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第九十七話 騎士団訓練場②

皇宮の廊下をゆっくりと歩いていた。

転移魔法を使えば、一瞬で騎士団本部前の訓練場に着く。


だが──呼び出した本人であるリナは、俺の顔を見るなり瞳を細め、安堵したように胸を撫で下ろして小さく呟いた。


「これでよし。また戻ったら大変……」


(……なんだ、それは)


問い返す間もなく、頭に鈍い痛みが走る。

考えようとすればするほど、脳を掻きむしられるように痛んだ。

それでも歩を止めずにいるうちに、気がつけば訓練場の近くまで来ていた。


ざわめきと歓声が耳に飛び込んでくる。

普段の規律ある訓練場には似つかわしくない熱気。


(……遊んでいるのか? 俺がいないからと怠けて──)


眉をひそめ、足早に近づく。

しかし、そこに広がっていたのは「遊び」ではなかった。


騎士団員が円を作り、その中央で二人の男が激しくぶつかり合っていた。

木剣が打ち合わされるたび、乾いた衝撃音が訓練場に響き渡る。

砂が舞い、観衆の歓声が爆ぜる。


視線を向けた瞬間、俺の目は大きく揺れた。


(……なぜ、アレスが? ルイスと剣を交えている……?)


アイスブルーの髪が陽光を浴びて煌めき、鋭い瞳が相手を射抜く。

アレスの隣にいるはずの少女の顔を思い浮かべた瞬間。


「アレス、頑張れぇぇええ!!!」


訓練場の外から響いた澄んだ声。

高く澄んだ少女の声は、耳に心地よいはずなのに……なぜか俺を苛立たせた。


(……ステラか)


奥歯を噛みしめ、二人の戦いに目を戻す。


◇ ◇ ◇


「はっ!!!」

ルイスの鋭い踏み込み。木剣が唸りを上げて振り下ろされる。


だがアレスは一歩も退かない。

木剣を交差させて受け止め、そのまま力任せに押し返した。


「おお……っ!」

団員たちがどよめく。


(……良い勝負だな。少しだけ、ルイスが優勢か)


ルイスの剣筋は無駄がなく、経験に裏打ちされた重みがある。

対するアレスは荒削りだが、切り込む瞬発力と大胆さが光っていた。


ルイスが低く身を沈め、アレスの足を狙って横薙ぎに払う。

砂を巻き上げる速攻。

だがアレスは後ろへ跳んでかわし、即座に踏み込んだ。


「らぁっ!!!」


木剣が風を裂き、ルイスの胴を狙う。

ギリギリで受け止めたルイスの腕に、衝撃が走ったのが見えた。


「ぐっ……!」


観衆が一斉に息を呑む。


(……馬鹿な。押し返している……だと?)


アレスに剣を教えたのは俺だ。

確かに筋は良かった。剣の才はあると認めていた。

だが、いくらなんでもこの数年でルイスを圧倒できるほどの力を身に付けるとは思えなかった。


再び打ち合う。

何度も、何度も。

木剣と木剣が衝突するたびに、耳に響く衝撃音はまるで本物の鉄を打ち合わせているかのようだ。


額に汗を流しながらも、アレスの瞳は一切揺らがない。

獲物を狙う獣のような鋭さを帯びていた。


ルイスが渾身の力で打ち下ろす。

地面が震え、砂が飛び散る。


しかし──その刹那。


アレスは迷いなく踏み込み、木剣をすべらせるように相手の腕を逸らし、そのまま喉元へ突きを放った。


「っ……!」

ルイスの動きが止まる。木剣の切っ先は、彼の喉を正確に捉えていた。


「ルイスが……負けた!?」


団員たちの驚愕の声。


俺の胸にも重い衝撃が走った。


確かに、あの構え、あの間合いの詰め方──

俺の教えた剣がそこに宿っていた。


だが、あの一撃は。

まるで俺自身が振るったかのように鋭く、美しかった。


拳を強く握る。

胸の奥が、熱くざわついていた。



◇ ◇ ◇



「勝負あり──ッ!」

審判役の騎士が声を張り上げた。


木剣の切っ先は、確かにルイスの喉元に突き付けられている。

観衆の騎士たちから驚きと賞賛の声が一斉にあがった。


「す、すげぇ……!」

「ルイスが……押し切られた……?」

「信じられねぇ……」


そのざわめきの中心で、ルイスは歯を食いしばり、無念そうに木剣を下ろした。

だが次の瞬間、観衆の熱が一気に凍りついた。


訓練場の入口から、低い靴音がゆっくりと響いてきたのだ。

凍てつくような威圧感が、空気そのものを押し潰す。


「団長……!」

誰かが声を震わせる。


円陣を割るように歩いてきたのは──他でもない、アルジェラン騎士団長。

その漆黒の髪と鋭い碧眼が、訓練場を支配した。


アレスの木剣がまだルイスを指しているのを見て、ディルはわずかに目を細めた。


「……ルイス」


「はっ……! 申し訳ありません……っ!」

ルイスはすぐに、膝をついて頭を垂れた。


だがディルは彼を咎めることもなく、ゆっくりと視線を横へずらす。

その先には──勝者として立つアレスの姿。


アレスは父の眼光を真正面から受け止めていた。

だがその瞳に怯えはなく、挑む者の強い光が宿っていた。


(……この眼。俺に……挑むつもりか)


胸の奥で、何かが疼いた。

怒りか、誇りか、それとも別の感情か……わからない。


「……木剣では生ぬるいな」


ディルは腰の剣を抜いた。

鈍く光る鋼の刃が、訓練場の光を反射してギラリと煌めく。


一瞬で観衆の空気が張り詰めた。

団員たちは一様に青ざめ、誰もが息を飲んだ。


「団長……! 本気で……!?」

「やめてください、あの方は義息子様ですよ!」


焦る声が飛ぶが、ディルは一顧だにしない。


アレスの前に立ち、低く告げた。


「──来い、アレス。今度は剣を交える時だ」


アレスは一瞬だけ目を細め、そして唇の端を吊り上げた。


「……望むところだ」


彼の手に、別の騎士が慌てて預けていた剣を差し出す。

アレスはそれを受け取り、鞘を払うと鋭い音を響かせた。


冷たい鉄の刃が、二人の間で光を放つ。


訓練場を囲んでいた団員たちは誰一人声を出せず、息を呑んだままその場に釘付けになった。

ただ、春風が砂を巻き上げ、ふたりの間を吹き抜けていく。


父と義息子──。

師と弟子──。

血のつながらぬ二人の男が、今、真剣を手に対峙していた。


「──始めろ」


ディルの声と同時に、二人の影が閃光のように交錯した。

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