精霊信仰と宗教(信仰 後編)
いつもありがとうございます。
日本人は宗教に関して比較的寛容であります。もちろん、無知ゆえ、という面もあります。
『原始宗教』という言い方がありますが(この言い方は欧米で作られた考え方なので、ある意味で差別用語といわれております)、いわゆる『精霊信仰』という、万物に神宿るという考え方は、『何となく』理解できる方が多いのではないでしょうか。
三大宗教であります、『キリスト教』『イスラム教』『仏教』の中で、仏教は、比較的、アニミズムが理解しやすい教えでありますし、もちろん『神道』は、民俗信仰、自然信仰からの発祥ですから、精霊信仰に近しいものであります。
ちなみに、神道という言葉は明治に西洋の宗教概念が輸入されてから出来た言葉だそうでございます(ウイキ調べ)
いわゆるライトなファンタジー的な作品の場合、『キリスト教』的な一神教、もしくは『多神』という作品が多いわけですね。これは『少しだけ触ってみる。』でも書きましたが、わかりやすい、二神対立というような形式もございます。
宗教に関して一つ一つ、丁寧に解説できるほど、詳しくはありませんが、『キリスト教』や『イスラム教』は、根本的に『精霊信仰』と違う点は、『人間』が特別であるということです。
仏教の場合は、『輪廻転生』というものがあり、ある意味、精霊信仰的な『生命というのはすべて等しい』的な考え方があります。
誤解してはいけないのですが、これは『キリスト教』『イスラム教』が、人類以外の生命を軽くみているというわけではありません。少なくとも、この二つの宗教を信仰している人は、『前世はミミズだった』などということは考えることはないと思います。人はあくまでも人であり、神につぐ生命の王者たる位置にあるからこそ、他の生物をいつくしむのであります。
さて。
ファンタジーの世界を描くとき、『カミサマ』がどれほど『人界』に介入するかということも重要です。ギリシャ神話のように積極的に助言や能力、アイテムを与える世界であれば、ある意味で人は神の代理として戦ったりする立場になります。広い意味でという注釈が付きますが、なろうのチートファンタジーは、これにあたります。
逆に神の力ははっきりと感じられるも、人の子の身では理解しがたいという場合は、ヒトと神との関係は、リアルな宗教と似ています。
余談になりますが。創作の上で、私の宗教観? に、非常に影響を与えた作品が、菅浩江先生の『不屈の女神 ゲッツェンディーナー』。これは、しょっぱなに主人公を助けに来た勇者さまが魔物と共倒れになってしまうという凄い冒頭から始まる作品ですが、『祈り』というものの考え方が素晴らしく共感できました。
ただ、現状、絶版みたいですねえ。発表年代が1995年。うーん。
凄い名作とまではいいませんが、日本人的な宗教観が現れている作品なのですけど。
と、今、書評を見ていて知ったのですが、この本は、オウムのサリン事件のあった年に出版されております。読んだ時は、気にしておりませんでしたが、そう考えるとすごく深い、意味ある作品だったのだなあとしみじみしました。
ツッコミが足らないかもと思いながら。
どうも、この手のネタは腰が引けます。(ヘタレなんです)
※2016/4/4 注釈。
キリスト教およびイスラム教の他の生物と人間の関係について、『人間は特別だから、「人間のみが魂を持つ」し、神に次ぐ座にあるからこそ、「他の生物も自然も人間のためにある」という感じ』ではないかというご指摘がありました。
そのご指摘は正しいです。
しかし、昨今の世界情勢的には本文内容でもそんなに間違ってはいないのかなあと思い、あえて本文はそのままにさせていただきます。




