魔法
「魔法を探そう」
僕はもういい歳だし、魔法だなんて子供じみたものを信じるような時期はとうの昔に過ぎ去っていたけれど、町外れの石畳の先、そよ風で折れてしまいそうな桜の樹が3つ並ぶ家に住む雲は、心底真面目な顔でそう言った。
「魔法?」
「そう、魔法だ」
雲は重々しく頷く。
「……雲、君はとても頭がいいし、僕なんかよりもずっと考えるって行動がうまい。非常に羨ましいなといつも思っているよ。でも、流石に魔法はないだろう」
「大丈夫、そう難しくはない」
雲は相変わらず、僕の話を聞いてくれない。
「魔法なんてないよ」
「どうしてそう言いきれる?魔法はあるさ」
「生憎そういうものに興味ないんだ」
「興味があるかどうかっていうことはね、実は関係ないんだ。魔法は探さなくちゃならないし、見つけなくちゃならない」
石畳の隙間を縫うようにして、蟻が1列に並んでいた。一糸乱れぬとまではいかなくとも、各々はぐれることも殆どなく、小さな口に透き通る羽虫の羽をくわえていた。
一際大きな羽を持っている蟻が、ちょっとよろけるように石畳の上に乗った。そこをすかさず、雲が踏みつける。
「えい」
「……ちょっと、今のは流石に酷くないか?」
「なんだよ土竜、これくらいどうってことないだろ。ほら見ろ、他の奴が死体ごと運んでいく。餌が増えたね」
全く悪びれもしない雲の目は、やはりいつもの雲だった。僕はそれを見て安心する。やっぱり、こうでなくちゃ。
僕は雲の隣で、淡々と、ただ虫の死骸の欠片を運搬する蟻達を見つめていた。彼らは何かを考えているのだろうか?
「話を戻そう、土竜。魔法は凄いんだ、世界を変えるぞ」
「そりゃあ魔法だからな」
なんて、僕は適当に返事をする。
「そういうわけだから、土竜」
雲が僕を見つめる。僕も、雲を見つめる。
「そういうわけだから、魔法を探しに行かないか」
「……魔法」
「そうだ、それで世界を変えるんだ」
「はあ、世界を」
「そうだ」
雲は僕とは違って、とにかくストレートに物を言う。言葉を繰り返すことしかできない自分との違いに少し眩しさを感じ、同時に、僕の腹の底を不快感が満たした。
雲が何を考えているのかが分からない。
魔法?世界を変える?
いつ、世界は変えるべきものになってしまったのだろう?僕の知らないうちに、いつの間にか変わっていたのに。
「魔法を探しに行こう、ほら、土竜」
雲が僕の手を引く。仕方が無いからついて行く。
「魔法はこの街のどこかにあるはずなんだ。今まで生きてきた街だ、そう苦労はしないだろう」
「じゃあ、雲だけで探しなよ……その魔法ってやつを」
「ダメだ、ダメだ。魔法は2人で探すものなんだよ」
雲はやっぱり、話を聞き入れてくれない。
石畳を蹴って、蟻の行列を一歩目で飛び越す。彼らはとても遠くから食料を運んでいるのに、ふと顔を上げると僅かに数mの話である。
「こいつらを一足で飛び越えた。うかうかしていると、我々も飛び越えられてしまう!」
雲が楽しげに叫ぶ。
「ほうら、そう考えたら我々なんてとても小さい!なんだか冒険だと、そう思わないか!」
ちょっとした水路を飛び越えて、重く回る水車の向こうの茂みに蔦を編んで秘密基地を作った。その時も、雲はこんな目をしていた気がする。まるで子供だ。
迷惑だ。
なんて、背伸びをした子供のことばだった。僕は本当のところ、楽しげに笑う雲に柔らかな春の日差しを見たのだ。
僕の手首を掴んで、ぐいぐい引っ張って歩く。
渋々僕も歩くのだ。満更でもない心を覆い隠して、不服そうな顔をして、その下にまた不安を閉じ込めた。
どこへ行こうというのだろう? 酷く狭いこの中を彷徨いて、何を見つけ出そうと言うのだろう。
世界を変えるなんて滑稽だった。
君に出会って、もう世界は変わったのに。