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第六十六話 これもきっと愛のカタチ

「爺さん、これはどうすんの?」

「おお、それはな、あの小屋まで運びたいんじゃ。すまんな、重かろう」

「いいよ、浮かせるから」


俺は指先に軽く魔力を込めると、腰の曲がった老人が持っていた収穫道具一式をふわりと宙へ浮かせた。


広大なアルジェラン公爵領に来て、もう四ヶ月が経とうとしていた。


最初の数日は目の回る忙しさで、朝から晩まで役人の仕事に追われた。あれから領地の管理のほとんどを俺が預かるようになっていた。


──ディルが、俺に全てを任せたからだ。


公爵であるはずの彼は、領内に顔を出すことはめっきり減った。会うのは報告や確認、それと仕事の受け渡しのときだけ。


それ以外のこと……ステラのことを尋ねても、彼はまるで俺の声が聞こえないかのように、仕事以外の話を一切しなくなった。


その姿に、ふと、昔のディルを思い出した。


あの、氷のように冷たい眼差し。

言葉に一切の情がなく、ただ命令を告げるために口を開くような男。


……俺が、まだ五歳の頃くらいまで


皇宮の古塔に幽閉された俺に魔力制御を教えに来た。

その目に、俺は人間として映っていなかった。

ただの“任務”として関わっていたのだと、子どもながらに理解できてしまうほど、冷たかった。


それが、あのステラと出会ったあの日、すべてを変えた。


俺が公爵家の敷地に迷い込んで──彼女に出会って、そして彼女がディルの娘だと知った時。


震えが止まらなかった。


ディルが、皇族の言うことをなんでも聞く男であることを知っていたから。


あの男なら、皇后の意に従って容赦なく命を奪うとおもった。


「事故だった」ということにすれば、それで終わる。

あの頃の俺は、そんな想像ばかりしていた。


だって、俺は──皇后に忌み嫌われる存在だから。

その子どもらしからぬ自覚が、余計に恐怖を植えつけていた。


でも。


まさか、あのディルが、俺を“養子”に迎えるとは思ってもみなかった。


あの冷たい眼差しの奥に、そんな選択肢があったなんて。

今でも、時々信じられない。

それはきっと、ディルもステラと暮らし始めていたから。


もし、あのとき皇宮に戻されていたら……

今ごろ、あの塔で──自分というものを失い、ただの“魔力資源”として生きていたかもしれない。


空っぽの目をして、誰にも望まれず、誰のためにも生きられず、ただ息をしていたかもしれない。


俺は浮遊魔法で、道具を小屋の前まで運びながら、ふと手を止めて空を見上げた。


澄んだ空に、雲がゆっくりと流れていく。


「……ステラに、会いてぇな……」


誰に届くわけでもない言葉が、風に乗って消えていった。


だけど心の奥底では、届いてほしいと願っていた。

ほんの少しでも、あの笑顔に触れられるなら。

ほんの少しでも、彼女の声が聞こえるなら。


──それだけで、生きていける気がした。



◇◇


領地内限定でなんとか使える転移魔法を行使して、俺は屋敷へと跳んだ。

魔力の空間を抜け、目の前に現れたのは──


「……ステラ……!」


そこに立っていたのは、まるで空から舞い降りた天使のようだった。


久しぶりに見る彼女は、寂しさや不安の色を一切纏っていなかった。

真っ直ぐに立ち、柔らかくも毅然としたまなざしで俺を見つめていた。


隣には──やはりというべきか、ディルの姿。


少し肩を落とし、隣に立つ父親をちらりと見る。

そして、ステラの瞳を正面から見た瞬間、俺は悟った。


あの瞳は、もう迷っていない。

痛みも、苦しみも、全部飲み込んで、それでも歩いていく覚悟の色だった。


(……ああ、ステラは、決めたんだ)


ぎゅっと拳を握りしめる。

これは、俺自身が撒いた種の結果だ。


本当は──もっと力をつけてから、ディルに立ち向かえるくらい強くなってから、ステラに想いを伝えたかった。

彼女を守れる自信がなかったから。

ただの甘えだとわかっていても、それでも俺は、あまりにもまっすぐに綺麗になっていく彼女に焦って、心の準備も覚悟もないまま──想いをぶつけてしまった。


そして今、その代償を払うときがきたのだ。


「久しぶりだな」


なんとか平静を保って声をかけると、ステラはいつものように、完璧な笑顔で返してきた。


「うん、久しぶり。アレス……元気そうでよかったわ」


その笑顔に嘘はなかった。

けれど、心の奥底からのものではないことを、俺はすぐに見抜いてしまった。

彼女の言葉が、何かを必死に隠そうとしているようで──苦しかった。


リビングへ通され、俺はソファに腰を下ろす。

対するディルは、壁際の窓辺に立ち、腕を組んだまま俺たちをじっと見下ろしていた。


(……見張り、ってわけか)


意識しないようにしても、視線が刺さる。

その存在が、これからの話をすべて物語っていた。


そんな空気を和らげようとしたのか、ステラが明るい声で話しかけてきた。


「もうすぐデビュタントだから、新しいドレスを仕立てることになったの。ねえ、私には何色が似合うと思う?」

「あ、ああ……ステラは、何色でも似合うんじゃん?」

「もう、そうじゃなくてさぁ〜!」


無理をして“普通”を演じているのが、痛いほど伝わってくる。


「私的にはね、青色がいいかなって思ってるの。でも……黒もいいかなって。思い切ってゴージャスなデザインにすれば、黒でもかっこよく着られると思うんだよね。何より、他の子と被らないし」


「でも……皇国じゃ、黒のドレスは“男を拒絶する”意味だろ?」


なるべく穏やかに言ったつもりだったけど、どうしても声に力がこもってしまった。


「──それが、ステラの答え?」


ステラは一瞬だけ視線を落とし、すぐに顔を上げて、うなずいた。


「そうだよ」

「……前も言ったけど、俺は別れるつもりない」


女々しいと思われてもいい。

簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

ステラのことが、本当に、本気だったから。


でも──


「うん。だからさ……なかったことにしよ?」

「……は?」

「私たちが恋愛関係を続けるとね、みんな不幸になるの。レッドはいなくならなくてもよかった。お父様が魔力を乱すこともなかった。アレスが死にかけることも、なかった……わたしたちが、離れることも、なかったんだよ」


言葉を紡ぎながら、ステラの声はどこまでも静かだった。

感情を殺すように、事実だけを口にするように。


「……意味わかんねぇよ」


声が震えた。

必死に押さえていた感情が、胸の奥で荒れ狂う。


「アレス。選んで。

このまま関係を続けて、私と“二度と”会えないか──

それとも、なかったことにして、姉弟として、そばにいられるか」


まっすぐに俺を見つめて言うステラの目には、一切の迷いがなかった。


耐えきれずに、俺はディルを見た。

窓辺に立つ男を、睨みつけるように。


「ディル……お前、それは卑怯だろ……!」


だけど、その瞬間、ステラの声が遮るように重なった。


「アレス、これは想像してたことでしょ?

それに……姉弟として、そばにいることも、愛のかたちじゃない?」


微笑んだ彼女は、誰よりも強く、誰よりも優しかった。


もう、何を言っても届かない。

そんな覚悟が、彼女の中にはあった。


「……そう……なのかな」

「そうよ」


静かに──まるで風が吹き抜けるように、ステラはその言葉を返してきた。


「……ほら、ドレスの色、どれがいいと思う? アレスは王宮の舞踏会には出ないんでしょ? だったら代わりに、私が楽しんでくるわ」


まるで、何もなかったように。


──こうして、ステラは一方的に俺たちの恋を“なかったこと”にした。


けれどきっと。

ステラの中でも。

俺の中でも。

あの時間のぬくもりや言葉は、決して消えることはないだろう。


永遠に、心の奥底に沈みながら、静かに燃え続ける──そんな想いのまま。

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