祀り (信仰 前編)
いつもありがとうございます。
リクエスト企画の第一弾『信仰』です。
先日、スーパーに行ったら、イースターのお菓子なるものが売っておりました。
いや、日本はいったい、いつから復活祭を祝うようになったのかと、首をひねり……異国の祭りを祝うというのに、近所の神社の祭りの規模はどんどん縮小している現実に、ついため息。観光地で『客を呼ぶ』ような『祭り』じゃない限り、レジャーが多様化して、しかも信仰心のうすくなってしまった日本では、本当の意味での『祭り』は消えてしまうのかもしれません。
『祭り』というのは、『祀り』につながります。
これは洋の東西、宗教を問いません。
主に、農耕などと密接にかかわり、祈る神はそれぞれ違えど、春ならば、豊作への祈りを。秋ならば大地の恵みに感謝を。そうした祈りを捧げる、それが『祭り』の始まりでございます。もちろん、この『祭り』は『解放された非日常』であるため、民衆の『娯楽』であり、地域社会の『絆』を深め、場合によっては『恋の舞台』にもなる、そんなイベントでございました。
思うに、人々の暮らしから信仰というものが切り離されていくに従い、『祭り』は純粋に『娯楽』となり、そして、地域社会の絆が薄れていくに従い、残念ながら商業的になるしか生き残る道は少ないのかもしれません。
ファンタジーの場合、神や神の奇跡は古代人以上に近しい存在であることが多いですから、祭りというのは華やかであると同時に、神を身近で感じる機会なのかもしれません。
信仰というものは、日常では、静かなさざ波のようですが、『祭り』の場面では、嵐のように躍動し、ものによっては贄なども捧げるような荒ぶる祭りもあるでしょう。
ところで。現代日本人は、祭りといえば、『屋台』『おみこし』『花火』的なイメージが大きく、そんな日本人が書く西洋ファンタジーの祭りは、『屋台』『ダンス』『パレード』というものが中心。
ですから、ライトファンタジーやゲームなどの『祭り』といえば、『デートイベント』が定番。主人公とその想い人がググッと距離が縮まる、そんなきっかけになることが多いですね。それはそれで古来から祭りの持っていた一面でありますので、間違っているとはいえません。
さて。
祭りというのは、『非日常』でありますから、伝奇ものなどでは『闇が蠢く』というのも定番です。
『魔』を払うという意味での『祀り』も多く存在しますから、『祀り』が滞りなく行われるかどうか、というので禍々しい出来事がおこるきっかけとなってもおかしくありません。
なんにしても。祭りというのは、ファンタジーの中で、活用範囲の多いイベントなのではないかな、と思うのであります。
みなさま、リクエストありがとうございました。勉強不足のものについて、現在、資料読みをしております。順番は、単純に私の守備範囲の問題でございます。
信仰という内容は実に広いので、次回はもっとストレートな方角で書こうと思っております。




