第九十五話 互いが生きる意味
「あのね……私は、聖女の毒殺未遂によって……お父様の手で、斬首刑に処されたの」
「………………は?」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
悪い冗談だと笑い飛ばせれば良かったのに──ステラの瞳は、冗談を言える色じゃなかった。
震えて、消えそうなくらいに弱々しいのに、そこには真実を背負う光が宿っていた。
俺は、ただ黙って耳を傾けた。
ステラは淡々と語った。
一度目の人生で自分がマティアスの婚約者だったこと。
ディルとは今のように親密どころか、まるで他人のように無関心な家族関係だったこと。
そして、冤罪でディルの手によって処刑されたこと──。
気がつくと十年前、六歳に戻っていたこと。
彼女はまだ全てを話していない。
それでも、今はそれでよかった。
……一度に飲み込めるほど軽い話じゃない。
「一度目の人生はね、殿下の婚約者だったから宮殿で顔を合わせることはあっても、学校でリナと関わることなんてなかったんだけどね……」
ステラのか細い声が静かな部屋に響く。
俺は息を吸い込み、そして最も聞きたかったことを口にした。
「それで……? ステラがそんな目に遭ってる間、俺は黙って見てたって言うのか?」
頭では簡単に答えが出るはずだった。
けど、この時の俺は、目の前の事実を処理するだけで精一杯だった。
ステラは一拍置いて、少し寂しそうに言った。
「…………一度目の人生で、私はアレスに出会ってない。ただの一度も」
その言葉で、胸の奥に冷たい衝撃が走った。
……出会ってない?
じゃあ、六歳に戻ったその時、俺はどこに──。
「───あの塔で、一生を過ごしていたのか。六歳のガキが皇帝に命令を受けたディルから逃げられるわけねぇもんな」
そう呟いた俺の声は、自分でも驚くほど低かった。
ステラは顔を歪め、言葉を飲み込んだ。
否定しない。それはつまり──図星、ってことだろう。
胸の奥が締めつけられる。
でも……それはもう過去の話だ。
ステラの一度目の人生には、俺はいなかった。
けど、今は違う。
俺はここにいて、ステラと出会って、こうして向き合ってる。
──なら、それで十分じゃないか。
やっぱり、俺を救ってくれたのはステラなんだ。
「ありがとう。ステラ」
「え……」
目を丸くする彼女に、俺は真っ直ぐに言葉を返す。
「俺を救ってくれて。……今度は俺がお前を救う番だ」
気づけば、自然と手が伸びていた。
小さくて冷たいステラの手をそっと取り、その甲に唇を触れさせる。
彼女の指が小さく震えた。
その震えが、俺の心臓を強く打たせる。
この手を、絶対に離さない。
どんな未来が待っていようと、俺が壊してやる。
──斬首だろうと、滅亡だろうと関係ない。
ステラは二度と独りで死なせない。
今度は俺が、守る。
「うん。私も、アレスを救う為に生き抜かなきゃね」
小さな声で、それでも確固たる意思を持ってステラは言った。
「俺を救うために?」
問い返すと、彼女はふわりと笑って──まるで冗談めかすように、それでいて本気の響きを持って言葉を紡いだ。
「ええ、あなた。私が死んじゃったら生きていけなさそうだもの」
その笑顔は、透き通るように綺麗で。
まるで春の朝に射し込む光みたいに眩しかった。
……全く言われた通りだ。
もしステラが死ねば、俺は間違いなくステラの死に関わった奴らを皆殺しにして、それから後を追うだろう。
けれど、今目の前で微笑む彼女の顔は──俺と同じだった。
俺が彼女の生きる理由になっていると言わんばかりの表情。
自惚れかもしれない。
でももし本当にそうなら……俺たちはお互いがいなきゃ、生きていくことすらできないんだろう。
子供の頃、ステラが命に執着していないと悩んでいたディル。
その解決が俺にあるのだとしたら……これほど幸せなことはない。
「ああ、ステラは俺の生きる意味そのものだから。死なれたら困る」
「うん、私も……」
互いの言葉に導かれるように、どちらからともなく抱き合った。
ステラの身体から伝わる少し高めの体温は、まだ寒さの残る季節に訪れた春みたいで、胸の奥まで温められていく。
彼女の髪からかすかに香る花のような匂いが鼻をくすぐり、抱きしめる腕に力がこもった。
しばらくそのまま時を忘れて寄り添った後、俺はそっと腕を緩め──そのままステラを抱き上げた。
「ひゃっ……!」
不意を突かれたステラが、可愛らしく小さな声を漏らす。
真っ赤になった顔を見上げて、思わず口元が緩んだ。
そして、ステラの部屋に魔法で移動した。
「なぁ、ステラ。話を聞いた上で言う……一人で行動するな。ディルに会いたいなら俺も行く。だけど、アイツに会って何をするつもりだ?」
俺の腕の中で、ステラは見上げてきた。
その瞳は揺れながらも真剣で。
「アレスは、信じてくれなかったけど……あの夜本当にお父様は来たの。私も夢だと思おうとしたけど、やっぱり夢とは思えない……」
必死に訴えかける姿に、胸が締めつけられる。
ここで信じないことこそ、ステラを裏切ることだと悟った。
「信じるよ。あの時は……もし夢だったらステラが傷つくって、それだけ考えてた。でも──もし本当にディルが来ていたとして、どうするんだ?」
「……正直、どうすればいいかは分からない。けれど、このまま距離を取ってしまえば前と一緒なの。だから、私は娘として全力でぶつかっていきたい……!」
ステラの碧眼には、揺るぎない決意の光が宿っていた。
その真剣さは、息を呑むほど強く、美しかった。
「……わかった。ノヴァトニー領に行く前に、一度ディルに会いに行こう」
「……うん!!」
ぱっと花開いたように笑うステラを見て、心の奥がふわりと温かくなる。
もうすぐ春休み。
ヴァルツォリオに言われた“ステラの救い”になるという俺の母を探しに行く前に──
まずは、会わなくちゃならない。
変わってしまった、義父に。




