ファンタジーとゲーム
いつもありがとうございます。
今回、 若干、長いです。
今回は『ファンタジーとゲーム』についてです。
世界でのブームは別として、日本のファンタジーブームに火をつけたのは間違いなく、ファミコンの『ドラゴンクエスト』。私と同世代より下の人間は、やったことはなくても、『ドラクエ』の名は間違いなく知っている人の方が多いでしょう。
実際のRPGの歴史は、TRPGの方が古いのですが、日本では断然『ドラクエ』の方が世間に普及しました。
小さな村の少年が、ドラゴンを退治する勇者となる……このゲームに魅了された当時は若者世代が、ファンタジーというジャンルにのめり込みました。
ところで。歴史とは逆になるのですが、コンピュータRPGでファンタジーゲームを知った私は、もっと『勇者の体験をしたい』という欲求から、TRPGに足を突っ込みました。
TRPGには仲間と時間と場所が必要で、それを得るのは中々に難しいことでありましたが、私は幸いに仲間に恵まれましたので、ゲーマーデビューをしました。当時から小説を書くことが好きだった私は、ルールを必死で覚えて、GMを主にやっておりました。仲間内だけでなく、コンベンションなどにも参加。とにかく、ゲームに関してだけは超積極的。ちなみに、今は知りませんが、女性ゲーマーは希少だったので、イベント参加するのはそれなりに勇気が必要ではありました。マジメな話、東京か関西に住んでいたら、テーブルトークゲーム系の会社に転職も考えたかも。
なぜ、そこまでしてTRPGがしたかったのか。
それは、コンピュータ相手では味わうことの出来ない自由な感覚がTRPGにはあったからです。
TRPGはGMとプレイヤーたちが一つの物語を作り上げるゲームです。
極端な話、地図とモンスターデータさえ用意すれば、そこそこに盛り上がるストーリーが出来上がります。
小説ならば、作者はキャラクター一人一人の会話や行動を考えなければいけませんが、TRPGはプレイヤーたちが会話や行動を考えていきます。つまり、一人で話を紡ぐより、お話になりやすいのです。
さて。
前にTRPGの功罪で、『冒険者』という言葉について述べましたが、今回は『リプレイ』がファンタジーにもたらしたものについて、考えたいと思います。
昨今のライノベでは、ステータスがわかるようなゲーム的な作品が多く見受けられます。ハシリは、深沢美潮先生の『フォーチュンクエスト』だとは思うのですが、今の作品は、世界の住人になりきっていない、外野からの目線が強くなっている気がします。
TRPGを普及するために、数多くのリプレイ本が発刊されました。
とても面白く、ゲームをしたことのないひとも、読んだことがあるかもしれません。
しかしです。このリプレイというのは……ゲームをしたことのない人には、ある意味、プレイヤーとキャラクターという視点の違いを混同させてしまう原因を作ったのではないかな、と思います。
例えば。 プレイヤーA=アリア プレイヤーB=トム プレイヤーC=スティーブ だったとします。
GM 「扉の前に、大きな石があるよ。どかさないと前にすすめないね」
スティーブ 「動かす? それとも、魔法で吹っ飛ばす?」
アリア 「いきなり魔法はやばいっしょ。人力でなんとかなるかな?」
GM 「大きさ的には、動くかもしれないね」
プレイヤーC「筋力一番高いのは誰だっけ?」
プレイヤーA「アリアじゃない? 18あるよ?」
プレイヤーB「GM、技能足せる? トムは力持ちスキルがあるけど」
GM 「足せるよ」
プレイヤーB「それなら、16+3でトムの方が高いな」
トム 「ここは俺に任せろ。アリアは一応、女だし、俺がやるよ」
アリア 「何よ、急に女あつかいして。お手並み拝見といこうじゃないの」
こういう会話の場合、たいていのリプレイは、プレイヤー同士の会話もキャラ名で記入されています。あたかも、キャラクターが『能力値』について語り合っているかのように錯覚をするわけです。
実際ゲームをしたことのあるひとは、同じ人間から発した言葉であっても、キャラクターが発したとは、たぶんあまり感じないのではないかな、と思いますけれども。
この内容を小説として書くのであれば、普通は、プレイヤーとしての会話はごっそり削って、GMの会話は地の文に変化します。これを削らずに小説の中に組み込んでしまうと、外野目線のはいったゲーム的な感覚の小説に仕上がるというわけです。
でも、TRPGは、小説に決してマイナスなゲームではありません。
少なくとも私には役に立っています。
TRPG時代に使用した『押し』『引き』のテクニックは、ストーリーを作るときに必要なもので、プレイヤーキャラクターたちを事件に巻き込むために培ったノウハウは、キャラクターを違和感なく動かすテクニックに通じるものがあります。(文章力には何の役にも立ちませんが)
今回ちょっと熱く語りすぎてしまいましたが、ゲームは身近なファンタジーへの扉だと思います。
ゲームの悪い影響ももちろんあるけど、ファンタジーファンとしても、やっぱり、ゲームを否定することはしたくないなあと思うのでした。




