第四十話 君の魔力は誰のもの?②
魔法レベルというものは、一度上がれば、それに見合う魔力量で安定する。基本的に、下がることはない。
一般的な魔法使いの平均が15前後だとすると、私の70という数字は、単純に考えれば四倍以上だが、魔力量で言うと数百倍の魔力を保持している。
そんな私が──今、まさかの魔力切れに近い状態に陥っている。
普通に考えれば、膨大な魔力を消費する大規模魔法でも使ったとしか思えない。けれど。
──私は、そんな魔法を使っていない。
理由は、ひとつしかない。
「お前、一体……誰に魔力を吸われてるんだ?」
アレスが低い声で問いかけてくる。金色の瞳が真っ直ぐに私を見据え、嘘を見逃すまいとするように。
……隠せないかもしれない。
私は小さく息を吐くと、自分の人差し指を噛んだ。赤い珠がぷくりと膨らむ。
「ステラ?」
「大丈夫。……見せた方が早いと思うの」
床に落ちた血の一滴が、淡い赤い光を灯す。やがて魔法陣が浮かび上がり、空間が震えた。
「来て、ヴァル」
召喚の陣の中心に、黒い影が立ち上がる。紅い瞳に、漆黒の体毛。天井に届きそうな大きさの獣──堂々たる気配を放ち、最高位の魔獣が姿を現した。
「……は? はああっ!?」
アレスの声が裏返る。まさか目の前で高位従魔の召喚を見せられるとは思っていなかったのだろう。
「最高位の魔獣、ヴァルツォリオ。私の契約相手よ」
「……待て、待て待て待て。お前、ディルの言いつけで血の契約はしないって、言ってたよな?」
その問いに、私はほんの少しだけ目を伏せた。
「本当は、守るつもりだった。でも……必要だったの」
「……まさか、こいつが、お前の魔力を吸ってるのか?」
私は黙って私に顔を寄せてきたヴァルに手を添えた。
「彼の力で、ほんの少しだけ……お母様に、会えるかもしれないの」
静かに告げた言葉に、アレスの表情が動く。
「……亡くなった、公爵夫人に?」
そのときだった。声にならない声が、私とアレスの頭に直接響いた。
『正しくは、ステラの魔力でセレーナの幻影を再現し、魂の器を作る。だが、それには莫大な魔力と時間が要る。姿を保てるのは、せいぜい一日か二日』
アレスは明らかに面食らっていた。額に手をあてて、頭の中で情報を整理しようとしている。
「ヴァルツォリオだったか?それ……お前の魔力じゃ、だめなのか?」
『人間の魔力でなければ意味がない。特に、血縁者の魔力がもっとも適している』
「……そんなに、母親に、会いたいのか」
その声には、ほんのわずかな震えがあった。
アレスの母親も、彼を産んですぐに亡くなった。
私と同じように、母を知らずに育った人。だからこそ、私がなぜそうまでしてお母様に会いたいのかと疑問を持っているのだろう。
でも──私は小さく首を振る。
「……会いたい、って気持ちはある。けど、それだけじゃないの」
「じゃあ、何のためだよ」
「お父様に、会わせてあげたいの」
アレスの目が、大きく見開かれた。
「きっとお父様は、ちゃんとお別れができなかった。何か、大事なものを失ったまま、止まってるみたいに見えるから……」
言葉を選びながら、私は続けた。
「ほんの少しでも、お母様に会えれば……きっと、お父様は前を向けると思う。私の将来のことも、もう少しだけ……ちゃんと、考えてくれるかもしれないから」
沈黙が落ちた。ヴァルの気配さえも静まり返ったように感じた。
やがて、アレスがぽつりとつぶやいた。
「……そういうの、ずるいくらい優しいよな、ステラは」
彼は小さく笑っていた。
「全部、自分本位だよ……お父様がお母様に会いたいと思っているのかもわからないもの」
「大事な娘がやることなら、ディルは喜ぶと思うけど……でも、それがステラの自己犠牲の上に成り立ってるなら、どう反応するか……わからないぞ」
「自己犠牲なんて──そんなつもりない」
『この男の言う通りだ。自己犠牲の上で成り立つ。言わば代償だ。セレーナの器が完成する前に、あの男にバレれば、私は殺される』
そう言ったヴァルに、私は少し引き攣った笑顔を返す。
「ヴァルが殺される?なんの冗談?あなたは最高位ランクの魔物でしょ?」
軽く冗談めかして言ったけれど、ヴァルの紅い瞳は、冗談なんかひとつも含んでいなかった。
『冗談ではない。あの男と戦えば、私は勝てない。確信している。一人で世界をも滅ぼす力を持っている。それが……ディル・アルジェランという男だ』
「……意味がわからないわ。確かにお父様は強いと知っているわ。けど、そんな……そんなわけ……」
「俺も、ヴァルツォリオの意見に同意する。ディルは、たぶん俺たちが思ってるより、ずっと──とんでもない存在だ」
アレスの声に、冗談の色はない。
「けど……そんな力があるなら、戦争なんてとっくに終わってるはずじゃない」
私が呟くと、アレスはしばらく黙ってから、ぽつりと答えた。
「……自分でも怖いんじゃないかな、本気を出してしまったときにどれほどの影響が出るか。魔法って、力が強ければ強いほど、加減が難しい。だからこそ、八歳以下の子供が魔法を使い始めると、みんな怖がるんだ」
「それは……暴発するから、でしょ?」
「それだけじゃない。無自覚のまま世界に干渉できてしまうから。魔力に意志が宿る前に、力だけが育ちすぎると、手がつけられなくなる。……ディルはそれを、幼少のうちに乗り越えてる。けど、その分、自分の中にある“力”に一番、恐怖してるのかもしれないな」
その言葉を聞きながら、私は静かに息を吐いた。
知らなかった。お父様の強さを、私は本当には理解していなかった。
けれど、どれほどの力を持っていたとしても、私は──お父様に、お母様と会ってほしい。それだけは、揺るがなかった。
「……それでも、やっぱり、私はヴァルに協力してほしい。たとえ、それが一時の幻でしかなくても。お父様が怒っても、ヴァルを傷つけるようなことはさせないわ!!私のわがままだもの。私が守る……」
『ならば私も覚悟を決めよう。……セレーナに仕えていた者として、これは私の責務だ』
低く唸るような声が、ほんの少しだけ優しくなった気がした。
私たちの会話を黙って聞いていたアレスが、ぽつりと、そして真剣な声で呟いた。
「俺も……できる限り、協力する。ステラが一人で背負う必要なんてない。ディルの言いつけを破ってまで血の契約をしたってことは、それくらい本気なんだろ。だったら、俺も覚悟する」
その声は、まっすぐで、どこか強くて、そして少しだけ震えていた。
ありがとう、と言いかけて、私はその言葉を飲み込んだ。
そして、黙ってアレスに抱きついた。
気づいた時にはもう腕を回していて、自分でもどうしてかは、よくわからなかった。
小さく頷くのが、私にできる精一杯だった。
彼の胸に顔を預けながら、胸の奥にぽつりと、小さな光が灯ったような気がした。
あたたかくて、優しくて、少しくすぐったい。
アレスが私の味方でいてくれること。
それを知って──きっと、私は、嬉しかったのだ。
無意識だったけれど。無自覚だったけれど。
言葉じゃうまく表せない気持ちが、心の奥からにじむように溢れてきた。
困らせるかもしれないと頭では思いながら、それでもこのぬくもりが、愛おしかった。
この瞬間だけは、そっと甘えてしまいたかった。




