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雲の上の土竜  作者: Ria
11/12

世界

「世の中にはどうにもならないものがある。生まれる場所と、感情だ」


 他にもたくさんあるけれど少なくとも自分はその二つが辛いと、雲は言う。



 西の広場は木陰もなくて、太陽は容赦なく照りつけた。夜だろうが昼だろうが、ここには悪霊なんていない。


「生まれる場所はどうにもならない。子供に選ぶ権利はない。享受するものだからだ」



 どうせこの街に生きるなら。


「どうせこの街に生きるなら、最初からこの街に生まれればよかったんだ」

「雲は……」

「土竜、あの山の向こうは神様の世界だ」


 雲はひたすら海を見るから、表情が読めない。


「たくさんの神様が犇めいている。そこから一人の神様がやってきた。そうだろう?」

「うん」

「神様はどうして、この街に来たと思う?」

「僕らの街に神様がいなかったから、じゃないかな」


 神様は信じるものなのだと父さんは言う。信じるものがなくて大変なんじゃないかと心配してくれたのよと、母さんは言う。


「そうじゃないんだ」

 雲は一体どんな思いで、僕らの街と神様を巡る美しい話を聞いていたのだろう。


「あの山の向こうは大変なんだ。神様はこの街に逃げてきた」


 雲はちらりと僕を見る。

「逃げたんだ。あちらから」


 自分の子供を一人連れて。


「それが、雲なの」

「そうだよ土竜、羨ましいか、神様の子供だ」

 あんまり悲痛な声だから、僕は何も言えない。


「逃げるようなことがあったの……?」

「ああ、戦争が始まったから」

「センソウ」

「この街には無いものだな」

「神様なのに争うのか」

「あの山の向こうの人間が神様なら、神様は戦争が趣味みたいなものだ」



 この街に来た神様は、向こうの戦争に参加させられそうになって逃げた。子供を一人連れて。


「母親ともう一人の子供はあちらに残して逃げたんだ。誰もが糾弾するような行為だ」

「争いごとは良くないことだろ。良くないことから逃げるのは、良いことだろ」

「そう思えるのはこの街の人間くらいさ。あちらではそうじゃない。父親は向こうに帰るつもりもなく、ここに逃げた」


 そして殺された。


 僕らの街に戦争はないけど、あの山の向こうに戦争はある。向こうの世界の戦争から逃げてきた人は、戦争を連れてくるかもしれなかった。だから殺した。


 僕らの街の、たった一度だけの殺人。


「向こうの戦争は終わった。母親は帰って来いと言っている。そもそもこの街に、神様の子供が居られる場所はないんだ……殺されなかっただけ慈悲深い」

「雲、雲は行ってしまうの。魔法はどうなるの」

「魔法はある。もう、魔法は世界を変え始めている」


 分かるだろ、と雲は微笑んだ。美しいと思った。


 雲は上着のポケットからしわくちゃになった手紙を引っ張り出す。


「母親からの手紙だ。帰って来いと言っているんだ」

「どうしてさっきの泥棒は、それを盗んだの」

「あれは神様のもう一人の子供……兄だ。帰ってきて欲しくないから、盗んでしまおうとした。戦争から逃げた奴の子供が帰ってくるんだ、きっとあちらにも居場所はない。兄の居場所も追われるだろう」

「それでも雲の母さんは、雲に帰ってきて欲しいんだね」

「土竜、君が羨ましかった。君はこの街に生きて、街の人に愛されている」


 羨ましかった、羨ましかったと、雲は何度も繰り返した。


 僕は愛されて生きている。街のみんなから愛を貰っている。でも、誰ひとりとして僕の隣にいる雲に声をかける人はいない。

 本当は分かっていた。この美しい友人がいないものとして扱われていることを。だから僕はずっと一緒にいたんだろう。


「この街の人間全員が羨ましかった。どいつもこいつも、恨んで妬んで、殺してしまいたいほど羨ましかった。どうして父親を殺した、どうしてその子供を受け入れなかった!……殺されなかっただけマシだと分かっていても、感情は思うままにはならないものだ、土竜」

「僕は雲が好きだよ」

「君以外は嫌いだろう。そんなものだ」


 世界なんてそんなものだ。


 雲の服は美しくて古かった。この街には、雲の居場所は無い。みんな分かっているくせに目を逸らして生きている。


「ある時から土竜、君はいつも隣にいるようになった。それはきっと無邪気な好奇心だったのだろうし、それを奪うほどこの街の人間は厳しいものではない。既に十分すぎるほどの対応だと、頭ではわかっていた」

「みんな、雲の悪口なんて言っていなかったよ」

「認識しないように目を閉じていただけさ。それでも土竜、君のおかげなのかもしれない。いつしか君は友達になった」

「そうさ、僕らは友達だろ。これからもそうだろ」

「どうだろう。行かねばならない」



 雲は昔から華奢だった。他の子供みたいに駆け回ったりしなかったし、いつも東の教会の近く、目立たない木陰に座って、綺麗な装丁の本を読んでいた。


「あの山を見ろ。これからあの向こうに帰るんだ。見ろ土竜、見ろ」


 そう言われて僕は振り返る。東の方にある山、あの山の向こうは神様の世界だった。だから行ってはいけないんだと、大人たちは僕らに何度も言い聞かせた。僕らの街に神様はいないけれど、それがとても畏れ多い存在だと感じたから、僕はこっそり、あの山の向こうが怖かった。この街の子供ならみんなそうだったのだと、知ったのは最近のこと。


「どうだ、神様の世界か」

「あの山の向こうに、帰ってしまうんだね」


 雲は行ってしまうのだろうか。

 本当に、行ってしまうのだろうか?



 あんな、禍々しい山の向こうに。

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