転生 今、昔
日本の古典で、転生もの、といえば「南総里見八犬伝」です。
正確に、転生といっていいのか、やや疑問が残るところはありますが、犬の八房と婚姻した伏姫の腹から飛び出た八つの球とあざをもつ八人の戦士の物語。
面白い話ではあるけれど、スゲー長い。まじめに全巻ある現代語訳本もあるけれど、さすがに読めとはいえない……。
滝沢馬琴先生の書いたこの本、ダラダラだらだら(イラつく)とにかく、進まない。
そこが面白さでもあるのだけれど。
八犬士そろうまえに、挫折する人も多いのではないでしょうか。
今の「なろう」系転生と決定的に違うのは、彼らは別に「前世」の記憶などはもっておりません。
持っていないけれど、仲間認識をしていき、里見家につくすようになるのです(なぜ、とか、問うてはイケナイ)
例外は、信乃の許嫁の浜路。(注1:注2 参照)
浜路は、幼馴染の信乃を慕って、紆余曲折あって、死亡。その後、甲斐の国で、木工作という男の同じ名の娘に乗り移って信乃のもとへやってきます。
(実は、この少女は、里見の姫なのですが…)
この浜路姫は、転生というより、『憑依』のような形で、ふたりで話をするだけですが、最終的には信乃と彼女は結ばれます。
しかし、長々続く、八犬伝。ロマンスは非常に少ないです。
笑いはもっと少ないかも……。
さすがに、江戸時代の武家の男で、しかも儒学のひとです。
とにかく、名誉や、誇りを重んじて、義理と忠義のお話であります。
ライトノベルとは真逆のストーリーかもしれません。
で。なんで八犬伝? かというと、かつて、転生ものというのは、このような仲間集め的なエピソードを中心としたものでした。
かつての仲間を集め、かつての敵を倒す――そういった構図が非常に多くて、転生ものといえば、現代ものが圧倒的に多かったのです。
過去に捉われ、過去のしがらみを受け入れたり、振り捨てたり、そういったストーリーが転生ものの定番でした。
なろうの転生とは、明らかに違うものです。
はじめて、なろうタイプを読んだとき、『うわっ』と思いました。
かつてからある、異世界に現代人が入り込む『異世界トリップ』の場合、どんなに頑張っても、現代人は『異世界人』のままです。
それが、『転生』の場合、感覚は現代人で、読者と共感しやすい視点を提供しながらも、その世界で、『異分子』ではない……。
スゴイ。
トリップものと違い、「行って、帰る」必要はないし、その葛藤も全くないのです。
何て便利なシステムなのかと、驚愕しました。
今や、テンプレになってしまっていて、食傷ぎみですが、すごい発明だったと思います。
(注1)犬塚信乃 「孝」の球をもつ。わりと早めに出てくる犬士のひとり。
(注2)浜路 信乃を引き取った伯母夫婦の養女。実は「忠」の球をもつ犬山道節の妹。
2016/2/8
誤述のため、訂正しました。
申し訳ございませんでした。また、ご指摘ありがとうございました。
誤)犬の八房から飛び出した
正)伏姫の腹から飛び出した