第九十四話 彼なら、きっと
身体がすっかり治った私は、再び元気に学校へ通っていた。
いつも通りに、教室でアレスと二人きり。
机と椅子がきれいに並んだ静かな空間に、彼の結界魔法の魔力の暖かさが私を包んでいる。
目を閉じ、両手を伸ばしたアレスは真剣な顔をしていた。
その姿を眺めながら、私は口を開いた。
「そういえば、アレスって……人に結界をかけられるようになったんだね。お父様がやっていたから、その時点で研究やめたのかと思っていたわ」
「……ああ。ディルより時間はかかるし精度も落ちるけどな」
少し不機嫌そうな声音に、私はくすりと笑う。
懐かしかった。
昔、お父様とアレスと三人で過ごした日々。
アレスが何かにつけて父に挑むように視線を投げていたことを思い出す。
(……大好きな二人が、一緒にいてくれることが幸せだったな)
最初は、お父様に殺されないために必死に修復を試みた関係。
でもいつの間にか、かけがえのない存在になっていた。
ステラとしての一度目の人生では、絶対に得られなかった温かさだった。
けれど──そのお父様は、もうどこにもいない───
私はふと、あることに気づいて呼吸が止まった。
「……できた」
アレスが目を開ける。
「これで俺よりレベルが低いやつが悪意を持って危害を加えることはできないな」
満足げな声が聞こえても、私は呆然としていた。
(どうして……私は諦めたんだろう)
お父様が変わってしまったからって、突き放してしまうなんて。
それじゃ一度目の人生と同じ。
冷たく拒絶されても、娘として歩み寄らなければ、また距離は離れていく。
前と同じように、他人みたいに。
「……お父様に会わなくちゃ」
小さく漏れた言葉に、アレスが鋭く反応する。
「は!?」
椅子を勢いよく鳴らして立ち上がる私の腕を、アレスが強く掴んだ。
彼の手は熱くかった。
「お前……わかってんのか!? あいつは今、正気じゃないんだぞ。いくらステラだからって、何をするか──」
「それでも行かなきゃダメなの!」
私は振りほどこうと必死に叫ぶ。
「このままじゃ、どんどん距離ができる……!」
「だから!!」
アレスの怒声が、誰もいない教室に鋭く響く。
窓ガラスが微かに震えるほどの迫力だった。
「──あいつはもう、俺らが知ってるディルじゃねぇんだって!!!!」
「わかってるよ!!!!」
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえながら、私は叫び返した。
「それでも……お父様のそばにいなきゃ!! また、最悪の結果になっちゃうの!!!」
はじめてだった。
アレスと怒鳴り合うなんて。
彼の瞳は炎のように揺れて、必死に私を引き止めようとしている。
その真剣さが痛いほど伝わる。
けれど私は──お父様の様子が変わってしまってから心のどこかで覚悟を決めていた。
もし一度目と同じ結末を辿るのなら、自分はまた死ぬだけ。
お父様に処刑されるなんて二度とごめんだけれど、それでも仕方ないのかもしれない。
──でも。
私が死ねば、この国は終わる。
こんなにも私を案じてくれるアレスも、お父様の本気の力には抗えず死んでしまう。
フレッド様も、ニヴィア様も……みんな。
そして、お父様自身も自害を選ぶ。
(未来を知っている私が助けなくちゃ……!)
(大切な人は、私が守らなきゃ……!)
決意の炎が、胸の奥に静かに燃え上がっていった。
「お前……ずっと、独りでなに抱えてんだよ……っ」
「え?」
アレスの顔は悔しさに歪んでいた。
私が抱えていることを自分に話してくれないのは、自分が至らないせいだとでも思っているような顔。
──でも、こんなこと、誰が信じるのだろう。
現実世界から自分が読んでいた漫画に転生して。
何も知らずにストーリー通りに父に処刑されて。
全てを思い出した上で、六歳にタイムリープして未来を変えようと生きてきた。
そんな都合のいい物語、誰が信じてくれる?
魔法のある異世界だって、これは現実離れしている。
──でも。アレスなら。
「アレスって、私が話したことをなんでも信じそうね……お父様のことは信じてくれなかったけど」
「嘘だって信じるよ。……ディルのことは別だ。今のあいつに信用なんてねぇ」
まっすぐな瞳が、私を捕らえて離さない。
その眼差しは「話してほしい」と訴えていた。
胸の奥がざわつく。
少しだけ……言ってみようか。
「ねえ、アレス。死に戻りって、信じる?」
静かに、言葉を落とした。
これで彼が「何言ってんだ?信じるわけねぇだろ」と返せば、冗談で終わらせるつもりだった。
けれど、胸はどんどん早鐘を打つ。
本当は……信じてほしい。
アレスが口を開こうとする。
怖くなって、意味もなくぎゅっと目を閉じた。
「……は? ステラ、お前、一回死んだのか?」
思わず目を開いた。
彼の顔は青ざめ、眉間に深い皺を刻んでいる。
冗談と捉えているとは思えない表情だった。
私の言葉を、そのまま信じてしまったように。
私は静かに頷いた。
「なにで死んだ!? 事故か? 病気か? それが起きるのはいつだ!? 未来は変わるんだろ……!? なぁ、そうだろ!?」
縋りつくように両腕を掴まれた。
彼の手は硬くて熱く、それでいて震えていた。
必死さが痛いほど伝わってくる。
私は小さく、しかしはっきりと首を縦に振った。
「未来は……変わるはずだよ。今までだって、一度目とは全く違う人生を送ってきているもの」
アレスの指先から力が抜けていく。
それでも掴んだままの手を離さず、深く息を吐いた。
安堵に揺れる表情に、胸が締めつけられる。
「……それで。お前は……なにで死んだんだ?」
彼の瞳には、決意が宿っていた。
絶対に私を守る、という揺るぎない光。
私はほんの一瞬、視線を伏せて、そして告げた。
「あのね……私は、聖女の毒殺未遂によって……お父様の手で、斬首刑に処されたの」
「………………は?」
アレスの口から零れたその声は、小さく掠れていた。
言葉の意味を理解できず、理解したくなくて、それでも頭に突き刺さる。
彼の目が大きく見開かれ、血の気が引いていく。
私だって、信じたくない。
けれど、それは実際に起きたこと。
何もしなければ訪れてしまう、最悪の未来。
──ヴァルが見せてくれた。
私が処刑される光景を。
そして、その後に訪れる国の滅亡を。
私が死ねば、この国は──お父様の手によって滅びる。




