第3話 ∶初等魔法学園の門をくぐる
スキル発動試験の翌日。王都フェルディア近郊の訓練所では、陽が高く昇るにつれ、昨日の話題でもちきりとなっていた。
火を操る者、風を駆る者、傷を癒やす者。誰がAランクを取った、誰のスキルが派手だったと、至るところで興奮交じりの会話が飛び交っている。
その輪の中心に、カイ・ミズナギの姿はなかった。
彼は訓練棟の裏手、石壁にもたれてノートを開いていた。表紙には「観察記録」と手書きされており、ページにはびっしりと細かい文字が並んでいる。
(昨日の試験官……体温36.8℃、末端冷感、声のかすれ。呼吸浅く、魔力過剰の兆候)
彼はスキル《体温計》をただの体温測定機能だとは思っていない。
数字は「入口」だ。その奥に、見えない異常や変化を見つけ出すのが、医師としての彼の力。
(小さな違和感を拾い、組み合わせて、危機を予測する)
(たとえ評価はDでも、これは“読む”力だ)
人の命の波を、数字で読む。
最弱と呼ばれようと、彼の中に宿るものは、誰よりも鮮やかに命を見つめていた。
夕刻。
寮に戻ると、ちょうど魔力訓練を終えた生徒たちが戻ってくるところだった。
カイの視線の先で、赤い髪の少女がふらつくように廊下を歩いていた。
リリア・エルステラ。昨日、回復魔法を華やかに披露し、Aランクを取った少女だ。
だが今、彼女は顔色を失い、肩を震わせている。ゴホッ、と苦しげな咳が漏れた。
「リリア、大丈夫か?」
声をかけると、リリアは無理に笑ってみせた。
「ちょっと、疲れただけよ。大したことは……」
だが、その言葉を最後まで聞かず、カイは静かにスキルを発動した。
《スキル発動:体温計》
リリアの額の前に数値が浮かび上がる。
《37.4℃/呼吸乱れ/末端冷感/魔力中枢過負荷:軽度》
カイの表情が険しくなる。
「微熱だけど、魔力中枢に過負荷が来てる。早急に休まないと、魔力回路が焼き切れる」
「……そんな、でも……明日の選抜試験……」
「選抜より命のほうが大事だ」
短く、鋭い声だった。
「一晩でも無理すれば、魔力障害が残る可能性もある。君は回復魔法を使う。魔力中枢の精度は命取りだ」
彼の口調に嘘はなかった。
リリアは戸惑いながらも、カイの瞳をじっと見つめ……やがて、静かにうなずいた。
「……わかった。ありがとう」
「保冷水とハーブティー、それと湿布を。俺が持ってくる」
そう言って走り去るカイの背中を、リリアはじっと見つめていた。その目は、ほんの少し潤んでいた。
◇ ◇ ◇
翌朝、訓練所内は騒然としていた。
リリアが夜中に倒れかけたという話が広がったが、カイの的確な処置で未然に防がれたという噂も同時に流れていた。
カイは呼び出され、医療担当教官であるマルティンの前に立った。
「……君が彼女の異常をいち早く見抜いたと?」
「はい。《体温計》で兆候を確認しました。熱は微熱でしたが、呼吸が浅く、末端が冷えていた。魔力過負荷の典型症状です」
マルティンは興味深そうに眉をひそめた。
「君のスキルはD評価と記録されたが……見直しの余地があるかもしれんな」
カイは首を振った。
「戦えないことに変わりはありません。ですが、人を守る力ならあると思っています」
「……なるほど。君の視点は貴重だ。命を見抜く“眼”というわけだな」
マルティンは書類を見ながら静かに告げた。
「将来、王都中央医療塔の研修を受ける資格がある。希望するなら推薦するが、どうする?」
「……いえ、まずはこの訓練所で力を積みたいです」
「ふむ、謙虚だな」
だがマルティンは知っていた。
この少年は、たとえ医療塔に行かずとも、いずれ世界に名を刻むと。
◇ ◇ ◇
その日を境に、カイのもとに生徒たちがぽつぽつと相談に訪れるようになった。
「なんか、頭がズキズキしてさ……魔力回路の調整、見てもらえる?」
「私も! 昨日から体が妙に重くて……」
最初は冷やかし半分だった者たちも、次第に真剣な眼差しで彼に診てもらうようになった。
カイは一人ひとりに《体温計》を使い、体温だけでなく脈拍、皮膚の温度差、呼吸の浅さ、視線の揺れなど、あらゆる情報を“読み取って”いった。
(数値だけじゃ足りない。全身を見て、総合的に診る)
(それが、医師だ)
スキルはただのツール。
だがそれをどう使うかは、本人次第だ。
誰も気づかない異常に気づく。
誰よりも早く、命の危機を察知する。
それこそが、カイがこの世界で手にした“武器”だった。
夕暮れの屋上。
風が気持ちよく吹き抜けるその場所で、カイは静かにノートを閉じた。
ノートの最終ページにはこう記されていた。
__命に触れるスキルは、見た目じゃ測れない。
体温は、生きている証だ。
見える者だけが、守れる命がある。
彼は空を見上げた。
この空の向こうに、まだ出会っていない命がある……助けを求める声がある。そして、自分の力を試される日が必ず来る。
(俺は、見える)
(だから、命を……絶対に見逃さない)
第4話『落ちこぼれ医師の目に映る世界』
Dランクスキルと笑われても、命の兆候は見逃さない。
次に彼が気づく“異常”は、思いがけない事件の始まりだった。