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第六十七話 明るく元気に二人のそばで




「じゃあ、またね。アレス。忙しいことは聞いてるから、次に会うのは……舞踏会が終わった頃かな?」


ステラはいつものように微笑みながら、けれどどこか遠くを見るような目でそう言った。


「うん……そのうち戻るよ」

「待ってるよ」


その言葉を最後に、ディルが無言のまま魔法を展開し、淡い光の中にステラの姿が消えていった。

部屋には残された魔力の余韻と、深い静寂だけが残る。


俺はその場に立ち尽くしながら、思った。


──優しいステラは、きっと今頃泣いている。

俺にあれだけ明るく振る舞った後で、一人きりになった瞬間、あの強がりの仮面は崩れるに違いない。


苦しくて、たまらなかった。


ディルは窓際に立ったまま、一度もこちらを振り返らない。

その背中に向けて、絞り出すように問いかけた。


「ディル、お前……ステラが幸せにならなくてもいいのかよ」


ようやく、彼の口から言葉がこぼれた。


「他人に幸せにさせようなんて思ってない」

「それでも、ステラは……恋愛がしたいって、ちゃんと……」


俺の声は途中でかすれた。自分でも驚くほど怒りよりも悲しみが勝っていた。


「俺が父親として未熟なのはわかってる。それでも、これしか選択肢が見つからなかった。俺が誰も殺さず、ステラのこれ以上の自由を奪わずに済む、唯一の方法が」


その言葉に、思わず眉をひそめた。


「ステラの……“これ以上の自由を奪わずに”? どういう意味だよ」


沈黙。

そして、わずかに肩を落としたディルは、諦めたように吐き捨てる。


「一生……屋敷から出さないようにしようと、過ぎったことが何度もあった」

「……それって監禁ってことかよ」

「ステラには……悪いと思ってる」


そう言いながらも、彼の声に迷いはなかった。


「もし、ステラがまた恋愛できるとしたら──それは、俺が死んだ後だ。……お前も俺より力があれば、ステラと一緒になれたのにな」

「別に。ディルより強くても……殺さねぇよ。ステラが悲しむ顔は、見たくない」


俺の言葉に、ディルは初めて小さく笑った。笑ったというより、苦笑に近い。


「俺はお前みたいに理性が働いていないみたいだな。……俺が、お前の立場だったら。迷いなく、俺を殺すよ」


そう言った彼の瞳を、俺は見た。

ステラと同じ色──けれど、その光はまるで違って見えた。


冷たくて、鈍く濁っていて、何かを深く抱え込みすぎた色。


それが、ステラ以外のすべてを見るディルの瞳だった。


「アレス」


背を向けたままのディルが、低く告げる。


「お前は三ヶ月後、皇都に戻す。……王宮の舞踏会は欠席するから、それまではここで仕事をしてろ」

「……ああ」


俺は頷くだけで、もう何も言えなかった。


いつか、ステラともう一度笑えるように。

今はまだ、俺にできることを考えるしかない。



◇◇



お父様の転移魔法で、私はひと足先に皇都の屋敷へ戻った。


部屋に戻った途端、張り詰めていたものがほどけたように、涙が零れ落ちた。声を立てることもなく、静かに、ただこぼれていく。


目元をそっと拭いながら、手鏡を手に取る。


「……目が、赤くなってる」


呟いた声が、自分でも驚くほど弱かった。


だけど、もう泣くのは終わり。

私は明るく、元気で、二人のそばにいられる私でいなくちゃいけない。泣いてばかりの弱い女だと思われたくない。


そう心に決めて、目元を何度か叩いて気合を入れた。


お父様が戻ってくる頃には、私はすでに使用人に声をかけ、衣装室を呼ぶ準備を整えていた。

舞踏会の準備を進めるための、大切な時間。だから──私は普段通りを装うことにした。


……けれど、お父様はそれだけでは終わらなかった。


衣装室だけでなく、宝石商に行商まで。扉を開けるたびに招かれた職人たちが頭を下げ、目も眩むような布地や装飾品を持ち込んでくる。


金糸銀糸の刺繍が施された最高級のドレス、皇宮御用達の工房で仕上げられた香水や化粧品、そして、ひとつの宝石だけで屋敷一軒が建つようなアクセサリーたち。


確かに、今までもお父様は何一つ私に不自由させなかった。

けれど今日は、なにか違っていた。


どうにかして“なるべく高いものを買わせたい”──そんな強い意志のようなものを、彼から感じた。


「デビュタントで着るドレスだろう。もっと値が張るものにした方が、公爵家の顔が立つ。もっと、華やかな宝石はないのか?」

「お父様、私そんなに要りませんわ。ドレスだって、まだ着ていないものがいくつもありますし……皇宮主催の舞踏会だけ新しく仕立てて、ほかは家にあるもので十分です。宝石も、華やかすぎなくても控えめで、それだけで存在感がありますから」


精一杯やんわりと断ると、お父様はまるで子どものように――けれど切実に訴えるように言った。


「俺が……買いたいんだ。買わせてくれ。大きい宝石は、気に入らなければ普段使いにブローチにでもすればいいだろう」

「いや、さすがにそれは普段用じゃ……というか……」


言葉を濁す私の視線の先で、お父様は宝石を手に取り、品定めを続けている。


私に幸せに生きて欲しいと願う、父親としての想い。

けれど、同時に――絶対に私を手放したくないという、ディル・アルジェランという男の、圧倒的な執着。


彼はその狭間で、ずっと苦しんでいるように見えた。


「そうですね……せっかくですし、今日はお父様にたくさんおねだりしちゃおうかしら」


そう言うと、ようやく――ほんの少しだけ、お父様は微笑んだ。

その顔には、安堵の色がかすかに差していた。


公爵家は、途方もない財力を持っている。

戦勝による功績で賜った対価、豊かな領地の収益、前の代から続いている商売への投資による収入、そして──国一と謳われる魔法の才が生む報酬。


お父様の懐には、私の知らないところからも数えきれない富が流れ込んでいる。


「これもどうだ? ステラ」


楽しそうに勧めてくる声。けれど、その選び方はどこか不自然だった。

それはドレスや宝石の“デザイン”ではなく、“値段”を優先しているように見えた。


私はそっと、胸の内でつぶやいた。


(……お父様の気が紛れてくれるのなら)


本当は、私にとって大切なものなんて、一つか二つで十分だった。

いくつも持っても、きっと守りきれないことを私は知っているから。


けれど今日は、それを受け取ることにした。

これは、お父様の気持ち。

愛のかたちが少し歪んでいたとしても、私のためを想っての行動なのだと、そう信じて。


そして──


ついに、私の社交界デビューの日がやってくる。


新しい物語の始まりは、光に満ちた舞踏会の会場で。

けれどその眩しさの裏に、どんな影が差すのかは、まだ誰も知らない。

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