ファンタジーの独創性って?
最近、エッセイジャンルを読むと、特にファンタジー系で「テンプレ」ものについて書かれているモノが多いですね。雑食の私は、別にテンプレを否定はしませんが、なろうのファンタジーは、確かに偏りすぎだとは思います。
しかし。テンプレを嘆く書き手の皆さん。
私も含めてですが、あなたのファンタジーは、本当に独創性にあふれていますか?
私は、自信ありません。
と、いうか、なろうのテンプレを使わないだけで、非常にオーソドックスな型を使ったファンタジーを書いている自覚があります。
なろうの、テンプレにハマらないものでも、型にハマったファンタジーは商業小説にも多いです。
エルフ、ドワーフなどの亜人。そしてドラゴン。伝説の剣。王子様に勇者さま。
正直、本来『自由』なはずのファンタジーも、ある程度の型があります。
「ああ、いつもの」という設定は、実は、ファンタジーには非常に多いのです。
一から世界を創造するはずのファンタジーが、なぜ、似てしまうのか。
『西洋風』という『くくり』が多い、というのもあるでしょう。
それがいけないとは言いません。世界構築がそのまま物語の肝になるなら別ですが、そうでなければ、独創的なアイデアがストーリーの邪魔をすることもあります。
考えてみてもください。
一から十まで、独創的な世界を作ったら、まず、説明が大変です。
冒頭から世界設定を延々と読まされたら、たいていの読者は逃げますし、それがどれほど魅力的でも、読むのはきっと疲れると思います。
ファンタジー好きの私の話ですが、年を取ってから、ファンタジーより、時代小説を数多く読むようになりました。
いろいろ理由はありますが、『異世界より江戸時代のほうが理解しやすく、楽』で、『現代小説より、日常から離れている』という側面があります。(文章の勉強として読んでいるという部分もありますが)
ネットの小説は、お手軽に読めるのが『売り』です。
なろうのテンプレが流行るのは、読みやすさが優先されている、と思います。
三人称小説より、一人称小説が好まれるのも、異世界トリップや転生が流行るのも、結局のところ、『ファンタジー世界への入りやすさ』が一因です。
独自に作った世界観より、どこかでみたような世界のが受け入れられやすいのも、ある意味では仕方ないことだと思います。
ただ。
理想を言えば、テンプレキーワードのないファンタジー小説ももっとランキングに載ってほしいですね。
自分で検索するほど熱心でないダメ読者な私は、自作の非テンプレのファンタジーにブクマをつけてくださった読者さまを尊敬しております。




