英雄
「捕まえろ!!」
僕らの街はとても平和だけど、今日は何故か騒がしかった。
教会を出た僕らは服の埃を入念に払って、知らん顔で歩き出した。誰かに見咎められたら面倒なことになる。雲は平気そうだったけれど、僕はしばらくくしゃみが止まらなかった。
今度は何処へ行くのかと半ば諦めて、手を引かれるままに歩いていた僕は、気付くと露店が並ぶ大きな通りに来ていた。彼岸花の色、山吹の色、とりどりに染められた布を広げて、その上に商品が並べられている。この通りはいつも賑やかで、鮮やかなのだ。
「誰だろう……」
鋭い声が遠くから飛んできた。通りのずっと向こうから怒号と悲鳴が上がっている。
「珍しいね、雲、何かしたの?」
「どうしてそうなる。知らないぞ」
徐々に動揺が、ざわめきが僕らのいるところまで伝わって来た時、人を突き飛ばすようにして誰かが一直線に走ってきた。
「捕まえろ!泥棒だ!!」
僕らと同じくらいの年頃の青年だった。とても綺麗で目の細かい布を幾重にも羽織って、白くて上質そうな、だぼついたズボンを履いていた。靴がキラキラと輝いている。宝石でも付けているのだろうか?
「邪魔だっ、どけ!!」
青年は人を次々と突き飛ばし、押し分けてこちらへやってくる。
「どうしよう雲、捕まえる?」
「……」
「おい、雲?」
青年は足が速い。もうすぐここに来るというのに、雲は返事をしてくれない。
「おおい土竜! 土竜! 捕まえてくれ、泥棒なんだ」
遠くからそんな声が聞こえたとき、青年はもう目の前で、僕は強い力で突き飛ばされた。雲の手がするりと離れる。あんなに強く握られていた筈なのに、案外離れるときは呆気ないものだなと、石畳に身体が叩きつけられるまでの間に考えていた。
僕の身体に痛みが走る前に青年は走り去り、その背中を目で追いながら、雲は僕を見もせずに「大丈夫か」と言った。
「もう少し心配してくれてもいいんじゃないか、雲」
「土竜のことだから大したことないだろ」
「まあ、そうなんだけど」
人々が騒いでいる。あいつは誰だ? 一体何を盗まれたんだ? 土竜は大丈夫か、怪我人はいないか。
服についた土埃を軽く払って立ち上がる。この通りは毎日箒で掃いてから商売を始めるから、そこまで汚れることはない。
「やれやれ、それにしても誰だったんだろうね」
雲は答えない。
「泥棒だって?あんな奴、街の人間じゃあないよな。それにあの身なり、とても盗人のそれではないような気もするよ」
雲は答えない。
「何を盗んだんだろう。何も、大きなものは持っていなかったぞ。装飾品か何かか」
雲は答えない。
「……なあ雲、雲、どうして黙っているんだ」
ややあって、雲は形の良い瞳をすっと細めた。
「手紙だよ」
「なんだって?」
「あいつは手紙を盗んだんだ。見なかったか、手に封書を持っていた」
僕らの街には神様がいないけれど、一応、手紙屋はいた。でも彼らが仕事をすることはほとんど無くて、それというのも、僕らは何かを伝えるときに手紙を用いる習慣がなかったからだ。小さな街だから、わざわざ文字にして伝えるよりも相手の家に行ったほうが近い。
「手紙なんて盗んでどうするんだ。そんなもの、何に使うんだ」
「この街の人間は手紙を書かないからその価値が分からないのかもしれないが、滅多に手紙のやり取りがない街で手紙が盗まれた。あれはとても、とても大切なものなのだろう」
淡々と述べる雲は、やはり頭がいいなと思った。
でもどうしてか、雲は僕を見ない。泥棒が走り去った方向をじっと見つめている。
「……だ、」
「なんだって?」
「土竜、あいつはきっと……」
英雄だな。
雲はそう言った。
「違うさ、あいつは泥棒だ、手紙泥棒だ。どうしてそんなふうに言うんだい」
「あいつは、手紙が必要だったから盗んだんだろう? この街のみんなにとっては泥棒でも、誰かにとっては英雄的な行為かもしれない」
「誰かって、誰だよ」
「さあね。少なくとも土竜、君ではないよ」
じゃあきっと、雲にとっての英雄なのだろう。
「……雲、追いかけるかい?」
「いずれな。今はダメだ」
美しい瞳が、何か大きな力を持って僕を貫く。
「急ごう土竜、魔法を探さないと」