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第六話 アレス ④



「おい、ちょっと待てって。俺を置いて勝手に話を進めるな!!」


アレスが焦った声で割って入ってきたが、私はそれに構わず、まるで自分に言い聞かせるように微笑んだ。


「アレス、きっと大丈夫。お父様がなんとかしてくれるから」


私の投げやりな言葉に、お父様が推したとはいえ、あの承諾はただの衝動や思いつきではない。きっと、前々から考えがあってのことなのだろう。そう信じたかった。


「ステラ様を見ていると、セレーナ様を見ているようです……」


小さな声でエミリオ様がそう呟いた。その声はあくまで控えめだったが、どこか熱を含んでいた。


「そうだな。セレーナが生きていたら、きっと同じことをして俺を困らせたのだろうな……」


お父様はふと目を細め、懐かしむように、けれどどこか寂しげに私を見つめた。けれど、その感情をたたえた瞳に私はまだ気づいてはいなかった。


そのとき──


カチャリ、と控えめに音を立てて私の部屋の扉が開いた。


「失礼します、お茶を持ってまいりました」


そこに立っていたのは、見慣れた顔だった。マチルダとアリネ。以前まで私の専属侍女として仕えていたふたりだ。


(……なんだ、よかった。お父様、私の専属に戻してくれたのね)


私は心のどこかでほっとしながら、そんな悠長なことを考えていた。


だが──お父様の反応は、まったく異なっていた。


「誰の許可で入ってきた」


低く、鋭い声だった。ふたりに背を向けたまま、お父様は決して振り返ろうとはしなかった。


「わたくし共は、お嬢様の専属侍女ですので」


マチルダが、いつものように丁寧な口調で答える。


「昨夜の俺の話が聞こえなかったか? お前らはステラの専属から外すと、確かに言ったはずだが」


お父様の声が、先ほどまでとは違って冷たい。まるで、微笑をすべて削ぎ落とした氷の刃のようだった。


「お父様……?」


その不穏な空気に、私は思わず声をかけた。その瞬間──マチルダの動きが、一変した。


彼女が静かに裾をかがめ、何かを足首から引き抜く。直後、微かに光を反射したそれが目に入った。


(刃物──!?)


次の瞬間、マチルダの動きが豹変し、手にした短剣が後ろからお父様に振りかかろうとした。


「お父様!!!!」


お父様が自分の身くらい自分で守れるということをしっていたはずなのに

声が出るより早く、私は咄嗟に手を伸ばしていた。


──ズガン、と鈍く、氷が砕けるような音が響いた。


私の掌から迸った氷の魔力が、槍のように凝縮し、目にも留まらぬ速さでマチルダの手を貫いた。


「ぐっ……う、ぁ!!」


鋭い叫びとともに、魔法の紋様が浮かぶ短剣がカランと床に落ちた。マチルダは手首を押さえて痛みに膝をついた。


エミリオ様が手を向けると、青白く光る魔法の縄がマチルダとアリネを拘束する。まるで意思を持つかのように魔力がうねり、ふたりの体を締め上げた。


呆然とした空気が部屋を包んだ。


……誰もが動きを止めていた。目を丸くして私を見つめている。


私が──魔法を使ったからだ。


「お前も……魔法が使えたのか?」


アレスが驚きを含んだ声で静かに尋ねた。


「そ、そうみたい……?」


私は自分の手のひらを見つめた。白く細い指先から、まだ微かに冷気が立ちのぼっている。


(焦ったあまり……十六歳の頃のように魔法を使ってしまった。でも……発動するなんて)


胸の奥に驚きが広がる一方で、どこか納得している自分もいた。


──魂と魔力は深く結びつく。そう教わったことがあった。


だったら、私が時間を遡り、人生をやり直していたとしても……一度神の加護を受けた魂が、魔力を内包しているのは不思議ではない。


十六歳の頃の魔法レベル。それならたしか、私はレベル41だったはず。


──さすが、国一番の魔法騎士の娘。


年齢や性別を考慮しても、平均を遥かに超える才能だ。あの頃の記憶が、今の私の体を通して力を呼び覚ましたのだろう。


気づけば、エミリオ様とお父様が何やら低く話し合っていた。


そして、エミリオ様は静かに立ち上がり、微笑をたたえて私たちに一礼したあと、拘束されたマチルダとアリネを連れて部屋を後にした。


重い沈黙の中、扉が閉まる音だけが響く。


「……では、話をしようか」


お父様がゆっくりとソファに腰を下ろし、脚を組んだ。


その瞳は、先ほどまでの穏やかさをひそめ、まるで私の奥底を射抜くような鋭さを帯びていた──。


私は少し震えるアレスの手をそっと取ると、そのまま繋いで横並びに座る。手のひらから伝わってくる震えは、彼の不安と恐怖を物語っていた。


お父様が、私たちの繋がれた手を一瞥したとき──一瞬、底冷えするような目をしていた気がする。けれどそれはほんの刹那で、すぐに何事もなかったかのように表情を戻された。


「それで、ステラ。さっきのは?」

「私にも、なにがなんだか……」


とっさに、私は言葉を濁した。


(……話せるわけない。まだ自分でも整理がついていないし、それに……今の私がお父様に語っていい話じゃない)


お父様は一度、静かに目を閉じてから再び口を開いた。


「お前は、八歳未満の子供が魔法を使える理由がなにかわかるか?」

「魂と魔法の力が強く結びついているから……ですか?」

「そうだ。だが、可能性は三つある」


言いながら、お父様は火をくべるように視線を深く灯す。


「まず一つ。八歳未満で神から予期せぬ加護を受けたもの。アレス殿下はこれだ。理由はわからないが、神の気まぐれと言われている」


アレスが少しだけ眉をひそめたが、口を挟むことなく黙っていた。


「そして二つ。生まれ持った魔力量、魔法レベルが高すぎて、加護なしに魂に結ばれた魔法が裂け、力が解放されてしまった者。これは俺の例だ」

「お父様が……!?」


驚きに、思わず声が漏れた。


「ああ。俺は加護を受けていない。神の縛りを受けることもない」


(知らなかった……。やり直し前も、原作情報にも一切なかった)


「そして、三つめ。これは確信は得られていない。噂程度の話だが──魂だけが過去に戻った場合だ。生まれ変わり……記憶の有無に関係なく、既に加護を受けた魂であれば、魔法が使える可能性がある」


(……生まれ変わりではないけれど、私はこれだ)


「神殿に行って、魔法鑑定の水に手を重ねれば、一つ目と二つ目のどちらかは排除できる。だが──ステラ。お前は、自分がどれに該当すると思う?」


お父様の視線が、私の奥を貫いた。心の底を覗くような、誰にも誤魔化せない眼差しだった。


「私は……お父様のようなタイプとは違うと思います。だから、一つ目か……三つ目に近いのかと」


「なぜそう思う」

「お父様のように魔法の力が強ければ、もっと力が抑えきれず漏れ出しているはずです。けれど、私は今までそんなことはありませんでした」

「それもそうだな。だが、さっきの氷魔法は……少なくともレベル35以上の魔法だった」

「……!」


背筋が冷たくなる。そんな高位の魔法を、私は咄嗟に使ってしまった。家だったからよかったものの、外だったらと思うと、我ながら危機感が足りないわ。


「お前に記憶がないとしても、これはほぼ三つ目で確定だ」


(……やっぱり、お父様は恐ろしい人だ)


たったこれだけで、私の力の正体をここまで読み取るとは。けれど、お父様の表情には怒りや猜疑心はなかった。娘を守ろうとする意志が、静かな炎のようにその瞳に灯っていた。


「このことは口外を禁じる。バレれば、お前の身に危険が及ぶ。使用人にも、誰にも絶対に言うな」

「はい……」


ひと息ついたところで、お父様はアレスの方に顔を向けた。


「殿下にも、協力いただきます。誓約魔法をかけさせてもらいますが、よろしいですね?」


(誓約魔法……!? そんな、破れば身体の一部が失われる可能性がある危険な魔法を、子どもに……!)


「……わかった。俺は誰にも言わねぇし」

「お父様!!アレスも、誓約魔法なんて危険すぎます!」


思わず声を上げた私に、お父様は眉をひそめる。


「なぜステラが誓約魔法の危険性を知っている? 魔法座学はまだ受けていないはずだ」

「……あっと、本で読みましたの」


息を呑むような視線が私を突き刺すが、なんとかやり過ごすと、彼は再びアレスに向き直った。


「誓約魔法をかけるのは、私の愛娘に危険が及ばぬようにするためです。期間はステラが八歳になる、一年半後まで。それまで殿下の口を封じる代わりに、我々は殿下を助けましょう」

「ほんとに、助けてくれるのか?」

「はい」

「ど、どうやってだ!?俺を幽閉してるのは、皇后なんだぞ!?」

「……話は誓約魔法の後に」


アレスは一瞬戸惑ったが、ゆっくりと拳を作って胸に当て、口を開いた。


「我、アレス・ヴィン・リンジーは、ディル・アルジェランに誓う。ステラ・アルジェランの魔法の力を知る者以外に一切口外をしない。期間はステラ・アルジェラン八歳の誕生日までとし、誓いを破った場合の代償は……左腕とする。以上」


アレスの身体が赤く光に包まれた。誓いの魔法が、確かにその身に刻まれた証だ。


「ありがとうございます。まさか、自分で誓約魔法をかけるとは」

「お前があの塔で教えたんだろう」

「ふっ、そうでしたね」


二人の間に、旧知の師弟関係があったことがわかる。お父様はきっと、あの塔でただ見捨てるだけではなかったのだ。

だったらなぜ、アレスはお父様を怖がっているように見えたのだろうか。


「これで、話してくれるか?」


「はい。私は、アレス殿下を我がアルジェラン公爵家の養子に迎えたいと考えております」


「は?」

「え?」


驚きに、私とアレスは同時に声を漏らした。


「皇后は、殿下が魔法を使えること、そして次期王となる可能性を恐れて塔に幽閉したのでしょう? 殺さずに」

「……ああ。俺は、死んだ側妃の息子だからな。皇宮にいる限り、殺されはしないけど……」


原作の記憶が脳裏を過る。


──臨月の側妃が神殿で刺客に襲われた。腹を刺されたことで破水し、そのまま神殿で出産。生まれた男児は血まみれで産声をあげず、死産とされた。側妃もまた、出産直後に亡くなった。


(……あの男児が、実は死んでいなかったのだ)


「皇帝陛下には、私の元で魔法を教えるという名目で養子に迎えると伝えましょう。側妃様の件で、皇后陛下に責められておいでのはずですから、納得されるでしょう」

「皇后は……?」

「皇后陛下は、殿下が皇族の立場を捨てれば殺せると思い、むしろ承諾するでしょう。けれど、殿下が皇帝の血を引く限り──王位継承権が完全に消えることはありません。マティアス殿下になにかあれば、殿下が継ぐことになりますから」

「……そうだな。あの皇后が、生かしておくわけがない」


アレスは拳を強く握りしめた。小さく震えている。


「大丈夫です。私の息子になるのですから、命に代えても守ります。この国で、私に勝てる者はいませんので」


お父様は、まっすぐアレスを見据えた。鋼のような瞳に、ゆるぎない意志が宿っている。


アレスはぽつりと、一度うなずくと、肩を震わせながら顔を伏せた。


「ぁ……ありがとう……っゔぅ……」


喉の奥から絞り出すような、かすれた感謝の声。その小さな言葉が、胸に深く刺さって、私は静かにアレスの手を握り返した。


彼が泣ける場所が、ここにあってよかったと思った──心から。

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