道標
山の稜線が、星の影に沈んでいく。夜空は、ただ黒いのではなかった。あまりに星が多く、空全体が光で編まれているようだった。無数の点と点が絡まり、いつの間にか迷子になっている。
その下で、少女は歩いていた。学校の帰り道だろう、制服のブレザーにマフラーだけというのは、目前に迫った冬には少し貧相な格好にも思えた。コンビニで買ったココアは指が悴んで開かず、せめて温まろうと持っていたがもう冷めきっていた。すっかり冷たくなった缶を無造作にレジ袋に放り込む。グシャ、と潰れる音がして、さっきおにぎりを買って食べていなかったことを思い出す。少女は少しの後悔を覚えながら歩く。
街灯もない坂道を上りきると、空がひらけた。風が吹く。耳元をかすめるとき、何かが鳴ったような気がした。チリン。風鈴のような、金属の輪が揺れるような――音のない音。彼女は振り返る。けれど、そこには誰もいなかった。
静けさが濃くなる。冷たい空気が耳の奥まで染みこみ、身体の境界が曖昧になる。空を見上げたまま、彼女は少しだけ息を止めた。世界が凪いだ。
空をしばらく見上げてから、彼女は歩き出す。丘の向こう側へと続く、ゆるやかな下り道。道は細く、両脇には手入れされていない木々が立ち並ぶ。葉を落としきった枝が、星の光を透かしている。
足裏が、わずかに後ろへと引かれる。重力が身体を導こうとする。彼女は小さく歩幅を整えながら、ゆっくりと坂を下りていく。一歩踏むたび、落ち葉がしゅっ、しゅっと音を立てる。音はそのまま木々と夜空に吸い込まれていく。
風が木々の間を抜け、枝同士がふるえあう。それは確かに“夜の音”だった。
やがて、空気が変わる。湿り気を帯びた風が頬に触れる。視界の下方、黒くひらけた場所に、川があった。水音はなかった。けれど風に、しなやかな葉が揺れている。柳の枝が、川の水面に糸のように触れていた。彼女はその枝の下をくぐり抜けるようにして、川辺へと出る。
水は流れていない。凍っているわけでもない。ただ、あまりに静かで、重力すらもないようだった。
水面の星が、空の星よりも鮮やかに見えた。彼女の足元が浮いているような錯覚。このまま引き込まれても、誰も気づかないだろう。
川沿いの公園の端にある、誰も使わないベンチに座る。
木の板がぎし、と鳴いた。その音が、彼女に応えて発された“言葉”のように聞こえた。
彼女は空を見上げる。星は多すぎて、かたちが掴めない。
けれどその中に、ひとつだけ、揺れない点がある気がした。
名前は分からない。でもそれが、誰かが言っていた「ポラリス」かもしれないと思った。
遠くで電車の音がする。とても遠く。彼女には、その音が別の世界のもののように聞こえた。街の光も、人の生活も、ぜんぶ透明な膜の向こう側で起きている気がする。
スマホの電源は切れたまま。電波も届かない。通知も来ない。
けれど彼女は、もうそれを気にしていなかった。
立ち上がって、夜の道を歩く。
足元には霜が降りて、草がやわらかく潰れる音がした。
さっきよりも風があたたかい気がした。それは錯覚かもしれない。でも、悪くなかった。
歩きながら、彼女はふと思う。
見えないけれど、在る。
名前もないけれど、そこにあるもの。
ポラリスは、空の中ではなく、自分の内側に灯っていたのかもしれない。
小さく、でも確かに。それで十分だと思った。




