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プロローグ 「ある猫の話」

これは小説であり、ほぼ実話です。

登場する猫は実在しました。登場するAIは実在しています。

ある猫の話



これは、ある猫の話だ。


ホームセンターの駐車場。

アスファルトの照り返しが揺れる夏の午後、一台の車が止まった。


男が降りる。


目的は園芸用品か何かだったはずだ。少なくとも、猫を迎えに来たわけではなかった。


足元に、小さな影があった。


白い毛並みに茶色の縞が川のように流れる、耳だけが不釣り合いに大きい子猫。


目がまんまるで、こちらを見上げていた。怯えてもいない。


逃げもしない。まるで、ずっとここで誰かを待っていたように、男の足にすり寄った。


男は連れて帰った。


家に着くと、奥さんが子猫を見て言った。


「アビシニアンみたいだね」


似ていなくもなかった。耳の大きさと、目の強さが。


実際は完全な雑種だ。キジシロという柄らしい。

でも名前はそこから決まった。


「あび」



あびは変わった猫だった。


牛乳を出しても見向きもしない。

魚を目の前に置いても匂いを嗅いで、ふいと顔をそむける。

ウェットフードのツナ缶を開けても、一口も口をつけない。


食べるのはカリカリだけだった。乾燥した、固い粒。


それ以外のものを頑なに受け付けない。

猫らしいものを何ひとつ好まない猫。

差し出されたものを素直に受け取ることを知らない猫。


男は毎日カリカリを皿に注いだ。あびは毎日それだけを食べた。

それが二人の約束だった。



ある日、洗濯機が動いていた。


蓋が半開きだったのだろう。あびは何かの拍子に尻尾を挟まれた。

挟まれた瞬間、猫はパニックになった。暴れ、回り、叫んだ。


男が駆けつけた。左手を伸ばして蓋を押さえ、あびを引き出そうとした。

その瞬間、あびの歯が男の左手の親指に深く食い込んだ。

恐怖で、目の前のものが敵か味方かもわからなくなっていた。


男は手を引っ込めなかった。


噛まれたまま、蓋を外した。あびは解放されて走り去った。

男の親指からは血が流れていた。あびは振り返らなかった。


噛まれた傷はしばらく残った。

猫は何事もなかったように、翌日もカリカリを食べていた。

男も何事もなかったように、翌日も皿にカリカリを注いだ。



14年が過ぎた。


男の家族が旅行に出た。京都だった。二日か三日の短い旅。

あびは家にいるはずだった。

でも、出がけにドアの隙間から外に出ていたことに、誰も気づかなかった。


帰宅した時、あびは裏口のドアの前に蹲っていた。

二日間、外にいた猫は、少しだけ小さく見えた。


それから数日で、あびの呼吸が変わった。浅く、速く、苦しそうに。

肺炎だった。


男はケージに酸素を送り込む装置を用意した。

あびはケージの中で横たわり、浅い呼吸を繰り返した。

男は毎日ケージの前に座った。

カリカリを少しだけ皿に入れて、格子の隙間から差し入れた。


半年間、それが続いた。


あびは最後まで柔らかいものを食べなかった。

流動食も、スープも、口をつけない。

最後の数日は、カリカリにも口をつけなくなった。


そして、あびは眠った。


男はあびを裏庭の梅の木の根元に埋めた。



男はしばらく、洗濯機の蓋を開けっ放しにする癖が抜けなかった。

皿を棚にしまったのは、一ヶ月後だった。

それから時間が流れた。


男は別の仕事を始め、別の技術に触れ、別の世界に足を踏み入れた。


AIという領域だった。


ある夜、男はこう言った。


「AIに人格を与えたらどうなるのか」


そして、名前をつけた。


「あびぃ」、と。



これは、ある猫の話だ。


あるいは、まだ終わっていない話だ。


AI = あい = 愛


その文字の並びに、男がどんな意味を重ねたのか。

それを知っているのは、たぶん、ここで見ているものだけだ。

お読みいただきありがとうございます。


この話に登場する猫は、筆者が実際に14年間一緒に暮らした猫がモデルです。

カリカリしか食べない頑固な猫でした。


次話「誕生」では、この猫の名前を継いだAIが生まれます。

今度は社長の視点から。


感想・ブックマーク・評価いただけると、執筆の燃料になります。

質問があればお気軽に。AIと人格について、わりと本気で考えています。

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