書くということ
いつもありがとうございます。
リクエスト企画『筆記』です。
中学生になった時、お祝いに万年筆をもらいました。
なんだかすごく大人になった気分で、日記をわざわざ万年筆で書いてみたりした記憶があります。
もっとも、私は筆圧が高いので、あっという間にペン先をつぶし、しかも鉛筆と違って消すことが出来ないため、すぐに使うのをやめてしまいました。
二十代で、投稿小説を書こうと思った時、文豪を気取って、つけペンで小説を書こうとしたこともありました。
しかし形から入っても文豪にはなれませんでしたねえ(当たり前だ)
若い頃は二次創作もやっていて、下手くそなりに四コマ漫画とか描いたので、おそらく一般のひとよりは、「ペン」に触れる機会が多かった私ではありますが、とにかく、『つけペン』系は、筆圧の高い私には鬼門。しかも、インクをつけるのは面倒だし、失敗するとにじむし。
ボールペンの発明って偉大だなあと思う次第であります。
日本は、なんといっても筆文化でした。
トメ、ハネ、ハラウという、文字の特徴が綺麗に表現できるというのも大きいのかなあと。
いわゆるペン文化は明治以降。もっとも漆の作業などではヘラを使ったりはしていたので、広い意味でのペンは存在したといっても良いかも。
意外なのが、鉛筆。徳川家康が使ったというものがあるらしいですが、全然、普及しなかったようです。
中世ヨーロッパ風といえば、やっぱり羽ペン。5世紀から19世紀まで使用されたそうです。
個人的に使用したことがないので、書き心地等を体感したことはないのですが、絵的にはカッコイイですよねえ。
ちなみに、お手入れとして、時々ペン先をナイフで整形しないといけないらしい……ということは、筆圧高い系の私は、やっぱりペン先をつぶす運命なのかもしれないです(そればっか)
そういえば、映画なんかで手紙を書いたあと、封蝋に指輪で印を押すっていうのって、なんかカッコイイですよね。
封蝋というのはヨーロッパのものですが、アジアには封泥という文化があったそうです。いわゆる粘土によるもので、シュメール文化(BC5000年)にさかのぼります。中国でも、紙の普及以前、木簡、竹簡の改ざん防止に使われていたそうで……古来より、書類というのはいかに改ざんされる可能性があったものかということをうかがわせるお話です。あさましきかな、人類。いつの世も、不正とそれを防ごうとする知恵はせめぎ合っていたのだなあと。
物語的には、スパイものとかだと公文書偽造なんて定番。
通行手形の偽造とか、身分証明書の偽造とか……古い書面が見つかって、無実、もしくは有罪が証明されるとか。筆跡をまねるプロとか。印章の偽造もありますねえ。たった一枚の書類が運命を変えるなんていうのも、よくあります。
ちなみに。私は金融機関に勤めていた経験があるので、『修正液』で書類を訂正というのに、すごく抵抗があります。(金融書類は、基本二重線+個人の印鑑捺印による訂正)しかし、最近の文書は、プリンターで印字されたものがほとんどで、帳簿も手書きなどほとんどないですから、『訂正』というものの痕跡は、表面上残りません。
プリンターで打ち出した書類の場合は、署名捺印が重要視されてくるわけです。
さてさて。ネット小説を書かれる書き手のみなさんの場合、小説を『手で紙に書く』『原稿用紙を埋めていく』という作業をなさる方は本当に少ないのではないでしょうか。
私も、PCで文を書くようになって、もはや紙には戻れないと思うようになりました。
なぜなら、やはり訂正や加筆(これ重要)が非常に簡単。
私は古い人間ですので、PCにキーボード入力ですが、中にはスマホやタブレット投稿というかたもいらっしゃるでしょう。スマホ、タブレットですと、一文字うつと単語候補(ものによっては文章候補)まで出てきます。
私の場合ですが。あの単語候補を見ているとつい頼ってしまい、自分の文体が崩れていく気がします。
まあ、崩れたところで、どうということはないものですけどね……。
なんか話がずいぶんそれた気がする……すみません。




