第05話 警察省中央統括室主任 ニカ・ブラヴァルス
──朝……か。
薄い板張りの壁のあちこちから、朝日がいくつも入ってくる。
チェックインはもう夜が更けてたから、よくわからなかったが……こりゃあ思ってた以上のボロ宿だな。
ヤることヤったら、声が外に筒抜けじゃねぇか。
ベッドも硬ぇのなんの……。
敷き布団が完全に煎餅、どんだけ腰でプレスされてきたんだ。
そういやぁ……菜緒と暮らした安アパートも、壁の隙間が多かったけか。
夏は虫、冬は隙間風……。
大家のクソババアは部屋に手を入れられるのが大嫌いで、目張りもできなかった。
「子どもができたら無理してでも引っ越そうな」って話してたな。
子ども……か。
そうだな、こんな部屋は子どもの成長によろしくねぇ。
さっさと発つとすっか!
「……ヒビキ、朝だぞ。起きれるか?」
「ン……。うう……ン……んん……」
俺の隣、シーツの上で手足を曲げて、横になっている全裸のヒビキ。
こちらの呼びかけでうっすら目を開け、気だるげに全身を伸ばす。
肘も膝も、出会ったときよりだいぶ動くようになったが、ピンとは伸びきらない。
まだ歩かせるのは無理か。
「ヒビキ、宿を出るぞ。おまえの親探しに出発だ」
「ン……うん」
ヒビキの小脇を背後から掴み、ベッドの縁へと座らせる。
それからベッドのシーツを羽織らせ、肩から足首までをくるむ。
使い古されたシーツだ、ちょいと心付け置いときゃあ文句もねぇだろ。
「……悪いな、そんなナリさせて。出発前に街で買い物すっから、そんときにちゃんとした服も買ってやるよ」
「えっ……。街……?」
シャツを羽織って背中の般若を仕舞う俺へと、ヒビキが不安の籠った顔と、明らかに嫌悪が交じった声を向けた。
夕べは行く先々の宿で、罵声浴びせられたからな。
すっかり萎縮しちまったんだろう。
だがそこは、俺もベッドん中で夜通し対策を考えた──。
「なぁに、早朝なら人は少ねぇし、ヒビキのことはきっちり守ってやるからよ!」
◇ ◇ ◇
──商店が居並ぶ街中。
通りの中心を、ヒビキを右胸に抱いて堂々と歩く。
ヒビキは俺の胸へと顔を埋め、世間様には白い髪と黄ばんだシーツだけを見せている。
ツノは……俺のシャツの胸元に穴をあけ、内側へと収納……隠してる。
これならだれがどう見ても、ただの抱っこされてる女の子だ。
赤い耳だけは、隠しようがなかったが……。
疑われたら、風邪で熱持ってるとでも言うさ。
「ヒビキ、息苦しくないか?」
「……大丈夫。でも……」
「でも?」
「人間の街……見て……見たい……」
「……そいつはすまない。きょうところは我慢してくれ。買うもん買い揃えて街を出るだけにしたら、見てもいいからよ」
「うん……」
差別は怖い、でも街は見たい。
まだ小さいから、臆病と好奇心の振り幅が大きいんだろうな。
それにしても、オーガのツノってのは……かなり固いんだな。
先っぽがツンツン肌に刺さってきて……けっこう痛いぞ──。
◇ ◇ ◇
「……よし。食いもんは、これだけありゃあ四、五日持つか」
パン、干し肉、果物を中心に食いモンの買い溜め。
鹿の革で作られたズダ袋へ、パンパンに詰め込む。
ときどきヒビキが、顔を左右へ振って通りをチラ見してるが……まあ、バレなきゃいいか。
さーて、あとはこいつの服を買ってあげるだけ──。
「……シズク・ヤマトネ。稼業は用心棒……ですね?」
「あぁ?」
低い女の声、あるいは高い男の声。
性別不明な声が、丁寧な口調で背後から。
店から数歩引いて、振り向けば……。
そこにはやはり、男か女かわからねぇ、黒いスーツに身を包んだ奴が。
うなじでまとまった艶のある金髪、青い瞳、白い肌、細い顔に細い首……そして赤い唇。
こっちの世界じゃ主流の西洋顔だが、男のナリをした美女か、女っぽい顔をしたイケメンか……わからない目鼻立ち。
喉仏の辺りは……首に巻いた灰色のスカーフでうまく隠してやがる。
「いかにも俺は、山利根雫だが? アンタはだれだい?」
「はじめまして。警察省中央統括室主任の、ニカ・ブラヴァルス……と申します。不躾な声掛け、失礼しました」
「警察省……ちゅーおーとーかつ……」
警察省ってのは確か、この国の警察のトップの組織……警視庁か警察庁に当たるところだったな、確か。
……で、ニカってのはここじゃあ、男にも女にもある名前。
どこまでも性別不明な奴。
そして淡々として事務的な口調……職業的にも性分的にも、俺とは相性悪そうだ。
「その主任さんが、俺になんの御用で?」
「昨晩の夜盗捕縛の件で、あなたに窃盗の容疑が掛けられています」
「ああン……窃盗? 俺が夜盗の一味だって言うのか? 俺ぁきちんと、村の自警団からの依頼で──」
──スッ……!
俺の言葉を遮って、白い手袋を嵌めた右手で紙切れを掲げるニカ。
その向こうに見える顔半分では、艶やかな唇の口角を上げて、笑みを浮かべている。
「最初に述べたとおり、あなたの身分は把握しています。盗まれたというのは、いまあなたが抱えているオーガ。この被害届を出したのは、オーガが飼われていた小屋の持ち主、です」
「はああぁ~?」