見えざるもの
いつもありがとうございます。
今回のテーマは、『見えざる』もの、でございます。
昨今では、可視できぬものでも、存在を確認する方法が発達し、太古の昔ほど『見えぬ』ものがもたらす現象に恐怖や畏怖を感じにくくなってきました。
見えざるものへの恐怖を物語的に前面に押し出した設定といえば、嵐の山荘。これは、ファンタジーではなくって、ミステリーの定番ですね。
現代もので『警察』および『科学捜査』介入までの時を稼ぎ、そして、中にいる人物たちへ心理的なプレッシャーを与えられるという、素晴らしい状況設定でございます。
しかも。絶対、全員が同じ部屋でお互いを監視しあう方が安全なのに、なぜかバラバラになって、連続殺人となる(アホです)
人間が犯人でないホラーでも、この嵐の山荘パターンは見受けられます。
見えない犯人に、皆が恐怖し、おびえ、そして懐疑的になる。わかりやすい設定ですね。
現代人というのは、『見えざる』ものに対する恐怖は、『未知』への恐怖とは限りません。目に見えぬものでありながら、『そこにある』と理解して恐怖を感じるというものもあるでしょう。
ウイルスや放射線というのは、まさしく『目には見えぬ』『原因はわかっている』つまりは、その『原因』が恐いという代表でしょうね。
ところで。
ファンタジーの場合、『見えない』=恐いとは限りません。
おとなには見えないというのは、妖精さんの定番でもあります。
ドラクエの『天空の花嫁』で、主人公が年を経て妖精が『見えなくなる』というシーンに思わず哀しみを覚えたプレイヤーも多いのではないでしょうか。ただ、そこに注目するストーリーではない訳ですがね。
そう言えば、「クッキングアイドル アイ! マイ! まいん」でも、最後は妖精が見えなくなったなあ。
あとは、ゴースト系ですね。
超古い作品になりますが、『ラブz』(原作・小池一夫、作画・やまさき拓味)という作品があります。
1980年代の少年漫画でありますが、ラブ要素満載。泣けます。大好きでした。
交通事故で死んだ男の子が、大好きだった女の子に、自分の日記を届けることによって、告白しようと四苦八苦。
トラック事故死に転生とか、なろうキーワードてんこ盛りでありますが(笑)
デスシップに、牛頭、馬頭大王、しかも友情もあり。信じがたいほどの純愛もの。
今読むとたぶん、赤面するほど恥ずかしいだろうなあ……。純粋すぎて。
ル子のすぐそばにいるのに、伝えられない公平に、メチャ泣いたのでありました。
有名どころでは、「ゴースト/ニューヨークの幻」(1990年)でしょうか。
この映画は感動の恋愛映画だとは思うのですが、ちょっと好きではありません。理由は、私がひねくれているせいです。自分でも素直にこの映画が見られないのは、可愛くないと思っておりますが、どうしてもラストがねえ……(以下ネタバレの為に自粛)




