表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
90/113

第九十話 不敬への罰②

「……私は……一週間……起き上がることも……できません……。彼女に危害を加えるなど……不可能です……」


かすれた声を吐き出すと同時に、ステラの身体は崩れ落ちた。何を伝えたかったのか、よくわからないまま。


その瞬間、俺の背筋に氷を流し込まれたような冷気が走る。


「……おい……?」


床に横たわった彼女の顔は死人のように青ざめ、まるで命が抜け落ちたかのように動かない。

さっきまで乱れていた呼吸も途切れて──音が消えていた。


(……まさか、死んだ? こんなことで……?)


胸の奥が急にざわめき、手が勝手に動いていた。

信じられない気持ちで彼女の首筋に触れる。


冷たい肌。その下に、命の鼓動を探す。


──何も感じない。


「……っ」


思わず息を呑んだ、その刹那。


「……はっ……!!」


途切れていた胸が大きく上下し、彼女の喉が痙攣するように息を吹き返した。

まるで水面から無理やり引き上げられたかのように、荒く苦しい呼吸を繰り返している。


俺はしばらく呆然と見下ろしていた。

噂には聞いていた……魔力の多い者にこの魔道具を付ければ命を落としかねない、と。

だが実際に目の前でその危うさを突きつけられると、背中を汗が伝う。


(……アルジェラン公爵のような化け物に嵌めたら、確実に死ぬ……いや、即死だな)


思った以上に危険な代物。

俺の選択は……軽率だったのかもしれない。


だが。


(……いや、リナを虐げた女だ。ここまで痛い目を見せて当然……! 俺は間違っていない)


自分にそう言い聞かせた、そのときだった。


「……ステラ!」


外から少年の声。ドアを激しく叩く音。

俺が張った結界に阻まれているのだ。


だが次の瞬間──轟音。

光が弾けるような爆裂音と共に、俺の結界が砕け散った。


振り返った俺の視界に、魔力を迸らせて部屋に飛び込んでくるアレスの姿が映る。

肩越しにほとばしる魔力の残滓が火花のように散り、空気を震わせていた。


「……意外と遅かったな」

咄嗟に口をついたのは、皮肉めいた挑発だった。


だがアレスの瞳は俺ではなく、ただ床に横たわるステラへと一直線に向かっていた。

まるで俺など存在しないかのように。


「ステラ!!」


叫ぶと同時に駆け寄り、その小さな身体を抱き上げる。

ぐったりと力の抜けた彼女の姿に、アレスの顔は蒼白に染まっていた。


俺はただ、その光景を見下ろしていた。

拳を握りしめながら。


「マティアス、お前。ステラに何をした?」


低く鋭い声が空気を裂いた。

アレスの瞳は怒りに燃え、鮮烈な光を放っている。

その眼差しが、ひどく父上を彷彿とさせる。


(……またかよ。あの目。あの声。父上と同じ──)

吐き気がするほど似ているそれに、無性に腹が立つ。


「魔力を抜いただけだ。安心しろ、さっき息を吹き返した。生きている」

できる限り落ち着いた声で告げた。だがアレスは眉を吊り上げ、喉の奥で怒気を押し殺したような声を返す。


「……殺す気だったのかよ」


その一言に、胸の奥がかすかに揺れる。

だが俺は表情を崩さず、肩をすくめた。


「いや。ただ魔道具で魔力を抜いたら、一瞬、息が止まっただけだ」


アレスはステラの腕に目をやり、魔道具を確認すると顔を歪めた。

怒りを孕んだ吐息を吐き出し、低く言い放つ。


「大丈夫、外せば魔力は一気に戻る」

「なら今すぐ外せ」


重く響く声。

次の瞬間、彼の手の上に氷が集まり、鋭利な氷柱がいくつも形作られた。

殺意を帯びた冷気が肌を刺す。


俺は思わず目を細め、唇の端を吊り上げる。


「お前こそ……俺を殺す気みたいだな」


氷の先端が今にも俺の喉を貫きそうな距離で止まっている。

冷たい殺意の矛先に、背筋が微かに粟立った。だが、退く気はない。


「命が惜しいなら、外せ。今すぐだ」


その声は、抑え込んだ怒りで震えていた。

だが俺は首を横に振る。


「それは一週間外せない。その魔道具は、つける前に期間を定めて魔力を込める。期間が過ぎれば腕から消え、魔力を込めた者の元へ戻る仕組みだ。俺でも外せないし……公爵ですら無理かもしれない」


言葉を吐き捨てると同時に、自分の中の優越感がじわりと膨れ上がる。

これは皇帝から許可と得ずに持ち出したものだ。

甘い処罰などではない。徹底的に後悔させるためのもの。


アレスの目が揺らぐ。

それでも、氷柱はすぐには消えなかった。

俺の言葉を吟味するように、鋭い光のまま宙に漂い続け──


カランッ──と音を立てて、一斉に床に落ちた。


安堵する間もなく、アレスはステラを抱き上げる。

その腕の中でぐったりとした彼女を、必死に守るように抱きしめて。


「……お前がそんな脳なしのクズだなんてな。こんなやつが皇太子だなんて、この国も終わりだ」


吐き捨てるように低く言い残すと、アレスは迷いなく転移魔法を発動させ、光に包まれて消えた。


──静寂が訪れる。

ただ俺だけが残された部屋。


拳を握りしめる。

爪が掌に食い込むほど強く。


(よく言う……)


脳裏に浮かぶのは、塔を出てから自由に生きてきたアレスの姿。

努力もせず、好きに振る舞い、公爵家の養子という立場に甘えてきた男。


対して俺は……広すぎる宮殿の中で、孤独に、ただ必死に勉強ばかりしてきた。

耐えて、耐えて、皇太子としての役目を果たすためだけに。


「……お前に俺を蔑む資格なんてない」


低く呟いた。


俺の心を埋めてくれたのは、リナだ。

天使のような笑顔。優しい声。

孤独を忘れさせてくれた、ただ一人の光。


(そんな彼女にあんな顔をさせたお前らを……許せるわけがない)


そうだ。俺はちゃんと見たんだ。


それは、リナと学校の廊下を歩いている時だった。

いつものように、生徒たちの視線が俺たちに集まる。

皇太子と聖女──二人が並んで歩くだけで、周囲はざわつき、羨望や憧れの眼差しが突き刺さる。


「マティアス様、なんだか注目ばかりされてしまうので……今日は別々に教室に入りましょう」


小さく笑いながらそう提案する彼女の頬は、ほんのりと赤い。

その照れた仕草が愛らしくて、同時に少し寂しさも覚えた。

だが、すぐに頷く。


「……わかった」


「じゃあ、ここにいてくださいね。一分以上たったら来てください」


そう言って、俺を廊下の角に残すと、振り返りざまににこりと笑い、彼女は歩いていった。

胸が温かくなる、花のような笑顔だった。


──だが、直ぐに足音が止まる。


「きゃ……!!」


短い悲鳴。

嫌な予感が走り、廊下の角から身を乗り出す。


リナが床に倒れていた。

その腕を乱暴に掴み、髪を引っ張っている男子生徒の姿が見えた。


「やめて……」


震える声。涙をにじませた瞳が、必死に助けを求めている。

頭より先に体が動き、俺は走り出していた。


「こいつが、アルジェラン嬢が言ってた聖女様か」


その男が吐き捨てるように言った一言が、耳に刺さった。

瞬間、頭の中で何かが切れた。


次に気がついた時、俺の手は雷を放ち、男は地面に崩れ落ちていた。

更に拘束魔法で身体を縛り上げる。

息を荒げ、睨みつけた俺の腕の中で、リナは小さく震えていた。


「……またステラ様が……」


涙を流し、怯えた声を漏らす彼女を抱きしめる。

胸の奥が灼けるように熱くなった。


その後、男は聖女への暴行として地下牢へと放り込まれた。

子爵家の三男坊──大した地位も権力もない。

ステラと結びつきがあるとは到底思えない。


だが──俺はあの言葉を、確かに聞いていた。

「アルジェラン嬢が言ってた」──と。


疑念に駆られ、自ら尋問を行った。

机を叩き、冷たく睨みつけ、答えを吐かせようとした。


だが、男は顔を青ざめさせ、頭を下げ続けるばかり。


「なぜ、自分でもあのようなことをしたのか……わからないんです……」

「アルジェラン公爵令嬢に頼まれたのだろう!!」

「アルジェラン公爵令嬢……?話したこともありません。魔法祭で一度お見かけした程度で……俺なんかが恐れ多いくらいです」


必死の言葉。震える声。

嘘にしては迫真すぎた。


(……なら、なぜだ?理由がなければ、聖女に手をかけるはずがない)


脳裏をよぎるのは「誓約魔法」という可能性。

ステラが口止めをしているのかもしれない──そう思えば思うほど、彼女への疑いは強くなった。


俺はその話をリナに伝えた。

すると、彼女は眉を寄せ、真剣な顔で答えた。


「魔法で……指示を送っているみたいなの」


その表情が胸に突き刺さる。

怯え、不安に揺れる瞳。

俺は彼女を守らなくてはならない──そう強く思ったんだ。


◇◇◇


気づけば授業が終わり、休み時間になっていた。

特別室に戻ると、リナが小さな鼻歌を歌っている。

どこか調子外れの、不思議な旋律だった。


「リナ」


呼ぶと、彼女は振り返り、ぱっと表情を明るくした。


「あ、マティアス様!!」


嬉しそうに駆け寄ってくる姿が、たまらなく愛おしい。


「どこに行っていらっしゃったのですか?」

「ああ……少し、アルジェラン嬢を懲らしめにな」


その言葉に、リナの瞳が大きく揺れる。


「え!? ステラ様を……?いったいなにをしたのですか?」


俺は言いかけて、ふと脳裏に浮かぶ声を思い出した。


──『聖女様には……魔道具のこと……言わないでください』


胸の奥で警鐘のように響き、舌が止まる。

言えば彼女は安心するだろう。

だが、なぜか俺は言わないことを選んだ。


「……魔法で脅して、ガツンと言ってやったよ。きっと反省したさ。明日から穏やかな日々が送れる」


嘘を重ねる俺に、リナはなおも不安げな表情を浮かべた。

その頭を、そっと撫でる。

柔らかな髪の感触が指に伝わり、心が少し落ち着く。


次の瞬間、リナが俺の首に腕を回し、抱き寄せた。


「ありがとう、マティアス様……大好きです」


その言葉に胸が満たされる。

自分の行いは間違っていなかったのだと、強く確信できた。


俺も力いっぱい彼女を抱きしめ返す。

腕の中にある温もりは、幸福そのものだった。

世界から奪い取ってでも守りたい──そう思わせるほどに。


(きっと……すべてが上手くいく。俺とリナなら)


そう信じて疑わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ