表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/114

第五十七話 マーリン公爵家

国王の間を辞した俺たちは、再び無言のまま馬車へと乗り込んだ。


「レッド、ステラの気配はどちらだ?」


公爵が短く問いかけると、魔族の女はすぐに瞳を紅く染め、静かに目を閉じた。


その瞳から放たれる赤い光は、まるで血のように艶やかで――けれどどこか痛々しい。


「……東側から。微かではありますが、お嬢様の魔力の気配がいたします」


「わかった。東へ向かってくれ」


御者へ命じると、馬車は静かに動き出す。


だが、魔族の女――レッドはそのまま目元を強く押さえ、苦痛を堪えるように眉をひそめた。


 (……瞳、滲んでるじゃん。血、出てるし)


 うっすらと瞼の縁から滲む紅――それが血であると気付いた瞬間、思わず背筋に冷たいものが走る。


 「……大丈夫? 瞳、なんかすごいことになってるけど……」


 普段なら、魔族に気安く声をかけることなんて躊躇う。けど、この空気の重たさに耐えかねて、思わず言葉が漏れた。


 「お気遣いなく」


その返答は、乾いた風のように素っ気ない。

それきり会話は途切れ、俺は気まずさを抱えたまま、窓の外に視線を投げた。


 (うーわ、なんだこの空気。窒息しそう……)


横に座る公爵――ステラの父親は、まるでこの世に他人が存在していないかのように、視線をただ前へ向けている。


さっきから一言も発さず、目すら合わない。感情を感じさせる気配すらない。


(……ステラとは、全然似てねぇな。瞳の色だけ、かろうじて同じだけど……)


美しさの方向性もまるで違う。冷たい彫像のような父親に対し、ステラは陽だまりのように表情豊かで、誰にでも真っ直ぐな目を向ける。


(ってことは、やっぱ……ステラは、母親のセレーナに似てたんだろうな)


窓の外に流れる街並みの中、俺の思考は自然と、会ったこともない“セレーナ”という女性へと向かっていった。




◇◇◇


両親が揃っていたのは、俺が五歳の頃までだった。


父と母は、いつも喧嘩していた。

それでも、母は――父のことが好きだったように思う。


「ゔぅ……なんでっ、なんで私をもっと愛してくれないの……」


泣きながら、背中を向ける父の背中に縋りついていた母の姿を、今でも思い出す。

母は、愛されたかったのだ。

けれど、父はいつだって冷たくて、目も合わせなかった。


俺が生まれたとき、父が最初に母に言った言葉は――


「男でよかった。もう、お前を抱かなくて済むな」


……らしい。


たった五歳の俺には意味が分からなかった。

でも母は、泣きながら、その言葉を何度も俺に繰り返して聞かせた。


「あなたが女だったら……私は、まだあの人に抱いてもらえたのに」


そんなふうに言われ続けていたから、きっと俺は……知らぬうちに、洗脳されていたのだろう。


男である自分を、どこかで嫌悪していた。


そして、ある日――

母は、自分の首を切り裂いて死んだ。

その遺体を最初に見つけたのが、俺だった。


あの時の記憶は、今でも夢に出る。


……それからの俺は、いつも女の子の格好をしていた。

華やかなドレスを着て、女性らしい所作を身につけて。

ただ、ひたすらに“母が求めた存在”になろうとしていた。


父は、そんな俺を見て――露骨に嫌悪の目を向けた。


いつも、異物を見るような目だった。

まるで、俺の存在そのものが不愉快だと言わんばかりに。


本当に女になりたかったわけじゃない。

将来を想像するなら、結婚相手は女だったし、男として生きたかったとも思っていた。


でも、そう生きられなかったのは――俺の弱さだった。

母の言葉を忘れられず、死んだ後も女装を続けた自分の……弱さ。


魔法学校に入って、ようやく家から離れる理由ができたとき。

初めて女を抱いた。


感想は――“こんなもんか”だった。


こんなことのために、俺が“女であって欲しかった”と願われたのか?

これで、愛してもらえるとでも思ったのか?


……女なんて、感情がなくても抱けるじゃないか。


そう思ったとき、母への失望と同時に――父への憎しみも湧いた。


なぜ、お前はそれすらしなかった? と。


◇◇◇


父には、母と結婚する前に、別の婚約者候補がいたという。


それが――七歳年下の、ガルシア侯爵家の娘・セレーナだった。


慈悲深く、誰もが振り返るほど美しい娘。

その娘に、父は夢中だったらしい。

縁談も多くあったが、地位ある公爵として、父は自信を持っていた。


だが――


お爺様が、国王に勧められた縁談を飲んでしまった。

それが、母だった。


父は激しく反対したらしいが、国王に「結婚する」と宣言した手前、もう後戻りできなかった。


そしてコリーヴ王国から母を娶った。


「子ができるまでの辛抱だ。男児が生まれれば、ガルシア侯爵家にどんな好条件を出してでも、娘を側室に迎えればいい」


そうお爺様は言っていたという。


だが――俺が生まれた頃、ガルシア侯爵家の娘に“醜聞”が流れた。


義弟を半殺しにした、暴力的で野蛮な娘――そんな噂だった。


「話が違う!!!」

「仕方あるまい。そんな女を、公爵家に迎えるわけにはいかん」

「……じゃあ、俺はなんのために……!」

「醜聞が落ち着くまで、待て」


そうして一年が過ぎた頃、セレーナという娘は、突如として姿を消した。


誰もが「家出した」「修道院に送られた」と噂したが――


父は、諦めなかった。

修道院を一つずつ回り、皇都から地方まで探し続けた。

だが、娘はどこにもいなかった。


ガルシア侯爵家も口を割らなかった。

父親は、なにかを知っているようだったが、どれだけ詰め寄られても、頑として黙り続けたという。


「……セレーナ……俺の、愛しいセレーナ……」


夜な夜な、父の執着とも呼べる呻きを、母は隣で聞いていた。


その“名前”を聞くたびに、母の心は壊れていった。


そして――俺の家族は、完全に崩壊した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ