第三話 新世界
「う~む・・・、 痛っ!」
「どうしました?ノブナガさん・・・あー、指切っちゃってますね」
「・・・だから儂に料理など無理だと言ったのじゃ」
食事の用意の手伝いをすると言っても信長は彼の50年の人生中で調理場に立ったことなど一度もない
大名家に生まれた者がこんな下賤の者がやる仕事に手をつけるはずもない
何やら黄色く小さな丸い芋のような野菜の皮を、刃が日の本の包丁に比べて少し縦幅が短い包丁で剥くという作業をしていたのだが、これが意外と難しい
そもそも刃物なんて敵を叩き斬る為にしか使ったことはない、つまり信長にとって刃物とは降り下ろすものなのだ
野菜の表面に刃を当てて慎重に野菜を回しながら皮を剥いていくなどという使い方など頭の中にあるはずもなかった
「ってじゃがいもの皮深く剥きすぎですよ!中の実まで削れちゃってるじゃないですかー!もったいない・・・」
「ほぅ、この珍妙な芋はじゃがいもと申すのか」
戦国時代の日本にはまだじゃがいもは存在しない
最も、フロイスから似たような野菜の話は聞いたことがある
恐らくは西洋では一般的な野菜であったのだろうか
「おじさんへったくそだねー。んなもん僕でもできるのに」
金髪の美少年が相変わらずの笑みで言う
「仕方ないであろう、料理など生まれてからこの方 一度もしたこと無いんじゃから」
「はあー!?嘘つかないでよおじさん、そんなんで今までどうやって暮らしてっていうのさ?」
少年が目を見開いて言う
彼は私が大名であったことを知らないのだからそう思うのも無理はない。下々の農民が飯を自力で作れないなら、飢えて死ぬのみであろう
「ノブナガさんって、もしかして貴族の方だったのかしら?」
今度はるみなが冗談半分に言う
貴族のように朝廷に使えて優雅な生活を送っていた訳ではなく、大名として血生臭い戦の日々を送っていた訳だから少し違うが
「とにかく、儂に皮を剥くのは無理じゃ。そこの釜の火を儂に任せよ。」
ただ筒のようなものを火元に向け、息を吹き掛けるだけ。これなら出来るだろう
そんなこんなでその後も信長が火加減を間違えるなどのハプニングもあったが、なんとか料理を終わらせることが出来た
「ふぅー・・・やっと飯が食えるわい」
「ノブナガさんのおかけで、いつもより時間かかっちゃいましたよー」
「俺もう腹へったよー」
もはや皆、飯を待ちきれないようだ
目の前にあるのは、何やら鍋のようなものの中にたっぷり注がれた白い汁。その中に先程のじゃがいもや人参、羊の肉などがしっかり煮込まれて入っている
(見たこともない料理だ)
信長はるみなの言う、"しちゅー"という料理に目を奪われていた
においを鼻の中に入れる度に、胃液がほとばしる
「では・・・」
るみなが手を合わせる
「天に召します我らが神よ・・・主の創造された生命に感謝をいたします・・・」
(これがこの世界での"いただきます"なのか?随分と長ったらしいのだな)
「それじゃ、食べましょう」
るみなが言い終わると同時に信長は"すぷーん"と呼ばれるものでしちゅーを掬い、勢いよく口に入れた
(何だこの料理は?)
美味い、美味すぎる
ねっとりと舌に絡まるしちゅーの白い汁、口の中に広がるまろやかな甘味
日の本ではこのようなもの絶対に味わえないだろう
「おじさん美味しそうに食べるね」
「ほんと、シチューなんて特別高級でもない料理をあんなに美味しそうに食べてくれるなんて」
ルミナは嬉しそうに言う
「絶品じゃ!」
信長は口元を白くして言った
食事中、信長は現状を把握する為にこの世界のことを訪ねた
そして多くのこと知ることができた
この世界は五つの大陸に別れている。
アルテマという小さな大陸を東西南北の四つの大きな大陸が囲んでおり、それぞれ東のヨルテン大陸、西のベスティア大陸、南のバース大陸、そして北のウルス大陸という
信長が現在いる場所はリット村といい、ヨルテン大陸の西部に位置しているアルテラス王国という国の支配下にあるという
(やはり日の本では無いようだな・・・)
だがそうなると疑問が残る
ここが別世界であるなら何故るみなや竜太と会話することができるのか?
信長は先程から日の本の言葉しか発してないはずなのに、彼らはそれに問題なく返答してくる
日の本とこの世界の語彙が全てたまたま同じであったなどというのはあり得ないだろう
とすると、考えられるのは信長が日の本の言葉で発しているつもりの言葉がこの世界の言葉であるということ
信長がこの世界に飛ばされてきた時に、この世界の言葉が頭の中に植え付けられたのではないか?
一体どのような呪術を使ってそうしているのかは知る由も無いが・・・
「ぬしら、日の本という国を聞いたことがないかね?」
「ヒノモトですか・・・そのような国は聞いたこともないですね」
「僕も知らない。沢山の本を読んできたけど、そんな国は今にも過去にも存在してなかったと思うけど」
「なんと、おぬし字が読めるのか!?」
近代以前において、文字の読み書きができるということはそれだけで強力な武器となった
農民にとっては文字を習う必要も暇も無く、多くの庶民が文字を自由に使えるようになるには公教育制度の確立を待たなければならなかった
「うん、将来は破道士になって帝国の奴らと戦うんだ!その為には文字が読めないと魔法も使えないからね」
「な!? ぬし・・・今、魔法と申したな?」
異世界へ転生したと思ったら次は魔法である
信長は信心が全く無かったというわけでは無いが、まやかしの類いのようなもには懐疑的であった
だからこそ僧侶らを躊躇無く虐殺することが出来たのだろうが
「うん?まあ魔道士になれる人は少ないからね。ノブナガさんの故郷では珍しいのかな?」
「ああ珍しいとも。仏の御言葉と称して民を惑わせるようなまやかしを使う不貞な輩はいたがね」
「ふーん。破道士ってのは魔道士の中でも破壊魔法を専門とするんだ。ま、僕はまだ薪に火をつける程度の魔法しか扱えないんだけどね」
「ほぅ、凄いではないか」
もしも魔法を戦場で有効活用できるなら火縄銃以上の革命が起きよう。信長の武人としての考えが頭を巡った
「して・・・そちが言う、帝国とは?」
「・・・帝国ってのは亜人達の国さ、人を人とも思わない悪魔の連中だよ」
「ふむ、どうやらこの世界もやはり極楽浄土では無いようだ」
国同士が争うのというのは結局日の本と変わらないようだ
夜、信長は寝室でこれからのことを考えていた
これから儂はどうしていけばいいのか、このままこの家で平和に暮らしていくのか?
大名では無くなった今、もはや儂が再び戦場に身を置く理由はどこにもない
(そして・・・これは・・・)
信長は腕をまくる。すると二の腕には何やら龍のような模様が小さく刻まれていた
こんな刺青を、入れた覚えはない
同じようなものは、信長と同じ部屋で未だに眠ったままの、赤毛の美青年の手の甲にも描かれていた
そちらは龍ではなく、鳥のような模様であった
飯を食べた後、信長は村の様子を見て歩いた
黒髪で黒眼の信長は周りから珍しいものを見るような目で見られたが、のどかで雰囲気の良い村であった
「ふん、所詮一度死んだ身。なるようになれば良い」
信長はこの村で暮らしていくのかどうなるのかは分からないが、取り敢えず寝ることにした
透明な板から見える夜空は日の本と変わらず綺麗であった
(月が日の本のものと違い、少し大きくて青いのだな。その近くには小さくて緑色の月も浮いているのか)
綺麗だ。
夜空を眺めているうちに心を奪われていくようだ
信長は目を閉じた
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・ ムッ」
ベッドに横たわっていた赤い髪が僅かに動く
「・・・・・・んっ、くっ・・・はっ!!??」
「一体ここは・・・・・・?」
赤毛の青年が身を起こし、辺りを見回す
彼こそが オリエント世界を統一し、一代で大帝国を作り上げた古代ギリシャの英雄
「征服王」アレクサンドロス3世である
アレクサンドロスはギリシャ北方のマケドニアの王子として生まれました
父のフィリッポス2世の時にマケドニアは強大な王国となり、アテネやテーベなどの全ギリシャ諸ポリスを統一することに成功しますが、フィリッポスは何者かに暗殺されて生涯を終えます
その後、アレクサンドロスは亡き父の思いを受け継ぎ東方大遠征を開始し、大国ペルシア帝国を滅ぼすことに成功し、バルカン半島からエジプト、そしてインダス川にまで至る大帝国を築き上げることに成功します
アレクサンドロスはインダス川を越え、インド、さらにその向こうの地の果てまでも征服しようと考えていましたが、長い戦いの日々に兵士達の士気は低下していた為、ついに遠征を終了することに決めました
その後アレクサンドロスは帰還の途上の都市であるバビロンにて急死してしまいます
死因には病死や暗殺などの説がありますが、はっきりとはしていません
彼の死後、帝国は分裂し「ディアドゴイ時代」へと突入していきます