第4話∶落ちこぼれ医師の目に映る世界
朝の鐘が王都フェルディア近郊の訓練所に鳴り響き、生徒たちは眠気を払ってそれぞれの持ち場へと散っていった。
魔力訓練棟、剣技演習場、治癒学科の教室。
中でも一番人気のない一角に、木製の机がひとつ。そこに座る少年の姿があった。
カイ・ミナヅキ。
かつて医師として命を扱った男は、今やDランクの落ちこぼれスキル持ちと周囲に嘲笑されていた。
「またノート取ってんの? お前、ホント真面目だな」
「でもさ、体温計って意味あるの? 戦闘にも使えないんじゃ……」
遠巻きに飛び交う言葉。カイは気に留めない。
その手元には分厚い観察ノート。スキルで測った体温の記録、症状の兆候、脈の乱れや呼吸の深さまで細かく記されている。
(体温はただの数字じゃない。体のサインだ)
そんな彼の思考を遮るように、教室の扉が乱暴に開かれた。
「カイっ!! 兄貴が倒れたんだ!」
荒い息をつきながら飛び込んできたのは、ナオ・エルム。短い金髪と鋭い眼差しの少年だ。
「兄貴って、ジン……?」
「中庭の裏だ! 訓練終わってから急に倒れて……動かねえんだよ!」
カイはノートを鞄に滑り込ませると、すぐに立ち上がった。
「医療セット持って行く。案内してくれ!」
◇ ◇ ◇
中庭の裏、小道の先。人目につかない静かな場所に、ジン・エルムは倒れていた。
精悍な顔立ちの青年は、仰向けのまま呼吸を荒げ、冷や汗を流していた。見ただけで、ただの疲労ではないことがわかる。
カイはその隣に膝をつき、すぐさまスキルを起動した。
《スキル発動:体温計》
《体温:38.6℃ / 動悸異常 / 筋肉痙攣:中度 / 魔力中枢過負荷:高》
「……これは重度の魔力障害だ」
「魔力障害……? 兄貴、そんなの一度も……!」
「潜伏型の可能性がある。気づかないまま進行してたんだ」
カイは冷却布と薬草袋を取り出し、脇の下、首筋、手首を冷やす。
同時に、手のひらで脈を取りながら呼吸を整えるための指示をナオに出す。
「ナオ、水袋。少しずつ口元に垂らして。誤嚥しないよう、慎重に」
「う、うん!」
手際は完璧だった。迷いのない動き。前世の医療経験が、異世界の非常時でも通用していた。
刻一刻と静かな時間が流れる。その雰囲気に飲み込まれるように、やがてジンの眉はわずかに動いた。
「……水……」
「飲まなくていい。口を潤すだけでいい。今は、それで十分」
安堵の息を漏らすナオ。カイは手早くハーブを砕き、魔力回路の安定を助ける薬湯を作った。
「これで、崩壊は止まる。あとは自然回復を待つ」
カイはその言葉の後、素早く片付けをし始めた。そして、その場に遅れて到着したのは、訓練所の治癒科担当教官、アレスタ・ミーニス。
「報告を受けて来たが……すでに処置済みとはな。見事だ、カイ・ミナヅキ」
「早期に熱と症状を察知できました。彼は大丈夫です」
「その判断力……並じゃないな」
教官は驚いたように彼を見つめ、ナオにはジンの搬送を手配するように指示した。
◇ ◇ ◇
数日後。ジンは無事に意識を取り戻し、診療棟から戻ってきた。キョロキョロと辺りを見渡しカイを見つけると、ナオと二人で頭を下げる。
「本当に……助けてくれて、ありがとう」
「礼なんていらない。俺がやったのは、できる範囲の応急処置だけだ」
カイはどこまでも淡々としていた。
だが、その後ろでは、噂が静かに広まりつつあった。
“落ちこぼれ”と呼ばれた少年が、命を救った__と。
「カイって、ただのスキルオタクかと思ってたけど……」
「リリアもそうだったけど、マジで治してるんだよな……」
「体温だけで何がわかるんだよ……って思ってたけど、あれは、違うな……」
人の見る目は、少しずつ変わり始めていた。
◇ ◇ ◇
訓練所の屋上、カイはノートに今日の症例を記録していた。そこへ現れたのは、教官のアレスタ。
「ミナヅキ。……君の働き、学内でも話題だ」
「話題になるようなことは……してないですよ」
「謙虚だな。だが君は、命を読む眼を持っている」
アレスタは真剣な声で続けた。
「正直な話、最初は《体温計》など何の役にも立たないと思っていた。だが、君はそれを武器に変えた」
「……武器、ですか」
「君のような者が必要なんだ、今のこの王都には。いや、この世界には、だ」
その言葉の真意を、カイはまだ知らなかった。
だが、言葉の重みに宿る未来の気配を、どこかで感じていた。
その日の夜。カイは一人、医療棟の前で静かにスキルを起動した。
《体温計:自己測定》
《36.4℃ 安定》
数字を見て、ふっと笑みが漏れる。
(体温が安定してると、こんなにも心が落ち着くんだな……)
(体温は、命のささやき)
(誰も気にしない些細な変化__でも、俺はそれを見逃さない)
風が、訓練所を静かに撫でた。そして彼の視線は、遠く王都の灯火へと向かっていく。
まだ見ぬ未来に、静かな覚悟を宿しながら。
▶次回予告(第5話)
『異変の兆しと数字の警告』
連続する魔力障害。浮かび上がる“共通点”と、見えざる“病原”の影。
カイは、数字の裏に潜む闇を追い始める――。