくださいね」
正面に回り、ふとももからふくらはぎへ向けて緩やかに指圧する少女の前で、シアはふるふると首を振った。
首を傾げて言葉を待つ少女に、白髪の少女は熱っぽくなった息を吐いてから言う。
「キマリが、居るから」
「シア様……」
最初は小さな驚き、そして嬉しそうに表情をゆるめて少女が小さなシアの身体を抱いた。
バスタオルごしにキマリの豊かな感触がある。タオルで包んで結った白金色の髪からは涼やかな花の香りがし、シアはそこに頬を埋めた。
キマリは、シアにとっては年上だが、成熟した女と呼ぶにはまだまだ若い、少女と呼べる年齢だ。
だというのに身体つきはすっかり女のものとなっていて、肉感的過ぎない美しいラインはバスタオルを巻いていてもはっきり浮かび上がっている。彼女はシアの髪を美しいと言うけれど、月の光を帯びたようなキマリの髪はいっそ魔的なほどに美しい。
「んふふぅ」
猫がじゃれるように頬ずりして離れたキマリが、コホンと咳払いをし、シアの両頬へ手をやって、張り付いた髪をそっと払う。
「頼っていただけるのは嬉しいのですが、常にお傍で控えていられるかは分かりません。勿論、離れまいとは思っていますが、私が動けない時にご自身で調整が出来た方がいいのです。呪術のキッカケに人の五感へ介入するというのがありますが、アレは五感への刺激で隙を作り、肉体を冒す毒素そのものは敏感な、魔術回路の集まる肌の表面から入り込むものなんです。忍び込んで裏口を開けるようなもの、と言えば分かりますでしょうか? 呪術を受けたときには、こうして確認している敏感な部分を調べれば、俗に『魔女の口付け』と呼ばれる呪印が現れています。解呪するにも、洗い流すにしても、そこを起点にした方がいいんですよ?」
「んん……」
要するに面倒くさい、と逸らした目が語っていた。
なのでキマリは再びシアに身を寄せ、しかし今度は身体を抱き締めるようなものではなく、彼女の未熟な身体の胸元へ唇を寄せ、
「痛っ、ん……んんんっ!」
突起へ、歯を立てる。
「キ、マリ、んっ…………は、ぁ……」
「やりなさい。いいですね?」
身を離した時、シアの顔はそれまでに無いほど紅潮しており、荒くなった呼吸には浴室に満ちる以上の湿っぽさが混じっていた。
元より肌も髪も初雪のように白いだけに、火照った顔と、決して残らないよう付けられた小さな腫れが生々しく肌に浮かんでいた。
「…………うん、やる」
「はい」
それまでの口調や行動が嘘のように、キマリは嬉しそうに微笑む。
シアもそれ以上彼女には逆らわなかった。厳しく要求こそしてくるが、やって出来なければ必ずキマリは代替案を出してくれる。できるかどうかも分からない内からやらない、というのを彼女は許さないだけだ。
「今日は大切な日です。まだ時間に余裕はありますから、念入りに調整をしておきますね」
「うん、お願い」
「はいっ」
魔女による術を魔女術と称し、それ以外を魔術と称する。
魔女術は世界を改変する術である為、世界に準じて行われる魔術に対して絶対的な優位を持つ。
ただし、それには世界と自身とを溶け合わせる感応が必須となり、呪術は魔女術に対するジョーカーとなる。
(本日中22時まで1時間ごとに更新が続きます)