第1話∶過労死した医師、異世界へ転生する
白い蛍光灯の下、モニターのアラームが鳴り響く。心電図はすでに平坦な線を描いていた。
呼吸器の音が止まり、周囲の医療スタッフが慌ただしく動く。
コードブルー――心停止の合図。
それでも彼は、最後の最後までカルテに目を通していた。
「……くそ、どうして発熱の兆候に気づけなかったんだ……」
深夜のICU。彼――水月海 は、患者の容体悪化に対し、すべての手を尽くしたつもりだった。
だが、救えなかった。
ほんの微熱。誰も気に留めなかった体温上昇が、敗血症の初期サインだったのだと、今になってわかる。でも、もう遅い。
疲労すら感じなくなったその身体を起こして壁を頼りに立ち上がる。
「まだ……、診なきゃ……」
その言葉を最後に彼は意識を手放した。倒れたのはその場で、遠くからは名前を呼ぶ声が微かに聴こえている。
過労と心労が重なり、心筋梗塞。医師として、命を救う側でありながら、自らの命を守ることはできなかった。
次に目を開けた時、彼はもう病院にはいなかった。
目の前に広がっていたのは、蒼い空と雲海。自分が立っているのは、白く光る石畳の上。そしてその先に、透き通るような女性が佇んでいた。
「目覚めましたね、水月海様」
その声には、重さも怒りもない。ただ静かに、優しさを包んでいた。
「ここは……どこだ?」
「神界です。あなたは、現世でその生涯を終えました。ですが――」
女神のような存在は、ふわりと微笑んだ。
「あなたの最後の行動、“命を診ようとし続けた意志”が、我々の目に留まりました」
「……意志?」
「はい。あなたにもう一度、別の世界で“命と向き合う機会”を与えたいのです」
言葉を失った。
自分が死んだことは、わかる。
でも、そんな形で評価されるなど思ってもみなかった。
「再び“診る者”として立ちたいと、あなたが願うのなら。新たな力を与えましょう」
「……それは、どんな力なんだ?」
女神は、小さく頷くと、両手を差し出す。
「あなたに授けられるスキルは――《体温計(Thermo Scan)》です」
「……たいおんけい?」
思わず聞き返していた。
「え、えっと、それって……体温を測る、あの体温計……?」
「そうです。対象の体温を±0.01℃単位で正確に把握できます」
「…………」
沈黙。
スキルとは、もっとこう……火を出すとか、治すとか、もっと派手なものではなかったのか?
異世界というくらいだから、魔法のような何かを期待していたのに。
「……それ、すごいのか?」
「非常に珍しい能力です。あなたのような“観察者”にこそ、ふさわしい力だと我々は判断しました」
「……わかったよ。もらうよ、そのスキル」
正直、がっかりだった。だが、一度命を落とした身だ、文句を言える立場じゃない。
女神はゆっくりと目を閉じると、淡く輝く光を彼の胸へ送り込んだ。
「あなたのスキル、《体温計》は、すべての命の“兆候”を見抜く鍵となるでしょう」
「そんな都合のいい話、あるかよ……」
だが、どこかでわかっていた。人の命が失われるとき、その前には必ず“兆し”がある。
それを誰よりも早く察知できるなら――
それは、誰にも負けない“命を救う武器”になるかもしれない。
眩い光に包まれた次の瞬間。視界が揺れ、重力を感じる。どしゃり、と地面に落ちた感触。
「いって……」
目を開けると、視界に広がるのは青空と、石の街並みだった。
「おや、目を覚まされましたか?」
声をかけてきたのは、白い修道服の女性。年は若く、透き通る声をしていた。
「あなたは……?」
「私は、神殿の神官・ミレナと申します。あなたは今、異世界“アナレスト”の王都近郊、シルエン神殿にいます」
「そうか……俺、生きてるのか……」
「はい。今からは“この世界の命”と向き合う日々となるでしょう」
カイは、自分の手を見下ろす。少年のような細い指。声も高く、若返っている。
これが転生……。
「スキルは《体温計》だったよな」
そう言いながら、目の前の神官に手をかざしてみる。すると、ミレナの額には小さな数値が浮かんだ。
《36.5℃》
確かに、“見える”。しかも正確だ。
まるで、自分の眼が“命のモニター”になったような――そんな感覚。
「面白いスキルですね。今後、初等魔法学園に入学するための訓練所に案内いたします」
「学園……?」
「はい。あなたの年齢なら、スキル訓練と評価を受ける必要があります。初等魔法学園での実績が、この世界で生きる第一歩となります」
「なるほど……」
今はまだ、頼りないスキルかもしれない。だけど、この力には意味があるはずだ。
(見えるなら、診られる。診られるなら、救える)
(だったら、もう一度――医師として、生きてみるか)
◇次回予告
第2話『神が授けたのは《体温計》だった』
少年の姿となったカイは、スキルの力を試す。そして、学園入学と、スキル評価の日が迫る――。