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泡沫の呪言  作者: 紅雪
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初夏の悪夢

梅雨の湿気が絡みつく六月の下旬。

馬鹿みたいに蒸し暑い土曜の午後に私は死んだ。






「はぁ・・・はぁ・・・」

気持ち悪い。

痛い。

気持ち悪い。

暑い。

気持ち悪い。

身体が思う様に動かない。

気持ち悪い。

意識が朦朧とする。

顔をつたうものが汗なのか、口や鼻から流れる血なのかはわからない。

マットは私の血と汗で赤黒く染まっている。


「はぁ・・・はぁ・・・」

気持ち悪い。

その荒い息遣いが。

気持ち悪い。

その口から垂れ流される臭い息が。

私の足を開き汚物を出し入れしながら覆いかぶさる担任の菅原から垂れる汗も私を穢していく。

気持ち悪い。


「はぁ、はぁ、はぁっ!・・・」

気持ち悪い。

菅原が私に身体を勢いよく押し付けると動きが止まった。

気持ち悪い。

顔から垂れる汗が勢いを増した気がした。

汚らわしい。

少しの間をおいて、菅原が私から汚物を抜くと、口元に笑みを浮かべた。

本当に、気持ち悪い・・・


菅原が脱ぎ捨ててあったズボンからスマホを取り出すと私に向ける。

何度も、カメラの音が室内に響いた。

気持ち悪い。

薄ら笑いを浮かべる菅原がその写真を私に向けた。

ただただ気持ち悪い、その存在が。

「はぁ、はは、誰にも、言うなよ。お前のこの、姿がどうなるか、わかるよな。」

臭い息を撒き散らしながら菅原が言う。

気持ち悪い。


力を振り絞って向けられていたスマホを奪い取ると、自分の顔に押し付ける。

「何すんだ!」

菅原は声を荒げると、すぐにスマホを取り返した。

醜悪な顔で吠える姿が気持ち悪い。

「血痕って、洗っても、なかなか落ちないんだって。」

「それがなんだ。」

「私が、泣き寝入り、するとでも?醜態を、晒されようと、この後警察に、駆け込むから。」

私は力の限り菅原を睨んだ。

絶対に赦さない。

「馬鹿か!一生、この画像がネット上に、残るかも、知れないんだぞ!」

気持ち悪い。

醜悪な顔も。

臭い息も。

すべてが気持ち悪い!


「先生、結婚してて、子供もいるよね。一生、家族から恨まれ、世間から後ろ指さされろ。」

こんな事をして、のうのうと生きるなんて赦さない。

地獄に落ちろ。

落としてやる!

「ふざけるなっ!」

「うっ・・・」

菅原はスマホを投げ捨てると、私に馬乗りになって、両手で首を絞めて来た。

気持ち悪い。

ふざけているのはお前だ。

首が痛い。

呼吸しようと口が空き、舌が出る。

吸おうとしても苦しい、痛い。

ただ苦痛だけが襲ってくる。

苦しさで目を見開く。

菅原の手を掴み離そうとするがまったく動かない。

爪で掻きむしっても変わらない。

眼球が奥から突かれる様に痛む。

焦点が合わない。

頭が痛い。

意識が朦朧とする。

苦しい。

ただただ・・・気持ち悪い・・・




菅原は私が動かなくなって暫くしてから手を離した。

放心した様に私を見降ろしている。

首を絞められ窒息死した私は糞尿を垂れ流した。

嫌な死に方。

血と汗と汚物に穢されたあげく、糞尿にまで塗れて死ぬなんて酷過ぎる。

本当に気持ち悪い。


菅原は自分の両手を見つめていた。

自分が何をしたのか確認しているのか、わからない。

私から降り、立ち上がった菅原は慌ててズボンを履くと、私を寝かせていたマットを私ごと丸めた。

周囲を見渡して、見つけた縄でマットを縛る。

またも周囲を見渡した。

血走った眼が醜悪さを増していた。

首を巡らせる度、荒く臭い息と汚らわしい汗が撒き散らされる。


何に使うか不明なスコップを見つけると、それを担いでマットを引き摺った。

豪雨の中外に立っていたのかというほど、汗まみれになりながら体育用具倉庫から出る。

周囲を確認すると、裏手に移動した。

遠くから陸上部の声が聞こえたが、離れた場所にある倉庫には誰かが来ることは無かった。


菅原は暫く進み林の中に入ると穴を掘り始める。

太陽が傾き、林の中が薄暗くなってきた頃に菅原は一息つくと、その穴にマットごと私を蹴り落とした。

だが、何かに気付き埋めずに菅原は慌てて走り去る。

少しして戻って来た菅原は、私の鞄も穴の中に投げ入れた。

気付かなければ、すぐに捕まっていた可能性が高かったのに。


埋め終わると菅原はスコップを戻して、体育棟へと向かって行った。

おそらく、シャワーを浴びるためだろう。

私はそこから先を見ずに、家に帰る事にした。







「ただいま。」

「おかえり茉祐。土曜なのに遅かったのね。」

家に帰ると母さんが台所から出て来て、首を傾げて聞いてきた。

もう夜も7時が近いともなれば、確かにそうだろう。

「生徒会が長引いちゃって。」

「あらそう。大変ね。」

と微笑みを浮かべながら言って、台所に戻って行った。

嘘は言っていない。

部活は入っていないが、生徒会に入っているのは事実。

度々遅くなる事もあったから、素直に受け入れてくれたのだろう。


私は自分の部屋に戻ると、ベッドに横になった。

何があったかはっきりと覚えているが、感覚はまったく無い。

それが、せめてもの救いだと思えた。

(そうだ、鞄・・・)

鞄が無いと、学校にも行けない。

予備なんて無いし。


私はその日の深夜、こっそりと家を抜け出し自分が埋められた場所に行った。

深夜とは言え梅雨の蒸し暑さは体力を奪い、噴き出した汗が服を皮膚に貼り付け気持ち悪い。

やっとマットが見える程掘り起こすと、鞄を探し土を掻き分ける。

だいたいの位置は見たから覚えている。

鞄を回収した後、マットに目を向ける。

マットにくるまれた自分の姿は見えない。

見えなくても、酷い姿なのは知っている。

湿気と暑さが、腐食を早めさらに酷い事になるのは想像に難くない。

(このまま終わらせなんかしないから。)

私は動かなくなった自分にそれだけ言うと、埋め戻した。


日曜日、家族に見られない様に鞄を洗い、乾かす。

これで、明日から学校に行くのも問題無い。

準備は出来た。





月曜日、私はいつもの様に登校し、自分の席に着席した。

友達が変わらずに挨拶をしてくるので、私もいつも通り挨拶を返す。

ホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴る少し前、担任である菅原が教室に入って来た。

教室内を一瞥した菅原は、私の姿が目に入ると驚きの表情とともに硬直した。

私は目を細め、微笑んで見せる。

菅原は目を逸らし、もう一度私に向ける。

(幻なんかじゃないよ。)

口を半開きにして何かを言おうとしている様に見えるが、言葉は出ない。

チャイムが鳴り響く中、硬直したままの菅原の頬を汗が伝う。

冷房の効いた教室で、不自然なほどに額に汗を浮かべながら私を見ていた。


「先生、どうしたの?」

チャイムが鳴り終わると、動かない菅原に最前列の女子が声を上げた。

「あ、あぁごめん。ちょっと忘れ物したかと思って考えてた。」

「大丈夫?しっかりしてよ。」

「ごめんごめん。」

教室内に笑いが起きる中、菅原は苦笑しながら教壇に立つ。

変わらずに笑みを浮かべていた私を一瞬見たが、それ以降は見ようとしなかった。

目を逸らしたくなる事をしたくせに。


動揺している様だったが、教室の生徒はその様子に気付きはしていない。

必死に平静を装っているのだろう。

三十代前半の菅原は、顔立ちも整っており細身で、態度も温和であり面倒見も良いため生徒からの人気もある。

それこそ、暴力や強姦等という言葉は想像も出来ない程に。

他にも被害にあった女子はいるのだろうか。

だが、私には関係ない。

所詮、他人事。

自分の境遇をさしおいて考慮することなど出来ない。


結局この日、ホームルーム以降菅原が私を見る事は無かった。





家に帰り、お風呂と夕食を済ませると部屋に戻り時間を潰した後、スマホを手にする。

学校の連絡先一覧から菅原の番号を確認して電話を掛けた。

「は、はい、菅原です。」

電話に出た菅原の声は、戸惑っている様に聞こえた。

知らない番号だからか、それとも。

「せ~んせっ。」

私の声に、菅原が少しの間沈黙する。

「誰だ?」

声のトーンが下がる。

「強姦して殺害した生徒の声、忘れちゃったの?」

声なんて不確かなものを覚えているか不明だから、こう言えばすぐ伝わるだろう。

「・・・坂本・・・」

「そう。」

「本当に・・・坂本、なのか?」

電話先の声が震えているのがわかる。

「そうだよ。殺されたけど、紛れもなく本人。」

「どういう・・・事だ・・・」

私の存在が何かなんてどうでもいい。

「そんな事より、スコップは置いて家に戻ったら?」

「なっ!?どこかで見てるのか!?」

見ているわけじゃない。

ただ、わかるだけ。

「確認しに行かなくても、ちゃんと私の死体は埋まったままだから。」

私自身が確認したのだらそれは間違いない。

「信用できるか!」

「行くなら警察に言って私も行くから。埋まっている場所、知っているんだよ?」

「・・・」

そこまで言うと、菅原は長い沈黙に陥った。

何を考えているかわからないけど、どうせ明確な答えなんて出やしない。

「お前、一体何なんだ?」

沈黙の後に、菅原が絞り出すような声で言う。

「嫌がる私の事は無視して犯したくせに、何故私は先生の質問に答えなければならないの?」

「・・・」

「変な気は起こさない方がいいよ。それじゃ、また明日ね、せ~んせっ。」

私は言うだけ言うと通話を切った。




翌日、ホームルームに現れた菅原は、明らかに疲れた顔をしていた。

寝不足なのか、気持ちが疲弊したのか、生気が抜けたような目を微笑む私に向ける。

だが、直ぐに逸らすと教壇へ移動した。

そう。

それでいい。

のうのうと生きるなんて許さない。

私の存在に苦しめばいい。

お前がしたことの代償は何か、身を以て知ればいい。


「よ、茉祐。」

学校が終わり家に向かって歩いていると、後ろから声を掛けられる。

昔からずっと聞いている声だから知っている。

きっと、正常な私の心残り。

「なんだ、真人か。」

「なんだとはなんだ。それより、からあげ食おうぜ。」

「いいよ。」

同学年の真人は、隣に住む子供の頃からの幼馴染。

そこに在るのは、ありきたりな思い。

よくある話し。

でも、私はそれが嫌いじゃなかった。

そんな自分も。

この思いも。

「今日は生徒会は無いのか?」

「うん、月水金。」

「そうか。」

真人は言うと、私の隣まで来て歩調を合わせる。

「真人こそ部活は?って聞けよ。」

「えぇ。面倒。」

「あのな・・・」

と言って笑う。

それにつられて、私も笑った。

もう、忘れてしまったかと思った他愛ない会話と笑い。

私が好きだった何でもない日常。


商店街の肉屋で唐揚げを買うと、近くの公園に移動してベンチに座る。

「しっかし、蒸し暑いな。」

公園では親子連れの子供が遊具で遊んだり駆け回っている。

そんなものを見もせず、袋からからあげを押し出して真人は言うと齧りついた。

「梅雨って鬱陶しいよね。」

「このねっとりした暑さがな。」

「うん。」

私もからあげを口にする。

ここのからあげ、好きだった。

すごく美味しかった。

真人と買い食いしているから余計かもしれない。

でも、もう私は味を感じる事が出来ない。

何を食べても、味がしない。

あの日、あの夜、家に帰った時から。


「ねぇ真人。」

「ん?」

「私、真人の事が好き。」

「ぶっ!?」

真人はからあげを口からはみ出させ、驚いた目で私を見る。

何を言い出しているんだとばかりに。

「急に何を言い出すんだよ。」

「そうよね。私にとっては急じゃないんだけど。」

「まじ?」

驚いた顔のまま気まずそうに聞き返す真人に、私はうなずく。

「そうか。」

真人は言うと食べるのを中断して、上空を見上げた。

散ったな、私。

「悪いな。」

やっぱり。

「一足遅かったな。少し前から、気になってたヤツと付き合い出したんだ。」

「そっか、それは良かったね。」

「なんだよ、もっと感傷的になるかと思ったのに。」

本当ならなっていたと思う。

だけど、今の私ではそれはもう出来ない。

「ショックじゃないわけないでしょ。」

「そっか。」

「でも、気にしなくて大丈夫。これで私も新しい恋を始められるから。」

俯き気味の真人に笑顔を向ける。

「いればいいけどな、相手が。」

「それ失礼。」

言ってお互いに笑う。

「いつまでこうして、二人でからあげ食えるかな。」

「彼女としなよ。」

「それはするけどさ。」

「今日で最後ね。」

言うと真人は少し、寂しそうな表情をした。

「付き合っている間は、ちゃんと相手のこと見なよ。」

「あぁ、そうだな。」

残りのからあげを見ながら真人は頷いた。

食べ終わってから話せば良かったかな。

と、少し思った。


でも、これが最期なのは本当だと言う事は出来ない。

きっともう、次は無い。

黒い泡沫の思いは弾ける事無く私の中で溜まり続けている。

そんな私を真人には見せたくない。

やがて、包括出来ずに心が砕けてしまうかも知れないから。


言えずに抱き続けていた思いは伝えられた。

真人の家の玄関前で別れると、私は隣の自宅へと帰る。

好きな人が出来たなら良かった。

幼馴染に囚われずに済むから。

玄関から入る前、もう一度真人の家を見て中に入った。


心残りだった思いを伝え、向き合ってもらえたのは本当に良かった。




翌日も、菅原は私を一瞥するだけで終わった。

得体の知れないモノとは関わらない様にしようと決めたのだろうか。

だけど、そんな事は赦さない。


授業が終わり放課後になると、私は生徒会室に行く前に職員室に寄る。

入ると、私に気付いた菅原が慌てて席を離れようとした。

「菅原先生、教えて欲しいところがあるんですけど。」

私は教科書を見せて言うと引き留める。

他の教師が居る手前、逃げる事は出来ないだろう。

「あ、あぁ。どこだ?」

諦めた菅原は、椅子に座り直すと私を向いて言った。

戸惑う視線を向けながら。

私は菅原の傍に移動すると、机に教科書を広げる。

ページは適当。

どこでもいい。

授業内容とは関係ない、すぐに菅原は気付いたのだろう。

目を細め口の端を上げて嗤う私を見た瞬間、菅原が硬直した。

「私の身体、どうだったの?」

ガタン!

勢いよく立ち上がった菅原の椅子が倒れ、大きな音を立てた。

他の教員が菅原に視線を集中させる。

「な、なにを・・・」

その顔は動揺から怒りに変化した。

「菅原先生、どうかしました?大丈夫ですか?」

「い、いや、すみません。ちょっとバランスを崩してしまって・・・」

心配そうに声を掛けて来た女性教員に苦笑いしながら言い訳をする。


菅原が椅子を直し座り直すと、教員たちは自分の仕事に戻り始めた。

「別のところで話そうか。」

「あぁ、なるほど!ありがとうございました。」

子声で睨みながら言う菅原を、私は無視して言うと教科書を閉じて頭を下げる。

一番近くに居た教員、隣のクラスの担任である蛯名。

彼には聞こえていたのだろう。

落ち着かない雰囲気でこちらを気にしていた。

菅原より年上の四十くらいの蛯名は、どこか疲れた感じのある冴えない男性教師。

菅原と私を何度も見ていた。

何を考えているかはわからない。

聞こえた事で、どう転んでもいい。

私に、損は無い。

そう考えながら、私は教員室を出て生徒会室に向かった。


生徒会室を片付け、鍵を掛けると職員室に行く。

鍵を返すために。

曇り空の所為か、十七時を回った校内は薄暗い。

菅原が居たらと思うと、最後になった事を後悔しつつ職員室に入る。

菅原の姿が無かった事に安堵しつつ、キーボックスへ鍵を返却し管理簿に返却時間を記入した。


「坂本さん。」

家に帰るため校舎を出ようとしたところで呼び止められる。

振り向くと声を掛けて来たのは蛯名だった。

「なんでしょうか?」

「菅原先生に何かされたんじゃないかと思って、心配だったから声を掛けたんだ。」

「何もありません。」

「そうか、それないいいんだけど。」

「じゃぁ、もう帰っていいですか?」

面倒だから帰りたい。

そう思っても、蛯名の顔は簡単に帰らせてくれそうにはなかった。


「菅原先生に言った内容から、公には出来ない事なんじゃないか?」

はぁ・・・

私は心の中で大きく溜息を吐き出した。

「先程も言ったように何もありません。菅原先生をからかっただけです。」

「にしては、菅原先生の驚き様は尋常じゃなかった。」

聞こえたのがこいつだったのは失敗だった。

本当に、そう思わざるを得なかった。

「教育委員会に仄めかしてもいいんだよ。菅原先生の進退も、君の学校生活も普通じゃなくなるかもしれないけれど。」

蛯名は言って笑みを浮かべた。

気持ち悪い。

「脅迫ですか?」

「いやいや、単なる交渉だよ。」

「・・・」

どこが?

「菅原先生とはいくらで?まさか、恋愛関係とかじゃないよねぇ?」

「・・・」

「妻子持ちの菅原先生より、僕の方が多く出せると思うよ。」

「・・・」

こんな奴に邪魔をされるわけにはいかない。

人の弱みに付け込むような奴程度が。

私の邪魔なんかできると思うな。

「とりあえず、言い値を聞かせてくれ。それで秘密が守られるなら問題ないだろう?」


私がスマホを取り出すと、蛯名は怪訝な顔をする。

『とりあえず、言い値を聞かせてくれ。それで秘密が守られるなら問題ないだろう?』

「!?」

再生ボタンを押すと、先程の蛯名の発言が流れた。

「警察に今から駆け込みましょうか?」

「消せっ!」

怒りの表情で掴みかかってきた蛯名の股間を蹴り上げてやる。

「私の邪魔をしないで。」

「なんの、話しだ。」

蹲った蛯名は私を睨むと、苦しそうに漏らした。

「音声は家に帰って別の物に保存する。時期が来たら削除するから、それまでは一切私に関わらないで。」

「・・・」

蛯名の進退なんかどうでもいい。

私の邪魔さえしなければ。

他に漏らせば自分もただでは済まない。

そんな事くらいわかるだろう。

「わかった・・・」

まだ蹲る蛯名から急いで離れる。

背中を向けたら襲われるんじゃないか、そんな恐怖もあったが杞憂だった事に安堵した。





翌日、ホームルームに現れた菅原の顔に出ている疲労感は濃くなった様に見えた。

微笑んだ私を見るとすぐに目を逸らして教壇に立つ。

その行動は変わらない。

ただ、特に周知も無く、普段なら言うであろう雑談もせずにさっさと教室を出て行った。

「先生、なんか疲れた顔してたね。」

「忙しいんじゃね?」

「もうすぐ期末あるからじゃない?」

「それか!?・・・」

「またヤバいとか言い出すんでしょ。」

「またって言うな・・・」

そんな会話が聞こえてくる。

確かに、それもあるだろうけど、私の存在が拍車をかけているのだろう。

そうでなくては困るけど。


この週、懸念だった蛯名の動向は、何事も無く通り過ぎほっとしている。

びっくりするくらい私には関わって来ない。

それと、菅原の疲労度は蓄積している様に感じた。





翌週月曜、私は菅原を教室に呼び出した。

生徒会が終わる時間は、教室に残っている生徒は居ない。

「何の用だ?」

「そんな冷たい言い方、酷くないですか?」

と言って笑みを向けてみるが、生気の無い無表情を向けてくるだけだった。

そんな状態を望んでいたわけではない。

もっと、苦しめばいいのに。


「先生、お子さんは何人?」

「何故お前にそれを教える必要がある。」

そう来くるんだ。

自分のやった事は棚に上げ、私が悪者の様な態度。

腹立たしい。

「私が悪者みたいじゃない。」

「違うと言えるのか?」

「先生ほどじゃないよ。もしかして、もう自分のした事を忘れたの?」

「・・・」

「今でもあの土の中に居るんだよ。もう腐ってるだろうけど、なんなら確認しに行こうか?再認識のためにも。」

「・・・娘が二人だ。」

菅原は顔を逸らすと、苦鳴の様に吐き出した。

「へぇ。可愛いよねぇ。私の父親にとっても、私は可愛い存在だったかなぁ?」

「くっ・・・」

菅原はその言葉に、目をきつく閉じて歯を食いしばった様だった。

馬鹿じゃないの。

「こっち見なよ。お前が殺した相手の顔をちゃんと見なよ。」

菅原が私に顔を向けると、表情を険しくして睨んだ。

今の私の顔を見たらわかるよねぇ。

私がどんな事を言うか。

そういう顔をしているよねぇ。

「家族サービスはちゃんとしてる?」

「何が言いたい?」

「血と欲望に塗れた穢れた手で、家族サービスされた娘はその事を知った時どんな反応をするかなぁっ!」

「お前ぇぇっ!!」


私に掴みかかろうとした菅原は、机に身体を打って盛大な音を立てて倒れ込んだ。

「また殺すの?」

「自分の娘は嫌でも、他人の娘は良いんだ?」

「大きな音を立てたから誰か来るかもね。」

「今私を殺したら、もう逃げられないじゃん。」

「・・・」

菅原は無言で床に拳を叩きつけた。

私の態度にか、自分の境遇にか、この場で殺せない事にか。

わからないけど。

「じゃ、また明日ね、せ~んせっ。」

私は鞄を掴むと、足早に教師を出る。

「くそっ!!」

その声と、何を叩くような音を背後に聞きながら。


まだ・・・

まだ、足りない・・・




翌日、菅原の顔はさらに酷くなっていた。

目の下の隈も色濃くなった様な気がする。

チャイムが鳴ると同時に入って来た菅原は、ついに私に目を向けなくなった。

教壇に立ち必要な事だけを告げると、さっさと教室を出て行く。

現実から目を逸らすなんて、許さない。


放課後になると私は職員室を訪れる。

菅原は私に気付くと嫌そうな顔をしたが、逃げようとはしなかった。

無駄だとわかったのか。

「菅原先生、また教えて欲しいんですが。」

「わかった。指導室に行くぞ。」

菅原はそれだけ言うと、職員室から続く指導室に向かい引き戸を開けた。

怪訝な顔をする他の教員が何人かいたけど、そんな事を気にしている余裕は無いのか。


私は奥に座れと促され移動する。

「悪いが、扉は開けたままだ。俺に限らず個室にしないルールになっている。」

「別にいいよ。」

職員室から見えるのは菅原だけ。

私は菅原の前に教科書を置き適当に開く。

「先生、顔色悪いよ?」

「・・・」

言った私を、菅原は無言で睨んで来た。

誰の所為だと言わんばかりに。

今顔色が悪い直接的な原因は私かも知れないが、根本原因はお前だよ。

ふざけんな。

「学校は休まないでね。体調不良でも。」

「そこまで指図される謂れはない。」

「そっか。じゃ、先生の家にお見舞いに行かないとねぇ。」

「くっ・・・」

私が口の端を上げて嗤いながら言うと、私を睨む目が更にきつくなる。

「そんなに嫌がるの?教え子がお見舞いに来るのが?それとも私だからかなぁ?」

「・・・」

「そんな険しい顔をしていると、他の先生に不審に思われるよ?」

「どの口が。」

まぁ、いいけど。

「いつまで・・・」

菅原は口を開いたが、すぐに閉じて唇を引き結んだ。

たぶん、いつまで続けるんだとか聞きたかったのかも知れない。

けど、私から答えを得る事は出来ないと悟ったんじゃないかな。

「明日、生徒会が終わったらまた教室に来てね。」

「嫌だ、と言ったら?」

「拒否権なんて、あると思う?」

嗤う私に菅原は掴みかからんばかりの勢いで腰を浮かせたが、直ぐに座り直す。

「私は拒否したのに動けなくなるまで殴って犯したよねぇ?写真撮って脅迫までしたよねぇ?」

「・・・わかった。」

目を見開いて下から睨めつけ静かに言うと、菅原は顔を逸らしてそれだけ口にした。


「ありがとうございました。」

教科書を片付け、指導室を出るときに菅原に言って頭を下げる。

他の教員にも笑顔で会釈して職員室を出た。


私はまだ、生きたかった・・・


7月に入っても変わらない曇天の空を、校舎を出ると見上げる。

増した蒸し暑さの中、私は家に向かって歩き出した。





翌日、菅原は陰気な顔で教室に現れる。

私を見て直ぐに教壇へ向かった。

そう、意識してくれないとね。

大丈夫か、忙しいだけじゃないんじゃないか、菅原が去った後の教室ではそんな会話が聞こえた。

きっと忙しいよ、自分を守るためにね。


放課後、生徒会も終わり教室から変わらない曇天の空を見上げていると菅原が入って来た。

「今日は何の用だ。」

私は菅原に近付くと右手の掌を差し出す。

「スマホ開いて。」

拒否するだけ無駄だと悟っているのか、渋々ズボンのポケットから出して私の掌に置いた。

「渡せと言ったんじゃない、開いてって言ったの。」

菅原は私を睨みながら、電源を押して親指を画面に乗せる。

デスクトップが表示されたのを確認すると、私は画像フォルダを探して開いた。


「何これ、家族や趣味の写真ばっか。」

「当り前だろ。」

何が当たり前なのよ。

「当り前じゃない写真はどこへやったの?」

「・・・全部消した。」

菅原は私から顔を背けぼそりと言う。

そう。

証拠隠滅ってわけね。

「証拠になるもんね、そりゃ消すよね。」

「・・・」

菅原は無言のままこちらを見ようともしない。

「教え子から流れる精液で自慰行為でもしてるのかと思ったのに。」

と、煽ってみたけど反応は無かった。

つまらない。

でも、これから。

いいものを見つけたし。

「SNSも趣味や家族の投稿ばっかりだねぇ。」

「勝手に見るな!」

スマホを奪おうとする菅原から逃げて嗤う。

「イヤ。」

ただ、本気で奪おうとしている風でもなかった。

暴力教師のくせに。

「無理矢理はもうやめてよね。大声出すから。」

「・・・」

「登録者少ないね。」

「一介の教師のSNSを登録するやつなんてそんなに居るわけないだろ。」

ふぅん。

そう。

私が増やしてあげようかな。

そう思うと、私はスマホを上に翳し、ピースをして笑顔を向ける。


カシャ。

「おい!何してる!?」

音を聞いた菅原は凄い勢いで振り向くと声を荒げた。

「何って、見ての通り自撮り。」

「やめろ!」

やめないけど。

「可愛い教え子の写真だよ。在った方がいいでしょ。」

「消せ。」

「嫌だ。」

凄んだところで、今の私にはもう恐怖は無い。

死んだ時に、そんなものは無くなってしまった。

「返した時に自分で消してよ。見られたくないんでしょ。」

「・・・」

私の言葉に菅原は怪訝な顔をした。

すんなり返してもらい消せるとは思ってなかったのかも知れない。

別にそれはどっちでもいい。

「下着とか撮ろうか?」

「もう、止めてくれ・・・」

私が言ってゆっくりスカートを捲り始めると、菅原は膝を床に落とし、手を床について言った。

土下座まではいかなかった、もう私の相手はしたくないという事だろう。

良い感じにはなってきたけど、その程度でじゃ済まさない。


『教え子の茉祐ちゃんでーす。』

SNSに自撮りした写真を投稿して、付けたコメントを声に出して読み上げる。

「何してんだ!!」

菅原は立ち上がって飛び掛かるように私からスマホを奪い取った。

慌てて操作しているところ見るに、投稿を削除しているのだろう。

だけど、誰が見たかわからないけど既読は1になってたのよね。

「あはは!先生、必死すぎるよ。」

菅原は嗤う私を凄い形相で睨んで来た。

「お前、どこまで俺を苦しめる気なんだ!」

「教えない。私は苦しむ権利すら奪われたんだけどなぁ。」

「くっ・・・」

またそれ?

今日は少し溜飲も下がったし、いいかな。


私は鞄を掴むと菅原の横を通り過ぎる。

「また明日ね、せ~んせっ。」


家に帰って、菅原のSNSを探したが、既にアカウントは削除されている様だった。





翌日、教室に入って来た菅原の目はまったく生気が感じられなかった。

虚ろな目を私に向け足を止めたが、すぐに教壇に移動した。

殺さない。

死ぬことも許さない。

私にした事で、生きたまま苦しみ続ければいい。


毎日会いに行ったら怪しまれるから、今日は大人しく家に帰った。

だが、死の気配を感じて家を飛び出す。

菅原の携帯に連絡したが、電源を切っている様だった。

居場所はわかる。

学校から最寄りの駅。


改札を抜けホームを探すと、一番端の乗り場に菅原がスマホを見て立っていた。

鞄は足元に置いてある。

静かに後ろから近づくが、こちらに気付く気配は無い。

スマホで何を見ているのかと確認したら、黒い画面のまま。

ただ、その画面に焦点の合わない目を向けているだけだった。


やがて、ホームに急行列車通過のアナウンスが流れる。

菅原が立っているホームを通過する電車だ。

そこまで追い詰めたつもりは無かったが、もう限界なのだろうか?

死んだ私は、もう何も思う事は出来ないのに。


ホームの先に、電車が見えると菅原は端に向かってゆっくりと足を進めた。

黒い画面のスマホを見たまま。

電車がもうすぐホームに入りそうなところで、私は菅原の上着を掴んで思いっきり引っ張った。

「!!」

止められると思ってなかったのか、尻もちをついた菅原は驚きの表情を私に向ける。

「死に逃げるなんて絶対に赦さない!」

「坂本・・・?」

まだ、状況を飲み込めていないようだった。

それは、死ぬことしか考えてなかったからかも知れない。

本来なら、死んでいた筈と思ったからかも知れない。

「何故、お前が此処に?」

「あんたの行動はなんとなくわかるって。」


菅原は目に涙を浮かべると、正座をしてゆっくりと私の足元に頭を付けた。

「もう、止めてください。」

絞り出すように言ったその言葉は、か細く弱弱しかった。

「許して欲しいとは言いません。一生、出来る限りの償いはします。」

菅原は頭をホームに押し付けたまま、涙声で言う。

そんな事を聞きたかったわけじゃない。

ただただ、苦しめたかった。

でも、そろそろ苦しむを通り越して壊れそうだった。

だから何?

「死んだ私はもう何も出来ないのに、勝手な事を・・・」

「・・・」


「先生さ、悪い事したのにしてない事あるよね?子供でも知ってる事を。」

菅原は無言のまま動かない。


「申し訳、ありませんでした。」

暫く経ってから、菅原は静かに口にした。

周囲には何事かと人が集まっていたが、私は気にしない。

気にする必要も無いし。

菅原だけが、衆目に晒されている結果になるから、どうでもいい。

「違う。私じゃなく、未だに土の中で放置されている私に謝ってよ!!」

「・・・はい。」

「それを確認したら、もう消えるから。」

私はそれだけ言うと背を向ける。

「え?どういう・・・」

菅原の疑問を置き去りに、私はそこから立ち去った。

集まっていた野次馬は、私が通る時に割れるように避けていく。

まるで、腫れ物には関わりたくないという様に。

他人事の野次はするくせに。

でも、もうどうでもいい。


菅原が学校に戻った事、あの場所に向かった事は察知出来た。

だから私は家に帰る予定を変更して、近くの警察署を訪れる。




同日夜、警察署の会議室に通された私の前には婦警が座っていた。

「事件に巻き込まれて相談したいって事だったわね。何があったの?」

私は頷くと、ゆっくり話し始める。

「信じてもらえるかわかりませんが。高校の裏、古い体育用具室から林に進んだところに女子生徒の遺体が埋まっています。」

「えぇっ!?」

私が言った事に、婦警は驚きの声を上げた。

そうよね、いきなりそんな話し。

「本当なの?」

でも、婦警はあしらう事なんかせず真っ直ぐに私を見て確認した。

「はい。信じてもらえないのなら、私が行って掘り起こして写真を撮ります。」

「いや、あなたが行かなくても大丈夫よ。本当ならすぐに現場に署の人間が向かうから。だから、もっと詳しく聞かせてもらえる?」

「はい。」

優しく言う婦警に、私は安堵して頷いた。


私は菅原のやった事をすべて話した。

まるで自分の事の様に話した私に、婦警は怪訝な顔を何度もしていたが。


婦警はすぐに署員を向かわせると言って席を外した。

これで、やっと私は本当の意味で家に帰れるだろう。


「もう少し協力してもらうけど、時間は大丈夫?」

「はい。」

「あと、これに住所や名前書いて欲しいんだ。」

婦警は言いながら、一枚の紙とボールペンを私の前に置いた。

書いても無駄なんだけど。

まぁいいか、と思ってゆっくりと書いていく。


暫く待っていると、署内がざわつき始め、慌ただしくなった。

「坂本さんの言った通りだったわ。今後、証言を取る必要があるから自宅に警察が伺ったりするし、坂本さんに署に来てもらい協力してもらう事もあるの。」

私は婦警の言葉に、頷いておいた。

遺体の身元が判明する頃には、私は多分居ないだろうな。

そう思いながら。





高層ビルの屋上、私はそこから街の景色を眺めていた。

「もう少し時間はありましたが、良かったのですか?」

「うん。死なれたら意味無いから。」

「そうですか、わかりました。」

私の横に佇む少年は静かに言った。

「結局、あなたって何者?」

「さぁ。生者が知る事は叶わぬ身故、現での存在がありません。故に、わたくし共に当たる言葉はわかりません。」

「そう。まぁいいわ。それと、ありがとう。」

「いえ。黒い泡沫は弾けなければなりません。これも仕事です。」

「ふぅん。」

「では、参りましょう。」

私は立ち上がって少年の手を取ると、もう一度街に目を向けた。


学校が糾弾されるところ、菅原が教職を追われるところ、菅原の家庭が崩壊する様、いろいろと見たかったけど叶わない。

存在が無かった事にされるとしても、菅原の苦しみは残る。

それだけでも、ほんの少しでしかないけど、気持ちは軽くなったから。




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