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第四十四話 この関係は?



「ステラちゃぁぁん!!」


遠くから響いた甲高い声とともに、陽の光を反射するような長い金髪が風を切って近づいてくる。走ってくるのは、ふわりとしたスカートを翻しながら軽やかに駆ける、フレッド様──もとい、“フリエッダ様”だった。


「うわ、きた女装野郎」

「アレスくん、ひどーい!!」

「うぇ……」


アレスはいつもの調子でげんなりとした表情を見せたが、フレッド様──フリエッダ様はまるで意に介していない。むしろ、その反応すら楽しんでいるようにさえ見える。


「フリエッダ様、お久しぶりです。魔法対決祭の時にお見かけしなかったので……少し心配していました」


私が丁寧に挨拶をすると、彼は少し作り笑いを浮かべて答えた。


「あぁ、実は休んでたの。家のことで、ちょっとね」


その笑みの奥に、ふと影を見た気がした。


(この前、教室まで送ってくれたときも……少し様子がおかしかった。なにかあったのかしら?)


けれど貴族の家というのは、外からはうかがい知れない複雑な事情を多く抱えている。深入りしてはいけないと、本能が告げていた。だから私は、問い詰めることをしなかった。


「それよりステラちゃん、なにかいいことでもあったの? 今日、なんだか顔が明るい気がするの」


その一言に、私は思わず隣にいたアレスをちらりと見た。


彼も目を細めて微笑んでくれる。その優しい眼差しに、私は自分の胸のうちを確かめるように小さく頷いた。


「はい……実は───お父様が帰ってくるんです」


その瞬間、隣でアレスの肩がぐんと落ちた。音が聞こえそうなほど、はっきりと。


「ア、アレス?」

「……いや、なんでもない」


顔を背けるアレスをよそに、フリエッダ様はまた、ほんの少しだけ笑みを曇らせた。


「そっか。そういえば一昨日、王宮が勝利宣言していたわね……アルジェラン公爵には感謝してる。それと──ごめんなさい」


「なぜ謝るのですか?」


私の問いに、彼はそっと視線を落とした。


「ずっと、言おうか迷ってたんだけど……アルジェラン公爵が戦地へ行くことになったのって、たぶん──うちのお爺様も関わってると思うの」


マーリン公爵家。その現当主は、三大公爵の中でも最も古参の一人だ。そしてフリエッダ様、いや、フレッド様の祖父でもある。


父は、若くして公爵の位を継ぎ、その重責を誰よりも完璧にこなしてきた。領地を立て直し、皇族の信頼を得、娘──私ですら、婚約候補として名が上がるほどに。


……そんな父は、老練なマーリン公爵にとって脅威であり、疎ましい存在だったのかもしれない。


「……でも、フリエッダ様が謝る必要はありません。ご家族のことはご家族のこと。私たちの友情とは、関係ありませんわ」


そう言うと、彼の表情がふわりとほどけたように見えた。


「……ありがとう。ステラちゃん」


その笑顔は、さっきよりもずっと穏やかで、心からのものだった。


と──突然、彼がパンッと両手を叩いた。


「ねえ、ステラちゃん!!お友達なら、今度女子会しない?」

「おい、お前は女子じゃねぇだろ」

「えぇ〜、じゃあ……アレスくんも入っていいからさぁ!」


「ふふ、それなら今度、お茶会でも開きましょう?」

「やったぁ!! 今度ぜったいね?」


嬉しそうにスカートを翻して、フリエッダ様は駆けていった。まるで少女のように軽やかに。


「……はぁ。ほら、帰るぞ」


アレスは不貞腐れた様子で、私の手をぐいと引いた。人気のない場所へと歩いていくと、転移魔法で私たちはいつもの私の部屋へと戻った。


それでも──アレスは、私の手を離さなかった。


「……ステラ。あんまり他の男とベタベタすんなよ?」

「男って……フレッド様のこと?」


少しだけ驚いて尋ねると、アレスは小さく頷いた。


(……嫉妬、してる?)


胸がくすぐったくなるような思いが湧いて、私はほんの少しだけ意地悪な気持ちで口を開いた。


「……たしかに、フレッド様って爵位も申し分ないし、顔も綺麗だし? 実は優しいところもあるし……恋愛相手としては好条件だなぁ〜って──」


「はぁ!?!?」


声をひっくり返してアレスが叫ぶ。私は笑いを噛み殺しながら、続けた。


「──思った時もあったけど。私は条件じゃなくて、自分の気持ちが動かされた人と恋をするって決めたのよ……」


それを聞いたアレスは、ふぅっと息を吐いた。


「……俺、遊ばれてる?」

「ごめん、ちょっとかわいくて……」

「かわいいって言われるの、嬉しくねぇし」


「そう?でも、“かわいい”の中には“愛おしい”って意味が入ってるのよ?」


私の言葉に、アレスはすこし頬を染めて小さな声で呟いた。


「……なら、いい」


その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


伸びていく背に少し寂しさを覚えながら、それでも私は、彼を愛おしいと思う気持ちで、自分の心をそっと抱きしめた。



◇◇◇




ステラと想いが通じ合ってから、もう二ヶ月が過ぎようとしていた。


「お父様が帰ってきたら、また料理長にお願いして、料理手伝ってもらわないと!!お父様、何が食べたいかしら……?」


ステラは、部屋の中をぐるぐると円を描くように歩きながら、まるで夢見る少女のような声音で話していた。瞳は輝き、頬は自然と上気していて、まるで幼い頃の彼女がそのまま戻ってきたかのようだった。


それをただ見つめる俺の胸の内には、ひとつの疑問が膨らみつつあった。


(俺たちって……“恋人”ってことで、いいんだよな?)


あの日、ステラから不意にキスをされた。

その瞬間、世界が反転したような衝撃だったのを、今でもはっきりと覚えている。


だが、それ以降、明確な言葉も、次のステップもない。手を繋ぐことも、抱きしめることも、また唇を交わすこともなかった。まるで、あの瞬間だけが夢だったかのように。


ただ──


ただ、彼女が俺と「恋愛をする気になった」という事実だけが、そこに残っていた。


(“恋愛をする”って……どこからがスタートなんだ? 恋人になってからか? それとも、恋人になる前の段階か?)


考えれば考えるほど、泥沼のように思考が沈んでいく。俺は決して“女慣れ”しているとは言えないし、ましてや恋愛の定義なんて教わってきたわけじゃない。


時代が変わり、かつてのような潔癖な貴族の価値観は廃れてきたとはいえ、どうにもこの胸のもやもやは晴れない。


そして気づけば、明日はもうディルが帰還する予定の日だった。


ステラの頭の中は、明日のことでいっぱいだ。目の前に俺がいることなんて、きっと一ミリも入っていない。


(このままじゃ、ディルが帰ってきて、俺たちは“何も始まっていない”まま、また元通りだ……)


焦りと衝動が喉元までこみ上げ、思わず名前を呼んでいた。


「ステラ!」


「ん?」


「……二人で、話がある」


「あ、なら──」


俺の提案を当然のように受け入れて、ステラはディルに宛てた手紙を書くために、自室へ向かった。


部屋に着くと、ベッド脇の机から便箋と封筒を取り出し、椅子に腰かけた彼女はさっそくペンを走らせはじめる。


(俺の話、聞くって言ってたよな……?)


「ステラ」


「ん〜? なぁに?」


完全に片手間だった。俺の存在など、今の彼女にはほとんど空気のようなものらしい。


でも、もういい。今、聞くしかない。


「ステラと俺って……恋人ってことでいいの?」


ペンの音が止まった。


空気の流れが変わった気がして、ふいに胸が締めつけられた。ステラは、勢いよくこちらを振り向き、目を大きく見開いた。


「ごめん!! 不安にさせちゃってた!?」


慌てて椅子から立ち上がると、まるで何か大切なものを壊してしまったかのような表情を浮かべた。


「そうだよね……あれから、二ヶ月も経ってるのに、私……アレスとちゃんと向き合ってなかったよね。初めてのことだから、どうしたらいいのか分からなくて……でも、えっと、私は──」


彼女の瞳がまっすぐに俺を見つめた。真っ青で、透明で、深海のように澄んだその目が、小さく震えながら言葉を紡いだ。


「私は、そういうつもり……だよ」


それだけで、心臓が強く跳ねた。


「……結婚とかは、たぶん現実的に難しいけど。私たち同じ家だし、未婚で一緒にいるのは、私の方はお父様が許してくれるとしても……アレスは次期公爵だから、跡取りとかの問題もあるし……」


ステラなりに、ちゃんと考えていたのだ。その事実が、胸にずしりと響いた。


俺は……ただ目の前の“今”しか見ていなかった。


「だっせぇな、俺」


情けなくて、小さく呟いた。


「え?」


「いや、ステラの方がずっと考えてるってだけ。俺は、お前を“欲しい”って、それだけだった。まるで……獣みたいだ」


「ん〜、まぁいいんじゃない? 獣でも」


そう言ってステラは、ふふっと笑って、そっと俺の手を取った。細くて柔らかい指先が、俺の手に絡んでくる。


「罪悪感なんて持たなくていいよ。男の子って、みんな狼みたいなものなんでしょ?」


その言葉が、やけに優しくて。


「……まだ時間はあるんだし。正解は、ゆっくり二人で考えていこ?」


笑ったステラは、やっぱり強かった。何があっても、前を向ける──そんな少女だった。


「ね?」

「……あぁ」


「でもね、暫くはお父様には内緒だよ?」


「……あ、あぁ」


(殺されるのが、後に回っただけだな……)


覚悟を決めたつもりでも、──最強で最恐の魔法騎士であるディルの顔が脳裏に浮かび、思わず背筋が寒くなる。


明日、公爵家にディルが帰ってくる。


ステラは、どんな笑顔で彼を迎えるのだろうか。


それはきっと、俺には見せてくれない笑顔。彼女が“父”だけに向ける、特別な愛情の色を帯びた微笑み。


──明日からまた、俺はその笑顔を、少しだけ羨ましがりながら隣で見ることになるのだろう。



魔法学校《一年生》おしまいです☁︎︎⋆。



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ありがとうございました( ¨̮ )

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