3.その少年、出鼻を挫くその3
夕刻、日は落ち、民家からは灯りが漏れ、街灯が青色の光を地面へ浴びせている。
咲華は両手に買い物袋を携え、ボロアパートへ帰路についていた。
「思ったよりブリが安かったから、今日はブリ大根ね」
咲華はほくそ笑みアパートの階段を登った。自分の部屋の前にたどり着くと一つの違和感に彼女は気づいた。アパートの窓から明かりが漏れていないのだ。彼女の部屋ではない、彼女の隣の部屋、今から迎えに行くはずの人間の部屋に明かりが付いていないのだ。
「……逃げたか」
そう、潮は逃げていた。
咲華が去ってしばらく考え込んだ後、当面過ごすのに必要なだけの荷物をまとめ、部屋を飛び出していた。
飛び出したところで親代わりの叔母にどう説明するかなんてものは二の次であった。退魔師なんてものになる気が毛頭ない潮にとっては、咲華が迎えに来るということは死の宣告だったのである。
「ネコ丸、監視カメラの中から彩樫潮を捉えたものを探して」
咲華は部屋の中に入ると奥の方へそう叫び、買い物袋を置いて潮を追いかける。 この町から出る前に捕まえなければ、それこそ彼の命が危うい。陰府月町自治会は六院家の一つ榊院家の本拠地ということもあってか、怪異の出現に対する責任感・使命感が強すぎる。
彼らの前から逃げた潮を危険分子として処分しようとする連中も現れかねない。
「間に合えばいいんだけど」
夕暮れの街を一人の少女が疾走した。
◇
寂れた駅のホームで一人の少年がベンチに腰をかけていた。両隣りにはパンパンに膨らんだボストンバッグとエナメルバッグが一つずつ、旅行かはたまた家出かを思わせる。
しかし、少年の事情は違った。逃げねば死ぬのだ。電気椅子が空くのを待つ囚人が如く。
「はぁ……やっぱここでもダメか、早かったな……また唯一さんに迷惑かけるのか」
潮の中学時代は決して明るいものではなかった。彼に近づく者は誰一人いなかった。クラスメイトも教師も、まるで同じ教室に化け物がいるかのような扱いを受けていた。そうした事情で潮は叔母へと迷惑をかけている自覚があった。だからこそ彼は誰も知らない土地で静かに暮らそうしていたのだ。
「こんな力いらねぇよ」
そうつぶやき、握った拳を無気力にだらんと下げたその時だった。
「じゃあ頂戴よ」
彼の頭上、少女の声。
一瞬、潮は咲華が強制連行しに来たかと思ったが、声色が違う。
「誰……ですか?」
「私は獅喜乃 瑠璃。貴方と同じ高校に通う一年生の女の子よ」
「えっと俺は彩樫」
「潮くんでしょ?」
「なんで俺の名前を」
「さぁなぜでしょう」
「……まさか退魔師ですか、俺が逃げたって知って」
怯えた表情を潮は瑠璃に向ける。自分の名前を知っている人間など、この町では退魔師と大家と隣の子持ちナース以外いないのだ。
瑠璃はきょとんとし、そして笑った。クスクスと笑った。
「私が退魔師?そんなわけないじゃん、それに私がもし退魔師で君を捕まえようとしていたなら話しかける前に捕まえてるからね」
「じゃあなんで俺の名前を」
「君も呪われてるんでしょ?私も同じ。私は三ヶ月。三ヶ月の間に起こることのほとんどありとあらゆることを知ってるの」
「……じゃあ俺の呪いについては?」
「人間とは思えない膂力、素手で霊に触れられる体、とりあえずこんなでしょ、私は羨ましいけどね」
瑠璃は潮の呪いを言い当てた。呪いによる力は親代わりである唯一にしか打ち明けていない。咲華でさえこの力の本質を知らない。
「……本当になんでも知ってるんですね」
「ええ、あなたが逃げ切れないってこともね」
「それは……」
潮は俯く。結局自分という存在がこの世とは異なるモノと切っても切れない関係だということを改めて気付かされたのだ。呪いに対する周囲の反応から逃れるために来たと思えば、退魔師という怪異の専門家に追いかけ回されている。しかも、場合によってはその場で殺処分だ。
そんな潮の様子を気遣ってか、瑠璃は俯く潮に視線を合わせ、顔を上げるよう促す。
「でも、一つだけ君に良い事を教えてあげるよ。初めての登校日あなたは割と元気な様子で学校に来てるよ、それだけ」
「なんでそんなこと」
「あなたが追い詰められて自殺したり暴れたりされたら困るからね。あと、環境を無理矢理変えたって自分が何も変わらなきゃ結局同じことを繰り返すだけだと思うよ」
そう言って、瑠璃は潮の下を去って行った。不思議、というよりも君の悪い人間だと潮は感じた。瑠璃の情報量は異常である。彼女は潮の呪いを言い当てた。それだけではない、
ここに潮が訪れる、そのことすら知っていたのだ。
「はぁ はぁ ここにいたのね」
しばらくして、息を切らしながら咲華が彼の前に現れた。
潮はその姿を見ると覚悟を決めたのかゆっくりと腰を上げる。
「やっぱり見つかるんだな」
「町中の監視カメラの映像をクラッキングして追ったんだから見つかってもらわないと困るわよ」
「……そりゃみつかるわな、逃げてごめん、ついていくよ」
「少なくとも私はあなたを悪く見ていないわ、それに高校生を殺すなんて物騒なマネをするわけないでしょ、例外を除いて」
「例外があるのかよ」
「それともそんなに退魔師になるのが嫌なのかしら?とにかく急がないと間に合わないわよ」
咲華は潮に手を差し出す。それは捕獲や連行を行うためのものではない。純粋な手助けを意味していた。
◇
陰府月町自治会所、その中には数名の男女、そのうちの一人は潮が先日神社で会ったタコ頭だ。
誰も彼もこれと言った特徴はない、よくいる町民、服装もスーツやカジュアルな私服など特殊な衣装を纏っているものはおらず、退魔師などという異様さが一切無い。
しかし、その中に一人だけ燕尾のジャケットを羽織った執事風の女がいた。場違い以前に性別が服装とあっていないが、どこか育ちの良さを感じさせる姿勢で入ってきた咲華に一礼をした。
「咲華お嬢さま、ご無沙汰しています」
「姫川さんこちらこそご無沙汰しています、なんでこんなところに?」
姫川と呼ばれた女性は懐から一枚の手紙を出す。それに興味を示したのは咲華だけではない。この集会所にいる全ての者がその手紙の中身を求めていた。
「燈明院直継様からのお手紙です」
姫川楪は燈明院家の執事である。女だが執事である。燈明院直継の趣味である。
楪の役目は基本的に直継のお使いだ。今日もこうして直継の手紙を読み上げるために集会所まで出向いた。
「二通ありますが、一つは私が読み上げるよう命を賜っております。もう一枚は潮様と咲華様だけにお読み頂きその後はこちらで処分したします」
集会所の人間が手紙に興味を示した理由はそれだ。
楪がこの集会所に訪れた際にはなった言葉は一つ、潮様の処遇にかかる手紙を持参しました、である。
潮という異質について燈明院直々に処遇を判断すると言ってきたという事実について、彼らは興味があるのだ。
「では、読み上げさせていただきます『挨拶は抜きに取り急ぎあることについてこちらから判断させてもらおうと思い筆をとった。失礼は承知だが、まぁ、僕と君達の付き合いだ、そこら辺は汲み取って欲しい。
さて、先日そちらの町内に越してきた彩樫潮という少年の身元については僕燈明院直継が保証をするし、全責任を負う。だから、君達が彼をこの町から追い出すとか処分するとかどうこう言うのはやめてほしい。ただ、彼を退魔師として招き入れたいと思うのであれば自由にしてもらって構わない。もちろんそれは彼の意思に基づくことが前提ではあるが。
とにかく、そういうわけだ。彼がこの町で生活するという一事実について君達には口を挟まないでもらいたい。それではまた。』
以上です。それではこちらのお手紙を潮様どうぞ」
楪は手紙を読み終えると、懐からもう一通の便箋を取り出し、潮に差し出す。
しかし、潮はポカンとした様子で手紙を受け取ろうとしなかった。
潮にしてみれば、半ば無理矢理連れて来られた場所で弾劾裁判でも始めるかと思いきや、昨日知り合ったばかりの少女の一度もあったことのない父親から勝手に身元を保証されて、その父親から自分宛に手紙が来た、という至極意味のわからない状況だ。混乱するのも無理はない。
咲華は一応自分宛でもあるその手紙を楪から受け取り、潮の前に突き出す。
潮はそれをなんとか受け取り文面に目を通した。
『彩樫潮君、はじめまして、私の名前は燈明院直継、咲華の父親だ。そして、君の両親の友人でもある。特に君の父親、無一とは古い付き合いだった。君がここまで大きくなったことを本当に嬉しく思っている。君がこの町にくるということは唯一さんから聞いていたのだが、私が釘を刺す前にこうも早く彼らに目をつけられるとは思ってもいなかったんだ、君が不自由なく暮らせるよう便宜を図ってくれと言われていたのに申し訳ない。
そして、一つお願いなのだが、もしよかったら咲華の手伝いをしてもらいたい。お願いという体ではあるが、君がこの町で快適に生活するための対価と思ってくれても構わない。少なくとも君の父親だったら快く引き受けてくれただろう。無一の血が流れていれば君もきっと快く引き受けてくれると思っている。最も、君に無一以外の血が流れてるなんてことはあの二人に限って決してないから、君は快く引き受けてくれると思っているよ。そしてもうひとつ、君のその力は決して呪いなんかではない。詳しく話す時期ではないから言葉は濁すが君の両親がそんな禍根を君に残すはずがないからだ。
君が生まれてすぐこの世を去ってしまったが、彼らは君のことを本当に愛していた。
今は忙しい身だが、もし時間が取れたら君の両親について話したいことが山程あるから、是非燈明院家の方に来て欲しい、誠心誠意歓迎するよ。
咲華へ。咲華、お前はまだまだ次期当主の器とは言えない。そもそも犬神を処理しきれていれば潮君が巻き込まれることはなかったんだ。反省し、しっかりと3年間学問と退魔道に励み、燈明院家に戻ってくるように。』
「唯一さんの知り合いだったのか、ってなんだこの脅迫めいたお願いは」
「あなたが私の手伝いとか勘弁して欲しいわね……」
ため息まじりに手紙を姫川に渡すと、姫川はそれを受け取り、もう片方の手で指を弾く。瞬間、真っ青な炎が姫川の手から発生した。
どこか吸い込まれるようなゆらめきを放つ青い炎は楪の前髪を揺らし、灰すら残さず手紙を燃やし尽くした。
集会所は沈黙に包まれた。誰も彼もが口を噤み、誰かが口を開くのを待っている。
手紙を読んだわけではないが、二人の会話から自分たちがどれほどまずいことをしたのかに気づかされたのだ。
だが一人その静寂を破るものがいた。タコ頭だ。
「おう!ってことはなんだ?こいつは忌子ではないんだな?よし!じゃあお前!今日から退魔師見習いだ!いろいろ見られちまってるしな!」
大口を開けて笑うタコ頭を後ろに下がらせながら、スーツを着た一人の男が二人の前に出てきた。
「お前は本当に単細胞だな……潮君、こちらの無礼をお許し願いたい。僕の名前は人式 奏、普通の会社員だ。で、このタコ頭は笹村 八丁、笹村豆腐店を営んでる」
「おう!退魔師になった以上うち以外で豆腐買うことは許さねえぞ!と言っても一度うちのを口にしたら他の安豆腐なんて食えなくなるんだけどな!」
「退魔師になるとは言ってないんですけど……」
潮の気持ちもいざ知らず、八丁は大口を開けて笑っている。人式も苦笑いだ。
人式は一度咳払いすると二人へ向き直り口を開く。
「今日のところはもう帰ってもらっても構わないよ。いろいろと済まなかったね」
「いいえ、誤解?が解けたみたいならいいんです」
「咲華ちゃんも今日はもういいよ。燈明院家からの使いが来たからか街が静かだしね。それに彼に色々と教えてあげた方がいいだろうし」
「ええ、わかりました。ではとりあえず失礼します」
人式に言われるがまま二人は集会場を出た。
ドアが閉じられて一時の静寂の後、人式は姫川へと向き直る。
彼女はというとそれをわかっていたのか、目を伏せたまま人式に正対していた。
「さて、楪さん。僕たちに言うべきことがもう一つあるのでは?」
瞬間、集会所にいる全ての視線が楪に集まった。その疑惑の目を一身に受けてもなお、姫川は冷静そのものだった。
「いいえ、なにもありません」
姫川はそうシラを切った。




