第03話 平成の終わり
「赤ちゃんってのは、マジで赤いのか……」
産婦人科で、わが子……わが娘を初めて見たときの、俺の第一声。
妊娠は十月十日って聞いてたが、せっかちな俺の血を濃く継いでしまったのか、わが娘……響は、八カ月でこの世に生まれ出ようとした。
早産。
嫁……菜緒と散々話し合って、二人目から先の子を諦め、帝王切開で響をこの世に迎えた。
ただ一人のわが子……響に、夫婦の愛情と余生をすべて注ぐと決めた。
そんな俺たち夫婦が授かったのは、体重一三〇〇グラムの、産声を上げない真っ赤な赤ちゃん。
未熟児──。
保育器に入れられた、父親が抱くことも、母親が乳を与えることも許されない、小さな小さな命。
菜緒は張った乳房から母乳を漏らしながら、それ以上に涙を流して響の健康を祈る。
自身の手術が、体への多大な負担だったことも忘れて──。
「菜緒……。響……」
……夜盗をブチのめした馬小屋の中で、思わず二人の名を漏らす。
響はわずか四日で、発育不全でこの世を去った。
その四日間は、小さな愛娘が賢明に「死」と闘った日々だ。
小さな小さな響が、俺たち夫婦の子でありたいと願った日々だ。
俺と菜緒が「親」であった、永遠にも思える大切な時間だ。
そして菜緒は、間もなく響の後を追った。
尽きぬことを知らない母乳を、飲ませに行ったのだろう。
身がいかに瘦せ衰えようと、乳房の張りだけは固辞した。
全身骨と皮だけになりながらも、母乳の蓄積だけは怠らず、全身ガリガリの身に潤沢な巨大な乳房を垂らしたおまえの姿を、俺はいまでも誇りに思っている。
あれ以上に美しい母親像なんて、あるものか……。
そして、時代が平成から令和へ、移ろう時。
俺はいまや、元号とは無縁の世界にいる──。
「……大丈夫か? 怪我してないか?」
肌が薄ら赤い、ツノを持つ少女。
その前で膝を曲げ、目の高さを合わせて、おずおずと声掛け。
いつぶりか思い出せないほど久々に、声を震わせて。
「……ン。大丈夫」
「そうか。いますぐ、その枷を外してやるからな」
腹に巻いたサラシへ忍ばせていた、元の世界から連れてきていたドス。
極道者の得物とは言え、刀鍛冶が玉鋼から錬成した、この世界に二振りとない切れ味を持つ鬼の刀。
その刃をもって、赤い少女の手足の枷を分断。
鬼子に自由をもたらす。
「……立てるか?」
「ン…………無理。ずっと体、固められてたから……」
「……そうか」
どれほどの時間、拘束されていたのか。
オーガの少女の体は、まるで死後硬直のように手足の関節が動かない。
手足を内側へ折り畳み、昆虫の蛹のように丸まっている。
悪臭を放つ髪の毛からは、ノミかシラミだかの小さな虫が、われ先にと飛び跳ねて、健康な俺の体へと移住してくる。
そんな少女を、割れ物を扱うように、そっと胸へと抱き上げた。
「……名前は?」
「…………」
「まさか……ないのか?」
「……ある。ヒビキ」
「ヒビキ……」
このとき、この世界での、俺の生き様は決まった。
俺は、この子のために、この世界へ呼ばれ……。
この世界で、鬼として生きる宿命なのだと──。