様式美
いつもありがとうございます。
今回は『様式美』。つまり『お約束』というやつですね。
王道とか、テンプレとも申しますが、物語には『愛される形』というものがあります。
まあ、なんというか安心して読めるかわりに、驚きが少ない、オリジナリティがない、などと言われますが。
たとえば、です。水戸黄門で。「ええい、静まれ」というセリフが始まったら、一応、『ま、まさか』などと驚いてみるも、悪人も善人も黄門様のまえにひれ伏します。しかも綺麗に並んで、身分の序列もはっきりわかるような形(笑)にすわるわけです。
ちなみに。江戸のご城下ならともかく、地方都市で、『将軍様の御紋』を一般庶民がきちんと知っているかどうかといえば、はなはだアヤシイとは思うのですが、まあ、それを言ったら黄門様は諸国漫遊をしたということ自体が正史ではないので、それは置いておくとして。
とにかく、印籠が出たら、御領主さまといえどもひれ伏します。たまに、御三家の話や将軍がらみなんかだと変化球はありますが、基本、誰も黄門さまに逆らいません。これぞ、時代劇の様式美と申しましょうか。
必殺仕事人シリーズなどだと、善人の不幸が極まると仕事人たちが動き出すという、お約束。
もっと早く動いてやればいいのに……と、言ってはいけないのであります。
時代劇のようにわかりやすい形式は、さすがにそれほどありませんが、王道物語には『型』があります。
王道成長ものであれば、挫折したら、一回り大きくなるのが定番だし、王道ラブストーリーは、どんな障害があっても、愛の力で乗り越えられるものです。
もっとも、これは喜劇だけの特権ではなく、悲劇の王道というものもあります。
昔、知人の持っていた少女漫画がことごとく悲劇王道オンパレードで、辟易とした経験がございますが、好きな方がいるからこその、王道であります。
面白いからこその、王道なのであります。
でも。この様式美を踏んだ、王道作品は、よほど上手く書かないと展開が読めるために飽きられる可能性と隣り合わせです。
なろうテンプレも、最初は面白く読めるけど、ある程度読むと、作者の力量によって、投げたくなってしまいませんか? このあたりは、王道小説と同じ原理です。
さらに、一つ問題なのは、昔からある王道と違って、新しい型のため、まだ『物語のたたみ方』の正解がそれほどに出ていないのです。つまり、テンプレの様式美を踏んで邁進しても、ゴールの型は自分で見つけなければならず、完結は至難の業となるわけです。
アイデア豊富でカリスマ的な書き手のかたは、様式美など気になさらないでしょうが、私は王道小説を面白く書く書き手になりたいなあと思っております。
思うのは勝手である。
なれるかどうかは、別問題。




